マガジンのカバー画像

エッセイ『デタラメだもの』

72
デタラメに生きる。デタラメに暮らす。薄暗い世の中をデタラメに生きるための処世術、バイブル。妄想まみれで日常を綴るエッセイです。
運営しているクリエイター

2020年5月の記事一覧

最近の若者は――というセリフを徹底的に分析してみた結果、辿りついたある答えとは。『デタラメだもの』

最近の若者は――というのはよく聞くフレーズで、年齢を重ねた人たちが、自分よりも年の若い人たちに言うセリフ。最近の若者は――。 思い返せば社会人になりたての頃、さんざんっぱら言われた記憶がある。「ワシらの若い頃はもっとしっかりしてたのに」「最近の若者は根性が足りない」「近頃の若い奴は何を考えてるのかサッパリ分からん」とか何とか。 このセリフが持つ意味の解像度を上げてみよう。言わんとしていることは、時代が進むにつれ、若者が弱体化しているということだ。年配の方々は、きっとそうい

飲み会の場に遅れて参加するのは、とにかく気が引ける。迷惑かけたり悪口言われたりが気になって、足が前に進まない。『デタラメだもの』

よほどの権力者でもない限り、自分の時間というものは、ある程度、誰かしらに主導権を握られているわけで。特にお客さんを相手しながら仕事をしていると、そういうことは日常茶飯事。 さあて、仕事も終わったことだし、一杯やりに行こうかしらんと腰を上げた刹那、急な連絡が入り、「夜中までにデザインの修正やっちゃってぇ」などと依頼が舞い込んだりする。詳細内容を確認するために電話をかけてみると、先方は既に飲み屋。ガヤガヤと音がやかましく、内容が聞き取れないなんてこともある。人並みに殺意は覚える

卵かけ御飯について書こうとしていたのに、気づけばエッセイについてのエッセイを書いていた。『デタラメだもの』

外出を自粛したりすることで、物書きとして何に困るかというと、ネタに困ってしまう。あちこち出歩くわけにも行かず、街を行き交う一風変わった人たちを眺めることもできず、新鮮なネタに出会う機会がめっきり減ってしまうというわけだ。 もちろん、何らかの物事に対してそれを改めて見つめ直し、深堀りすることで、もはや当たり前になってしまった事柄に再び光を当ててあげることはできる。人が意識すらしなくなったものに対し、わざわざ言及したりすると、「変わった切り口だね」などと頭を撫でてもらうこともあ

数字を使って説明したり説得したりする行為は、ときに詭弁を弄している場合がある。騙されるな、数字のトリックに。『デタラメだもの』

人に何かを説明したり説得したりするとき、数字を用いると分かりやすいよ、伝わりやすいよといった定説がある。とどのつまり、「この道を真っ直ぐピャーッと走ったら、あっちゅう間に着きますねん!」という感覚に頼った説明よりも、「この道を真っ直ぐ3分ほど進むと到着しますよ」と、クレバーに数字を交えて説明したほうが伝わりやすいよね、という話だ。 とは言え、数字を駆使して説明したり説得したりする行為は、ときに詭弁を弄しているように思えて仕方がない。例えば多数決なんかが分かりやすい例だろう。

カラオケとは戦いの場。気を使わねばならないことが多すぎて、歌唱に集中なんてできるわけがない。『デタラメだもの』

それにしてもカラオケというものは、戦わなければならないことが多すぎて落ち着かない。歌唱を楽しみに行くというのが本来の目的のはずなのに、意識せねばならんことが多すぎるため、のんびりなんて唄っていられない。 人間という生き物は、大きくふたつに分けられる。それは、自らの歌唱中に、店員さんがドリンクを持って室内に入ってきた際に、歌唱を止めるタイプの人と歌い続ける人。このふたつのタイプしか存在しない。じゃあ、自分はどっちのタイプなのかというと、圧倒的に前者のタイプだ。 過去にカラオ