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人生は、3つの「好きで得意」な柱とともに

「正直に言うと…スバキリ一味に入ろうと思ったのは、どうしてもこの仕事がやりたい!と言うよりは、誘ってくれたのましほさんと一緒にやってみたいし、助けたい、一緒に仕事ができるチャンスだ、と思ったからなんです」
 
現在スバキリ一味でリターン画像担当をしている、やましゅうさんこと山口修一郎さんは、スバキリ一味に所属する理由をそのように語る。
 
人との出会いが、新たな世界に足を踏み入れるきっかけになることはよくあるが、その出会いは、実はこれまでの活動の積み重ねが引き寄せるものだ。

やましゅうさんが、スバキリ一味に所属するきっかけとなったのましほさんとの出会いも、まさに、彼がこれまで積み上げてきた活動からつながったものだった。
 
本業はインフラ関係の現場監督、趣味はギター弾き語り、サッカー・鹿島アントラーズの応援、イラスト(似顔絵が得意)、というやましゅうさん。これまでの人生は、この音楽・アントラーズ・絵という、3本の太い柱を活動の軸にして歩んできた


音楽とやましゅうさん


 
「茨城県のド田舎で生まれた」やましゅうさん。

やましゅうさんが「音楽に目覚めた」と自覚したのは9歳のとき。ドラマ「銀狼怪奇ファイル」の主題歌、近藤真彦の『ミッドナイトシャッフル』を毎日熱唱していたのだという。
 
12歳でGLAYの『Winter,again』に衝撃を受け、そこからロックにのめり込んでいく。自分で歌詞を書き、30㎝定規をギターに見立ててかき鳴らす格好をしながら、メロディーをつけて歌っていたのだそうだ。
 
人前での「デビュー」は中学3年生の文化祭。中学最後の文化祭への出演に焦点をあわせたやましゅうさんは、ギターを買ってもらい、3年の4月に仲間を集めてバンドを結成。ギターのやましゅうさん、ヴォーカル、ドラムの3人で文化祭当日を目指して練習を重ねた。
 
そして迎えた文化祭当日。なんどヴォーカルが緊張のせいか逃げてしまい(!)やましゅうさんが急遽ギター&ヴォーカルをつとめることに。演奏曲は大好きなGLAYの『グロリアス』。急なハプニングだったとはいえ、人前で初めて弾き語りをした舞台は、ここまで来ることができたという充実感で「目の前がキラキラしていた」のだそうだ。
 
高校で軽音楽部に入るも、好きなロックではなく、ジャズが中心の部だったため、その後は個人的な活動として、主にアコースティックギターで弾き語りを楽しむように。自分で作詞作曲したオリジナルソングもできた。

高校2年文化祭にて

憧れのGLAYの故郷である函館で初路上ライブを行い、

ショッピングセンターやライブハウスでのライブ活動を続けた。

茨城県日立市イトーヨーカドー前にて
NHKのど自慢の予選にて。GLAYのHOWEVERを生オケで熱唱するも残念ながら予選落ち

そして25歳のとき、やましゅうさんは大きな決断をする。シンガーソングライターとして成功することを夢見て、茨城から上京することにしたのだ。
 
 

アントラーズとやましゅうさん


 
やましゅうさんを構成する2つめの太い柱は「鹿島アントラーズ」。

幼稚園の頃にJリーグがスタートし、地元は、鹿島アントラーズの応援で沸いていた。やましゅう少年は、98年のワールドカップをきっかけに、地元にこんなすごい選手たちがいるんだ!と気づき、心躍らせた。
 
念願のカシマスタジアムデビューは14歳のとき。友人に誘われて行った待望の初カスマスタジアムの日に、なんとアントラーズがJリーグ優勝を果たす。
 
「俺とアントラーズは共にある運命だ」と思い込んだやましゅうさんは、以後、鹿島アントラーズの応援にはまっていく。
 
 
就職先は、鹿島アントラーズの地元スポンサーであった会社に決めた。スタジアムのゴール裏で応援しながら、自分が勤める会社の看板が出ているのを目にするのが、「アントラーズを、仕事を通じても支えられているのかな」と感じられて嬉しかったのだという。
 
2010年、22歳の頃は頻繁にスタジアムに通い、そのたびにのどが潰れ、1週間も声が出ないほど応援していたのだそう。しかし、自分のシンガーソングライターとしての活動を考えたときに、「ちょっとスタジアムに行く頻度を減らそうかな」と考えた。

2012年11月3日。誕生日。ナビスコカップ優勝。唯一大会一試合目からホームもアウェイも皆勤賞で優勝も果たした試合


そして前述の通り、25歳で地元を離れ、上京する決意をする。音楽がアントラーズに勝った?かと思いきや、実際に暮らす場所として選んだのは、知り合いのアントラーズのサポーター仲間が多く住んでいた川崎だった。

2013年7月川崎市等々力競技場にて。


やましゅうさんと運命の女性


 
シンガーソングライターとして生きていくために、都会へ出てきたやましゅうさん。そうは言っても生活するためには、仕事はしなければならなかった。
 
就職先が無事決まって間もない頃、人生を変える人と出会う。のちにやましゅうさんの妻となる女性だ。

ふたりは、鹿島アントラーズのOBによるフットサルイベントの二次会で出会った、同じサポーター同士。
 
結婚を意識したとき、やましゅうさんは、「音楽で食っていく道より、会社員という道を選んだ」。

付き合って2年で結婚。2015.11.15結婚式in東京大神宮

その後、趣味として続けることになった音楽。しかし、のましほさんと出会うことになったK Live Studioにつながるという意味で、大きな役割を担うことになる

絵とやましゅうさん


 
スバキリ一味での仕事「リターン画像作成」の仕事にいちばん近そうな、もうひとつの軸「イラスト」の比重が高くなるのは、音楽・アントラーズに比べると、ずっと後のことだ。
 
絵を描くこと自体は、物心がつく前から好きだった。いちばん最初の記憶は、幼稚園に入るか入らないかの頃。父親が営む自動車板金の工場の様子を見て車の絵を描いたら、父親にとても喜ばれたのだという。
 
自分のイラストで人を喜ばせることができるのだとはっきり自覚したのは、今から10年ほど前のこと。
 
Facebookを利用するようになって、そこで流れてくる知り合いの誕生日に、似顔絵を描いてアップすると大変喜ばれたのが嬉しく、人の似顔絵を描くのとてもが楽しくなったのだそう。
 
マンガのように想像して描くものは苦手で、視覚的な情報から写実的過ぎず、デフォルメしすぎず仕上げるのが、やましゅう流だ。

堀江貴文氏の似顔絵をSNSで投稿したら、ご本人のFacebookでシェア投稿されるというとても嬉しい出来事もあった。

この似顔絵を描くというスキルではじめて対価をいただいたのは、それから2年後、2020年のこと。イベントの入り口でお客さんの写真をスマホで撮り、展示を見てもらっている5~10分ほどのあいだに、似顔絵を描き上げるというサービスだった。
 
はじめてにもかかわらず、3日間で30名ほどの方が依頼してくれた。お客さんとコミュニケーションをとりながら、似顔絵を描く楽しさを知ったのだという。
 
手帳の制作や挿絵を描いたり、マスコットイラストを作成したり、少しずつ「副業」として、イラストやデザインの仕事をもらうようになっていた。

2021年 大阪市の結婚相談所 アイキャン様のマスコットイラスト作成


音楽とアントラーズとイラストが絡み合って


 
やましゅうさんにとって、今につながる大きな転機となったのは、地元の音楽の先輩であり、アントラーズのサポーター仲間でもあるキッペイさんの、音楽配信番組にレギュラー参加するようになったことだ。この番組K Live Studioは、2020年から1回2時間を週2回続け、放送は現在230回を超えている。

ここでやましゅうさんは、得意のイラスト(似顔絵)を活かし、ゲストに似顔絵プレゼントするというコーナーを持つようになる。のちにのましほさんがゲストで出て、この番組で運命の出会いを果たす、というわけだ。
 
3~4回画面越しで会ったのちに、のましほさんとリアルで対面したときの印象を、やましゅうさんはこう表現する。

「画面通りのテンション高い美女でたじだじ。すぐ意気投合(変な意味じゃなくて!!!)」
 
実はHSP (Highly Sensitive Person=非常に感受性が強く敏感な気質もった人)という特性を持つやましゅうさん。いろんなことを感じすぎて、人に気を遣い疲れてしまうことが多いが、のましほさんには気を遣わないのだという。
 
豪快に笑い、自分の意見を持って明るくズバズバと話す一方、周りの人たちの「こうありたい」を誰よりもくみ取ることができるのましほさん―やましゅうさんがのましほさんを慕う気持ちは、彼女を知る人ならば、共感できるはずだ。
 
 
のましほさんに誘われてはじめたリターン画像デザインの仕事は、イラストを描くのとは違う。本職で使っているCADと、イラストの中間のような感覚なのだとやましゅうさんは言う。
 
「最初はディレクターののましほさんが、細かく指示しながら教えてくれたんですけど、慣れてきて、のましほさんがイメージしていることを読めた!と思えるときがとても嬉しいんです」
 
そう語るやましゅうさんは、姉御を慕う弟分か…師匠を敬う弟子のようだ。この人のために働きたい!と思える人に出会えるというのは、大変に幸せなことだ
 
 

コラージュを楽しむ


 
やましゅうさんの得意なイラストに「コラージュ」と呼ばれる類のものがある。単純に似顔絵を描くのではなく、ぴんときた何かを掛け合わせたイラストにするというものだ。
 
例えば、書道家蘭鳳という肩書を持つのましほさんなら、鬼滅の刃に出てくる禰󠄀豆子は竹をくわえている…書道家の筆も竹でできている…という連想が働くそうだ。

このアイデアは、感受性が強く、無意識で常にアンテナを貼っている状態だから生まれやすいのだという。起きているあいだはずっと頭がフル稼働して情報を受け取っているわけだから、疲れやすいというつらさはあるが、それが自分の得意につながり、生き方となっているという自負もある
 
「いつか、このイラストやデザインの仕事の比率が増えて、それで食べていけたらいいですね…。例えば、アントラーズのグッズ制作に関われたり、憧れてきた方たちの作品に関われたりしたら本望ですね」

惚れ込んだものには、深く、長く愛情を注ぐやましゅうさん。今まで育んできた「好き」や「得意」はきっとコラージュイラストのように掛け合わされ、新たなものが生まれるだろう
 
のましほさんに惚れ込んで足を踏み入れたスバキリ一味の仕事を通じての出会いも、このコラージュの一要素になっていくに違いない。


取材・執筆―石原智子

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