低音の魔術師

低音の魔術師

心臓が苦しい、病院へ、と申しましても今回は催眠療法の先生の所へ参りましょう。
この先生は主な著書に「負けず嫌いは老化の始まり」とか食品添加物の事を書いた「家畜の餌」とかがあるのでございますが、
こんな事を書いているが故に世間からの風当たりも強いのであります。敵が多いのでしょうねえ、
しかし循環器科の病院へ行っても、
「はい、不整脈です、ストレスですなあ、まあこんなご時世ですからねえ、、」
ってなところが普通の医師の台詞なのでしょうねえ。
まあ前置きはよろしいとして、早速催眠療法とやらを受けてみましょうかね。
老先生なのですが、まあお元気なお方です。
「ちと今日は先約がおってのお、そちらの部屋で待っててくだされ。」
私は言われるままに案内された部屋に入りました、
室内では何の音楽か分かりませんが床が振動しております。
それにしても不快とも言えるベース音とリズムですなあ、
どうやら頭がボーッとして参りました、、、

「俺は仲間とこの駅のホームで待ち合わせだ、ちとばかし早く着いたらしい、
おっ、知り合いの女二人がベビーカーの子供をアヤしているじゃあねえか、
ほっこりするねえ、俺は彼女等に挨拶でもと近づいて行った。
彼女達は俺を見るなり表情を曇らせて顔を背けた。
なる程そうか、分かるような気がするぜ、こんな時代だものな、嫌われて当然だ、
(鼓動が早く息が苦しくなる。)
納得した俺は待ち合わせの電車に乗るべく改札を通りホームへ出た。
意外とホームは混雑していた、しかも誰も並んでねえ、
俺は列の先頭に並ぶことにした、すると後ろから『ちゃんと並べ!』と怒鳴られた。
振り返ると何故かちゃんと皆並んでいるではないか。
仕方なしに最後部へと歩いていると皆一斉に進行方向へと走っていった。
どうやら待ち合わせの電車は短い編成らしい、
電車が到着したので俺は急いだ、さあ乗るぞ、と足を踏み入れようとした途端ドアが勢いよく閉まった。
やれやれ、辺りを見渡すと仲間も同じく乗りそこねたらしい。
俺たちは次の電車を待った、やがて電車が到着したが中が真っ暗だったので回送電車かと思いきや
目を凝らすと乗客が見えたので乗ることにした、が直ぐにドアは閉まり発進してしまった。
(不安で鼓動が早くなる。)
何故乗れないのだろう?ふとホームの地面を見ると数多の目が俺を睨んでいた。
(これらの目が巨大な化け物となり俺の肩から心臓にかけてグサリと斧を振り下ろすのだろう。)
そうなのか、俺はこの世界から嫌われているのだと確信した。
(落胆以上に体が熱を持ち鼓動激しく、しかも自分がうなされているのがわかる)
しかし俺達が乗ろうとしていた電車は一体何処へ向かうのだろう?

俺は駅を出て近くの河原を散歩していた。
川と言っても所謂ドブ川だ、そこに女の子がいてどうやら川を渡ろうとしているらしい、
小さい川とは言えドブ川だ、入って渡ることはあるまい、
近くの橋まで行って渡るものだと思っていた、
しかし彼女はそのまま汚いドブ川に入って泥だらけになって渡った。
どうも少し障害でもある子供なのだろうか?
俺は渡り終えたずぶ濡れの女の子に君の家まで心配なので送っていこうと言った、
女の子は黙って頷き歩きだした、俺はその子の隣を歩いていた、
やがて家らしき建物が近づくにつれて女の子は小悪魔的な大人の女になっていた。
俺はこの娘を早く家に帰さないと取り返しがつかない事になると察した。
(きっとこの繰り返しがいつでも起こっているに違いないのだ、危険な香りと変異する子供)
すると聞いたこともない大きな音がした。

目の前に老先生がおりました。
まだ大きな音の名残があるようです。
重低音がランダムにボツボツブーブー鳴っています。鼓動も激しく打っております。
「無理してウイルスに打ち勝とうとか又其の逆に翻弄されておっては心臓への負担はかなりなものじゃからのお、なのでいっその事ウイルスとの同化を狙ったのじゃ、しかも重低音という一つの信号をあんたの心臓と同期させてランダムな信号をこの部屋で鳴らして夢をみてもらうと言う手法なのじゃよ、あんたがどんな夢を観たかは知らぬがさぞかし不快なものだったじゃろうて、、
暫くはボーッとしてるがそのうち落ち着くはずじゃ、、」
私は医院を後にしました、外は夕焼けと言うよりは朝日と言うよりは曙とでも申しましょうか、
先程の院内で鳴っていた重低音が嘘のような爽やかな笙の音が聞こえて参りました。

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