『現代思想』臨時増刊号「総特集:立岩真也 1960-2023」の感想

 『現代思想』(青土社)の臨時増刊号「総特集:立岩真也 1960-2023」を読んだので感想を書く。それぞれの筆者が立岩の断片を綴っている。知り合いの知り合いなどゆるいつながりのありそうな人もいるが、敬称はすべて略としたい。本書の寄稿者は【】で表記してある。
 立岩の名を知ったのはいつだろうと記憶をたどってゆくと、2000年代のなかばに、だめ連やら松本哉の法政の貧乏くささを守る会やら素人の乱について、細かい解説が書かれたサイトがあり、それが立岩が立ち上げた生存学研究所のサイトarsvi.comだった。執筆者は本書にも寄稿している【村上潔】だった。そこからすぐに立岩に直結したのではなく、立命館大学の大学院で難病の当事者や支援者などが研究を行っており、それを主に指導している研究者として立岩の名を意識したのだと思う。それでも訃報が報じられるまで立岩の本は1冊も読んだことがなかった。読もうと思ってはいたが、手に取る機会がなかった。すぐに読もうと思い立つような類の本ではないのは事実だけれども、あっという間に忘れられて消費されていくような本でもないのだから、訃報をきっかけとしてでも読む機会が生じたのは良かったのだと思う。読んだのは『良い死/唯の死』(ちくま学芸文庫)だが、やはり文章が込み入っていてわかりにくい。何となく言いたいことはわかる。そもそも生や死について誰もが考えるきっかけはあるだろう。生命倫理学うんぬんではなくとも、著名人の、あるいは身近な人の訃報を受けて、何か思いを馳せる経験は誰しもあるはずだ。立岩のテキストには最終的には何を言いたいのかわからず、もっとはっきりとして欲しいと思うもどかしさもある。特に立岩の読者には、医療や福祉に関わる当事者や関係者も多いのだろうから、そういう人たちへ向けてもっとわかりやすいメッセージを提示すべきではないかとも考えた。それは【安積遊歩】の父が編集者をしており、立岩の文体を「こんなに独りよがりの文章を書いていたんでは分かってもらえないぞ。何が言いたいんだか、平易に読者に何を伝えたいのか考えながら書くのが学者というものでならなければならない」と厳しく評したなる逸話とも重なる。さらに安積は、立岩のアルコール嗜癖のやっかいさについても触れており、きれいごとだけで片付けないフェアなテキストだと感じた。
 もっとわかりやすく書くべきとは思うが、簡明なメッセージを提示してしまっても取りこぼす何かがあるはずであろうという確信や危機感が立岩にはあったのではないかと思う。マニュアルやポエムに寄ってしまっては、本質を取り逃してしまう。一見すれば、雑に扱われてしまうもの、軽く流されるものに辛抱強く向き合おうとしていたのではないか。立岩のテキストとてポエム的ではあろうが、自己啓発本のようなそれとは明らかに質的に異なるものだろうと思う。
 立岩は大学院に様々なバックグラウンドを持つ学生を受け入れた。【天畠大輔】は「ついに来たか」と歓迎され、東京の自宅からスカイプを通して指導を受けた。天畠は「手も足も口も自由に動かすのできない」体であり、研究や論文執筆には介助者の協力が不可欠だ。そのため「本当に自分の論文と言っていいのか」とジレンマを抱えていた(ネットではこの点について疑義を投げかけている人もいる。このテキストは1ヶ月ほど前に草稿を書いて中座していたのだが、その間に天畠に大学進学の道を開いたルーテル学院大学の学生募集停止の一報が入ってきた。こういう大学こそ残って欲しいとは思うのだが、現状は難しいのだろう)。研究の進め方に悩む天畠に立岩は研究なんて誰がやってもいい、何人でやろうと結果が良ければよいと鼓舞したという。これは私も共感するところだ。
 私は31歳から33まで社会人大学院に通い修了した。修士論文のテーマは「近代日本における民間地図の出版流通の展開」とした。研究手法は、国会図書館にある古い地図を大量に閲覧し、そこに記された奥付情報や、作図の手法などを調べてひたすらエクセルに記入してゆき、その後、集計を行いおおよその傾向を導き出すものである。この研究はまさに「誰がやったっていい」「何人でやろうと結果が良ければよい」類のものだ。中間発表ではある教員から「調べたことをただ書くだけではないか」と批判を受けた。確かに「調べたことをただ書くだけ」のものだが、やらないよりはやった方が良いもののように思う。【小川さやか】は立命館大学生存学研究所が毎年発表する「生存学奨励賞」で立岩がおなじみの文体で、評価しているのかしていないのかわからない謎の講評を連発していた逸話を紹介している。江口怜『戦後日本の夜間中学:周縁の義務教育史』(東京大学出版界)には以下の評価が加えられる。

ただ調べて書くだけ、というのは、なにかよくないことのように言われることがあるが、そしてそんなことしかできませんみたいなことを謙遜?して言う人たちがいるのだが、しかし、だったらこの本ぐらいーーというのは明らかに言い過ぎだ、そんなにがんばることはないーー調べて書いてほしいものだと、まずは、こちらにたくさんいる大学院生たちに言いたくて、審査の終わったこの本を、こちらで書庫と言っている場所に、並べてーーつまりそれは販売に貢献しないということなのだがーー置いて、読んでもらおうと、その前にまずはその質量を味わってもらうと思う。

 文章はまわりくどいのだが、誰でもできる「調べて書く」ことすらやっていない領域や分野があって、ひとまずそれを最初にやった人には何かしらの評価が与えられても良いものだと立岩は言っているのだと思う。修士論文ばかりでなく、私の「村崎百郎論」もまさにそうしたもので、資料はほとんど古雑誌や国会図書館や大宅壮一文庫でそろえた。レアなミニコミの『解放治療』の6万字インタビューのデータだけは虫塚虫蔵より提供してもらった。
 批評や評論を書くようになったきっかけは大学院での学びが大きい。もともと何かを書こうとは思っていたが「論文の書き方」や「ものの考え方」が大学院で補強されたように思う。大学院は修士論文を執筆するにあたり研究計画書を作り検討する。それをゼミナールで投げかけると、だいたいはボコボコにされるのだが、そこからブラッシュアップを重ねてゆく。先に評論の落選作一覧を記したが、これらもそれぞれに計画書を作った。それは「自分で作って自分で検討する」ものなので、さほど意味はないように見えても、少しは客観的な目線が注げた。
 もともと、大学院進学を考えるにあたり、ぼんやりとではあるが文系で自分の興味関心と合致する進学先を考えており、立命館大学の先端総合学術研究科のその一つだった。この大学院は公共、生命、共生、表象の4つのテーマ領域があり、横断的な勉強ができる。複数の教員による指導体制も取っている。魅力的な場所に感じたが、進学するにはまず京都に移住しなければならないし、学費も高めだった。博士課程の学費は実質無料(これは、現在はおおよそどこの学校でもそうだ)なのだが修士までの学費は工面する必要がある。【杉田俊介】は『週刊金曜日』の追悼文では立岩から大学院への三年次編入を提案された話を記していた。それは杉田が立岩に特段目をかけられていたのではなく「誰にも期待し、誰にも期待しない」立岩のスタンスではなかったかといった話を記していた。
 単純な話として京都での学生生活への憧れもあった。もっとも、コロナ禍で海外旅行ができなくなった三年間でよく関西を訪れ、京都へも泊まったが、夜の早さと暗さにはちょっと参った。とはいえ、それは東京その他が「無駄に明るすぎる」対比でもあろう。あとは、かつてmixiでやりとりし、実際に東京で1度会ったMさんという人がおり、彼は京都で学生時代を過ごしていた。Mさんは実家のある福井県におり、大阪へフィッシュマンズの映画を見に行った話もしていたので、京都まで来てもらい飲もうかと思ったのだが、1年ほどツイッターの更新が途絶えた。数ヶ月単位の沈黙はある人だったが、1年はさすがに長いなと思い、本名を検索したらおくやみ情報が出てきた。全国の故人を網羅するもので、地方の方が充実しているのは地方の新聞では一般人でも訃報が載ることが多いため、そこを情報源としているのだろう。よくある名前なのだが居住地と年齢が一致しているので、Mさんはもうこの世にはいないのだとわかった。
 大学院で立岩が担った領域である「生命」に関しても、もともと興味があった。高校生のころに山崎章郎の『病院で死ぬということ』(文春文庫)を手に取った。きっかけはテキストの一部が、保健体育だか現代社会の資料集の一部に載っていたためだ。市川準による映画化作品もレンタルビデオ店で借りて見た。フィックスで固定されたカメラに患者と医者が映り込み、淡々とシーンがすぎてゆく話だ。山崎はホスピスを運営していた。余命いくばくもない患者が最後に自分らしく過ごす。そこでは酒を飲んでも良いしタバコを吸っても良い。塩と油の集合体であるラーメンやカレーを食っても良い。大切な人や好きな人を招き入れて一晩過ごしても良い。あらゆる人間らしい自由の追求(それは愚行権とも呼ばれると、のちに関連する本を読んで知る)が可能となる場所だ。ところが山崎のその後の本を読むと、そういう「作られた場所」に対する疑問も生じたようで、次に山崎は在宅での看取り医療をはじめ『家で死ぬということ』(海竜社)を上梓している。
 闘病記も網羅的にとまではいかないがよく読んでいた。33歳で亡くなったライターの奥山貴宏の日記本も読んだ。彼は自分の半生を小説『ヴァニシングポイント』(マガジンハウス)に著し、刊行の3日後に亡くなった。日記本を読み感動した読者が本書を手に取り、内容に幻滅した人もいたようだ。詳しくは書かないが「そんな人だとは思いませんでした」といった声を「まあそうだよな」と思う一方で、不可思議な気持ちで眺めていた。相手に一方的に期待して幻想を重ねて、その通りでないと、途端に敵視を始める。そうした行動を見せる人間がとても苦手なためだ。気になる人は実際に読んだら良いと思う。私は同業者として出版業界あるあるは面白く読んだ。
 本書にも寄稿している【森岡正博】の『無痛文明論』(トランスビュー)も読んでいたし『脳死の人』(福武文庫)も手に取った。脳死は人の死かは生命倫理学ではよく議論されるテーマだ。脳死を認めれば臓器移植が可能となり、助かる命は増える。そういうことにしましょうかという、何となくの流れに森岡は果たして本当にそうだろうかと疑問を投げかけていたと思う。立岩は森岡の後輩にあたり、森岡が開いていた生命倫理学の研究会で知り合った。『無痛文明論』は立岩の『私的所有論』(生活書院)がなければ生まれ得ない書物だったという。何年かに一度学会で会い、短く話をする関係だった。本書に追悼文を寄せる人には少なからずそういう人がいた。大学生でなくなると、毎日のように会い、時には酒を飲むような関係性はなかなか築けなくなる。【大澤真幸】も立岩とはそうした関係だったという。一時期、大澤は京都大学に、立岩は立命館大学にいたのだけれども、同じ街にいたとて、時間や都合が合うわけではない。大澤は「立岩真也は、そうとは自覚することもなく、いわば己の制御の及ばないところで、形而上学や哲学の発展にも寄与していた」と評す。大澤が指摘する通り、立岩の射程の広さはある。だからこそ、私の興味関心の外縁に(中心ではない)立岩がいる(いた)のだと思う。

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