投稿評論落選作一覧

 2022すばるクリティーク賞の受賞作「90年代サブカルチャーと倫理:村崎百郎論」は10作目の投稿作品だった。
 10作の内訳は『群像』(講談社)の「群像新人評論賞」が4回、『すばる』(集英社)の「すばるクリティーク賞」が5回。『美術手帖』(美術出版社)の「第16回芸術評論」が1回である。「すばる」は第1回から応募し、最後の年に受賞に至った。このうち一次選考を通過したのは「美術手帖」のみだ。ほかの作品はどの程度の評価を受けていたのかは定かではない。とはいっても、受賞作はあったとしても1つか2つなので、模擬試験の結果のように「応募100作中、あなたは25番目でした」伝えられても意味はない。少なくとも最終選考には残る必要がある。
 「群像」の締切は4月末、「すばる」は8月末なので、1年のうち2作の評論を書くペースが存在した。群像は冬の間に考えていたことを春に記し、すばるは夏休みの宿題を提出するような気分だった。最初の評論作を送ったのは35歳で、何となく40歳までに形になれば良いと考えていた。はからずも村崎論は39歳の秋(私は早生まれなのでまさに40歳の学年である)に受賞連絡を受けたのは感慨深い。
 これまでの落選作を一覧に記しておこうと思う。というのも、先日あるライター募集に応募し、面談に行ったのだが、自己紹介としてネットに公開している「主要執筆媒体一覧」だけでは、私自身がどのような人物であり、興味関心なども十分に伝わっていないように思われたためだ。
 落選作なのだからダメな理由は明確にあるのだとしても、少しは良いことを書いているようにも思える(その点で言えば「0点」の評論などないだろう)。それぞれおおよそ50枚ほどの原稿を2000~4000字くらいに圧縮すれば、何かしらのテキストが成立するかもしれない。もし出版ほかメディア関係者で興味を持たれた方は連絡をいただきたい。単に読者として読んでみたいという奇特な方もいればご連絡をいただければ、原稿のデータ(基本的にwordファイル)を送ります。

1、「永山則夫と中上健次:「未完」への問い」
【応募先】2017年群像新人評論賞
 中上健次と永山則夫双方の来歴と交歓を追ってゆくもの。ありきたりなテーマではあったと思う。永山則夫が死刑確定後に東京拘置所の中で書き続けた未完の大作小説『華』(河出書房新社)を通読し、感じるところを書いた。以前、永山に関わりの深い編集者と話した時「『華』を全部読んでるのは日本で5人くらいしかいない」と冗談交じりに話していたので読んでみた。『華』は「怪物的駄作」(細見和之)と評されるように決して面白い小説ではない。長く勾留された人間が見せる精神の異常の現れであり、精神科医はじめ専門家が見たら何かしらの診断が下りそうなテキストだ。この長く退屈な小説が中上健次の晩年の未完の大作『異族』と似通っているので、永山と中上を絡めてみた。

2、「山川方夫:越境者の肖像」
【応募先】すばるクリティーク2018
 永山・中上論を書いたのち、第1回のすばるクリティークへは山川方夫(まさお)論を送った。山川の代表作「夏の葬列」は中学校の国語の教科書に載っており強く印象へ残っていた。山川は戦争を経験した作家として語られる場合が多いため、異なる姿にスポットを当てようとした。
 山川は戦争(だけ)の作家ではない。それでも戦争を否応なしに通過、体験した作家でもある。「夏の葬列」に出てくる艦載機からの銃撃は山川が居を構えていた神奈川県の二宮で実際に体験しているものだ。
 山川の隠れた仕事としてテレビドラマの脚本がある。今で言えば放送作家のような仕事をしている。山川は1930年生まれなので、大学卒業は50年代のなかばであり、この時期、テレビ局に第一世代として就職していった友人たちが、書き仕事を山川に依頼していたのが実情のようだ。
 山川の小説はおしならべてスマートだ。ところがテレビドラマには戦争体験のトラウマが扇情的に書き込まれる(登場人物の一人にはケロイドを持たせている)。山川は映画評も手がけており、その一部は『目的をもたない意志 山川方夫エッセイ集』(清流出版)に収められている。映画評も小説の印象と異なり、かなり過激な論調で怒りを露わにしている。
 山川は34歳で交通事故死しているので、その後にあり得た可能性を紡ぎやすい。高崎俊夫編『親しい友人たち 山川方夫ミステリ傑作選』(創元推理文庫)に解説を寄せた法月綸太郎は、山川が生きていれば純文学とミステリのジャンルがもう少しクロスオーバーしていたのではないかと指摘する。「夏の葬列」は戦争を描いた作品だが、どんでん返しが盛り込まれたショートショートの題材の一つだ。巧みなストーリーテーラとしての山川の功績は日下三蔵編『山川方夫ショートショート集成』(ちくま文庫)として2巻組にまとめられている。山川は複数の再評価を受けているので、まったく無名の人ではない。私の試みも既存の指摘を超え出るものではなかったように思う。
 私事としては8月の終わりに本論を書いている途中、おばあさんが92歳で亡くなった。7月生まれなので誕生日を超えて1ヶ月あまり生きた。最後の何年間は寝たきり状態であり、少し前には肺炎を起こしていたので、このまま亡くなってしまうとは思っていた。執筆を中断し葬儀を済ませ、自宅へ戻り締切日に投稿した。はからずも死の記憶がともなう論となった。

3、「戸村一作の闘争」
【応募先】2018年群像新人評論賞
 この年のテーマに選んだのは戸村一作だった。成田空港の建設に反対する三里塚闘争の初期に中心となった人物だ。
 私は千葉県出身なので三里塚闘争にはかねてから郷土史の一つとして興味を持っていた。三里塚闘争は複雑な構造を持つ。建設予定地には中世から続く古村、戦前に開拓に入った入植者、さらに沖縄出身や満州引き揚げ者による戦後の入植地が混在していた。そうした土地ゆえに買収が容易と見込まれ候補地とされた。このあたりの経緯は福田克彦『三里塚アンドソイル』(平原社)に詳しく記されている。
 利害も理念もバラバラな反対諸派の中心人物となったのが、地元で農機具商を営む戸村だった。戸村は仕事で余る鉄くずを使い彫刻を作る。詩を書き絵を描く芸術家である。クリスチャンであり、一作の名はアムラハムとサラの子であるイサクから取られている。旧制成田中学(現・成田高等学校)を卒業したインテリでもある。
 小川紳介の三里塚ドキュメンタリーを眺めると、戸村はメガネ、ベレー帽、チョッキ姿であり、ほかの農民たちの姿と異なる。かといって村社会のボスのような風体でもない。戸村が反対同盟の代表に選ばれたのも、他に適任者がおらず、特定の利害に与しないニュートラルな人物である理由もあったようだ。
 戸村論を書くにあたり、はじめて図書館で聖書を借り受けた。そうしたレベルではキリスト教理解が十分にできるはずはなく、素描を行うだけのものになってしまった。
 三里塚は旧国名では上総(かずさ)に位置する。現在の千葉県は下総(しもふさ)、上総、安房(あわ)の三国から成り立っているが、それぞれの地域は文化も言葉も異なる。小川紳介のドキュメンタリーに登場する老人たちはひどく訛っているが、その言葉は私の祖父母の世代の人間が話していたものでもあり、私もかろうじてヒアリングは可能だ。戸村の喋りにも方言が入っているが農民たちが話す極端なものではない。そうした細部にも着目したが付け焼き刃となってしまったのは否めない。

4、「「歴史する」身体:穂苅実と中上健次」
【応募先】すばるクリティーク2019
 中上健次のルポルタージュ作品『紀州 木の国・根の国物語』(角川文庫ほか)と32歳で亡くなった歴史学者の保苅実の唯一の著作『ラディカル・オーラル・ヒストリー:オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』(岩波現代文庫)を対比させたもの。
 保苅はオーストラリアに留学し、先住民族であるアボリジニの歴史の語りに着目する。古老の話は荒唐無稽なものだが、それを事実ではないからと退けず、まず向き合ってみる。そうした行為から歴史を記述する側の正当性を担保する根拠は何かと問いかけるものだった。それでも保苅の語りは、ガッチガチのレフトな人のそれではなく、ロードムービーを眺めるようなゆったりとしたものである。「歴史する身体」は保苅の提唱した概念で、歴史を過去の完結したものではなく、現在も変化を続ける動詞として捉えるものだ。このアプローチは中上の「紀州〜」と重なるものがあるのではないかと考えた。
 「ラディカル〜」は保苅の博士論文が元になっている。出版時、保苅の病状が深刻であり、英語で書かれた博士論文を別の研究者(日本人)が日本語に翻訳する方法が取られた。生の語りを、文字へと変換する過程で起こり得るものは何かといった問いは、中上が「路地」のオバやアニたちの語りを小説へ仕上げてゆく姿とも重なる。
 中上は「紀州〜」で「事物」という言葉を繁用している。氾濫する「事物」への抵抗、対抗の手段としての語りや記述を模索する。こうした話にも向き合おうとしたが十分なものにはならなかった。さらに最近、国立近代美術館で開催中の中平卓馬展を訪れたが「事物」のフレーズは、中平に由来するものであるようにも感じられた。中上と中平は写真と小説によるコラボ連載を持っていたが、中平の体調不良を受け中座している。
 この論の出発点は間違っていないだろうが、その先にある歴史学や文化人類学の無数の議論の積み重ねも追えていないし、やはり中途半端なものとなってしまっただろう。

5、「ナム・ジュン・パイクの日本(語)」
【応募先】美術手帖芸術評論2019
 2019年の年明け締切で「美術手帖」が芸術評論を募集したので書いた。唯一の一次選考通過作である。
 内容はナム・ジュン・パイクが書いている日本語が実はヘンテコなものなので(それは外国人だから日本語が下手とか、変な間違いをしているとかそういう次元のものではない)、その背景をパイクの来歴とともに探ろうとしたものである。パイクの映像/ビデオ(アート)ではなく言葉や思考に着目した切り口は良かったと思うがワンアイデアの域を出るものではなかった。
 この原稿は年末年始にタイのバンコクの公共図書館とカフェに籠もって執筆した。春先に受賞者が発表され、選からは漏れたのだが、授賞式の招待状が来たが次の海外旅行の予定が入っていたので断った。

6、「1999年の昭和/平成論:青山真治とshingo2を中心に」
【応募先】2019年群像新人評論賞
 この年の5月1日、平成から令和へ改元が行われた。群像の締切は4月末、そこで自分なりの平成論を紡ごうと考えたのだが、典型的な時流への迎合であろうし、どこかで見たようなサブカルチャー評論にしかならなかったように思う。
 平成を振り返る時、とらえどころのなさがよく指摘される。昭和が64年間も続いたので、社会の圧倒的多数派は昭和生まれとなる。それゆえ、平成は昭和から地続きの場となり、存在感が薄くなる。
 青山真治が1999年に公開した映画『シェイディー・グローブ』にも、平成が存在せず昭和が続く世界線がある。作中の1999年は昭和74年だ。この映画は上映時間が99分であり、撮影素材には35ミリフィルムとデジタルが混在する。取り上げられるテーマはストーカーやら神経症やらアダルトチルドレンやらヘヴィーなものなのだが、テイストはポップであり、ちぐはぐな印象を受ける。もう一つの1999年だからこそ現れ得た名作shingo2『緑黄色人種』と絡めながら、昭和/平成像をサブカルチャーの磁場から浮き上がらされようとしたのだが、うまくいっていない。
 なお、この作品も海外旅行先で書いた。滞在先はマカオで、宿代が高いので国境を超えた中国側の経済特区の珠海に宿を取る。毎日、国境を超え、マカオのカフェや24時まで開いている公共図書館で原稿を書いた。香港へも移動し深夜のマクドナルドで書き、最後は香港の大きな図書館から原稿を送る。再び珠海へ移動し、労働節の大型連休の祝祭ムードに包まれつつ改元を迎えた。

7、「新国誠一:モダン×アップデート」
【応募先】2020すばるクリティーク
 現代詩の詩人である新国誠一(にいくにせいいち)を論じたもの。この少し前に新国の存在を知る。soi48のイベントで江村幸紀さんが流しており、その世界に惹き込まれた。新国はコンクリート・ポエトリーの実践者だ。それは「言葉の意味を排除し、形式・形態にこだわった詩」(Wikipedia)であり、表現手法はテキストばかりでなく音声や図も用いられる。新国の諸作品は検索で出てくるので、眺めた方が理解が早いだろう。新国の作品に関し、解釈の拒絶、意味からの離脱みたいなテーマをスーザン・ソンタグ『反解釈』などを参照にしつつ描き出そうとしたが、これも思いつきの域を出ないものだった。

8、「〈南〉への旅:中上健次未完作品論」
【応募先】2021年群像新人評論賞
 またもや中上である。中上は三島由紀夫と違い無数の未完結小説+漫画原作+その他の仕事を書き散らかし亡くなった。中上の未完作品の多くは<南>(方)を志向する。この<南>は物理的な方角ばかりではなく、中心に対し周縁をなすものであり、アイヌも<南>的なものとなる。青アザを持つ人物たちが沖縄、台湾、フィリピンと南下を遂げる『異族』と同じ構造を持つ劇画原作の『南回帰船』はよく知られる。ほか『熱風』は『週刊ポスト』(小学館)に『大洪水』は『SPA!』(扶桑社)と、晩年の中上の作品は文芸誌の外側で紡がれた。晩年の中上は、台湾を舞台に秋幸が出てくる小説を構想していたというが実現していない。ところが『BRUTUS』(マガジンハウス)に発表した掌編に「アキユキ」が一度現れる。散逸する中上の最後の仕事を自分なりに整理しまとめようとした。内容が内容だけに分量が100枚近くとなった。ありきたりなものであったとは思うが、書いておきたい内容ではあった。

9、「偶然の小説家:宮崎誉子論」
【応募先】2021すばるクリティーク
 今はなくなってしまった『リトルモア』という文芸誌が90年代に創刊された。『Quick Japan』(太田出版)と同じA5判型で、書店では近くに置かれていたので気になる特集は買っていた。この雑誌は「ストリートノベル大賞」を開催しており、第3回大賞に選ばれたのが宮崎誉子の「世界のおわり」だ。タイトルはミッシェル・ガン・エレファントのデビュー曲から取られている(宮崎はチバユウスケの訃報をどう受け止めたのだろう)。この時、彼女は27歳で写真屋で働いていた。当時、街のそこかしこにあった写真ラボも今はすっかり消えてしまった。2000年代なかばにロスジェネが取り沙汰されるようになると、工場労働の話を描く宮崎は現代のプロレタリア文学だと称賛された。そのブームもすぐに去り、しばらくしたら彼女は親の介護の話を書いていた。その後、両親は亡くなり、彼女はなおも労働の話を描いている。
 90年代デビューの作家では、鈴木清剛も『ワークソング』(小学館文庫)で「ネジ工場」の話を書いているのも、クリエイティブと単純労働のクロスオーバー、隣接という意味で興味深かった。あっという間に消息不明になる新人作家が大半であるのに対し、彼女が生き残り書き続けている理由を、1990年代か2000年代の空気と絡めて書こうとしたのだが、これも対象に肉薄するものではなかっただろう。

X、幻の中上論
 2021年群像新人評論賞にも、再び中上論を送ろうと思案していた。昨年のテーマは総論だったので『異族』『南回帰船』に絞った各論を書こうと思っていたのだが、コロナに感染し入院を余儀なくされた。最初はホテルで療養する予定で、数日の缶詰時間が出来たとバッグに資料を詰め込むも、体調が悪化し肺炎を発症した。病院のテーブルで書く(見沢知廉のようだ)ことも考えたが、消灯時間も早かったので諦める。

10、「90年代サブカルチャーと倫理:村崎百郎論」
【応募先】2022すばるクリティーク
 村崎論を書こうと思い立ったのは、東京オリンピック・パラリンピック開催前のゴタゴタを眺めた後である。タイトルはいつも最後に付けるか、途中で二転三転するのだが、この論は最初から決まっていた。執筆を前にして伊豆のまぼろし博覧会を訪れたのは、墓参の挨拶の代わりでもあった(村崎の墓は故郷の北海道にある)。

 
 
 
 

 

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