カンボジア断想

 8年ぶり2度目のカンボジア渡航の断想を記す。旅先で役に立つであろう情報もなるべく盛り込みたい。

【出入国カード紛失】カンボジア入国時に記す出入国カードを紛失した。カンボジアの出入国カードは入国時に半分が回収され、出国カードにスタンプが押され返される。これを出国時に提出するのだが紛失した。パスポートに挟んでいたはずだが、カンボジア最終日、ポイペトの宿で紛失に気づく。荷物をひっくり返したが最後まで見つからない。カンボジアは宿泊時にパスポートを見せる。スマホで写真を撮る宿もあれば、コピーを取る宿もあった。計8回同じ作業を繰り返しているのでで、どこで紛失したのかは定かではない。ツイッターではカード紛失に関し「職員にブチギレられた」「10ドル取られた」「お咎めなしだった」など複数のケースが報告されている。
 私の場合、タイへ抜けるポイペトのイミグレで「LOST(無くした)」と伝えると、メガネの上長が出てきて、別室ではなくイミグレ脇のデスクに通され「再発行に5ドル必要だ」と言われた。上長の英語はとてもゆっくりで聞き取りやすい。タイバーツ支払いも可能でこの場合は200バーツ(現在のレートだとドルで払った方がお得だ)だった。
 ポイペト国境は、かつては正式な職員がビザ発給時に上乗せの金額(賄賂)を要求をしてくると伝えられおり、イミグレでは「この場であらゆる金を払う必要はない」みたいな掲示があった(現場は撮影不可)。今回の場合は明らかに非が私にあるので支払った。こうしたケースの対応は現場の人間の裁量、判断が大きい。出国カード紛失に関して一律の規定はないだろう。さすがに出国させてくれないことはないと思われる。

【ドル札とババ抜き】カンボジアでは自国通貨のリエルとともに米ドルが流通している。おおよそ1ドル=4000リエル換算で用いられる(スーパーや駅などは4150リエルなど最新のレートが適用される)。プノンペンのレートの良い店で1万円を両替したら69.7ドルだった。円安を承知でも、やはり1ドル=100円の感覚が長く残っているので、ずいぶんと寂しい気持ちになる。
 さらに50ドルを出されたので、小額紙幣に変えてくれと申し出ると20ドルと10ドルで渡された。この20ドル札の端が切れた。最初から切れていたのか、財布の中で切れたのかは定かではないが、もともと使用感のある紙幣だった。日本なら問題なく使えるが、カンボジアでは切れた札は受取拒否に遭う。これは高額のドル紙幣に限ったもので、カンボジアリエルはボロボロの札があふれている。20ドル札は宿でもバスのオフィスでも「ダメだ」と返され、まるでババ抜きだった。タイ国境の銀行でも両替を断られた。民間の両替所では受け付けてくれた。

ババ抜き20ドル札。左下にわずかな切れ目が入っている
撮影はタイ側国境の銀行にて。このあと両替を断られる

【ローカルドリンクと水下痢】カンボジア料理で腹を壊しはしなかったが、タイ国境に近いシソポンで激しい水下痢に襲われた。原因は、ローカルドリンクのタイクロチュマーだろう。缶入りの炭酸飲料ばかり飲んでいたので、たまにはご当地ドリンクを飲んでみようと思い、検索で出てきたタイクロチュマーを頼んでみた。コーラより安いと書かれていたが、値段は3000リエルで一緒だった(厳密にはコーラほか缶飲料は2000~2500リエル、氷カップ代500リエルくらいが相場)。タイクロチュマーは酸味の強いフルーツ紅茶といった味わいでうまかったが、午後に飲み、夜に水下痢が始まる。腹痛を伴わない不思議なものだった。対策として、腸内環境を整えるため、セブンイレブンで700ミリリットル入りの巨大ヤクルトを2.6ドル(11200リエル)で購入する。まったく同じものがタイならば1.2ドル(42バーツ)で買える。ここからもカンボジアの物価の高さがわかるだろう。その他、水に塩を溶かし即席の生理食塩水を作り、水分を多く摂取するようにした。

【熱中症とポカリ】バッタンバンでは軽い熱中症になった。喉も腫れていないし鼻水も出ていない。なのに全身の激しいだるさと熱っぽさが続く。疲労が蓄積したのだろうと自己判断しタイのチキンエキス(鶏を煮詰めたもので、自然成分由来ながら個人的にはかなり効果があると感じられる)を飲んだ。まず薬局へ行くが「ない」と言われ、タイプロダクト製品の扱いを掲げるスーパーにもない。タイ産の贈答品を扱うギフトショップにはあったが、最初の店はセット売りのみだと言われた。価格は12.5ドル。次の店で1つ5000リエル(1.25ドル)でバラ売りしてくれた。チキンエキスは医薬品ではなく美容・健康食品の扱いのためタイでは、セブンイレブンのほかどこでも売っている。カンボジアでは、こうした商品を1つ探すのにも苦労する。
 チキンエキスを飲んでも体調が戻らず、やっと熱中症になっていると気付き、ポカリスエット(タイ製品)の500ミリペットボトル6本を5.5ドルで購入し夜までに2リットル、朝1リットルを飲み体調を戻した。生理食塩水は水本来のうまさを喪失した、クソまずい液体だが、ポカリは味わいがある。カンボジアの路上では梅干しも売っている。やはり塩気は重要だ。

【熱中症の原因】常に水やジュースは飲んでいたのに、熱中症になったのはカンボジアの食事が関係しているように思う。タイの食事は塩気が強いが、カンボジアの食事は総じて甘い。特定のメニューが甘いのではなく、麺類や炒めもの、パンなどすべてに、ベーシックな甘さが効いている。これが口に合わず、あまり食事を摂らなかったのと、前日に瓶ビールの大瓶2本を飲んだので、体から塩分と糖分が失われていたのだろう。タイでは氷入りのコーラやファンタなど甘い炭酸飲料を1日2~3本は飲むが、不健康のように見えて、実は体調維持に役立っているのかもしれない。

【カンボジア旅行で参考にしたサイト、ネット情報】タイ旅行に関するブログやネット記事は大量あるが、カンボジアとなるとぐっと量は少なくなる。さらに「アンコールワットの入場料」「シェムリアップへの移動方法」といった今回の旅に関係のないものを除くと(アンコールワットは8年前に行った)、有用なサイトは限られる。良質のものもあったのでいくつか紹介したい。

「カンボジアで安いのは、米とビールとタバコと〇〇費」(大野のり子さん)

 カンボジア在住女性の雑感note。カンボジアの物価に関して的確な説明がなされている。カンボジアでは輸入品は高い。だが、嗜好品であるタバコやビールは激安だ。タバコはアメリカやドイツの商品がライセンス生産されている。日本のメビウス(マイルドセブン)もある。カンボジアと国境を接するタイの街、アランヤプラテートの人は皆、カンボジアタバコを吸っていた。カンボジアタバコには緑色の証紙が貼られている。ただ、証紙のないニセタバコ、あるいはニセ証紙の貼られた品物も出回っているようだ。タイタバコの価格は最低でもカンボジアの3倍以上ながら、味はカンボジアの方がうまい逆転現象が起きている。
 カンボジアの街は首都プノンペンでも夜20時をすぎると真っ暗になってしまう。タイ国境の街であるポイペトは22時すぎまでネオンがギラついていたが、街を歩いてもちょっと休憩できるような場所、日本で言えばドトールコーヒーやサンマルクカフェのような場所がほぼない。タイにはマクドナルドやケンタッキーフライドチキン(KFC)、バーガーキングなどチェーン店があふれているが、カンボジアはその手の店がほぼない。世界のどこにでもある緑のコーヒーチェーンはプノンペンにあった。それでも、富裕層向けの高級カラオケクラブ(KTV)と庶民が通うボロいよろず屋はどんな街にもある。中間点が存在しない。
 シソポンの街ではタイ資本のカフェアマゾンで休憩したが(これが日本で言うドトールコーヒーみたいな店だ)、同じ空間にはセブンイレブン、ピザカンパニー、ガソリンスタンド(すべてタイ資本)が並ぶ。ピザ店には乗用車でやって来たカンボジア人一家が、ピザを食いながらピッチャーに入ったコーラをガブガブ飲んでいる。これに対し掘っ建て小屋みたいな場所に住んでいる人も大量にいる。とにかくカンボジアには中間層が存在しない印象だった。記述で指摘される「モノの高さ」と「人件費の安さ」の釣り合っていない様も感じられた。

「スレイ・サフォン(シソポン)逍遥(2018年12月カンボジア)〜その1:コンポントムからスレイサフォンへ移動&街歩き」
「スレイ・サフォン(シソポン)逍遥(2018年12月カンボジア)〜その2:日本文民警察隊遭難の地とバンテアイ・チュマール」
(タヌキを連れた布袋(ほてい)さん )

 1992年に日本の600人ほどの自衛隊員が国際連合平和維持活動(PKO)の一環でカンボジアへ派遣される。同時に75人の警察官も文民警察要員及び選挙監視要員としてカンボジアへ渡った。PKOは「日本が再び戦争国家になる」といった激しい反対が野党側から起こり国会は紛糾した。そのため自衛隊は拳銃、小銃を携行したが、警察官は認められなかった。
 タイ国境に近いポル・ポト派支配地域に派遣された警察官たちが、(ポル・ポト派と見られる)武装集団に襲撃され、高田晴行警部補が犠牲となる。襲撃場所には高田警視(殉職により二階級特進)の名を冠した小学校が設立されている。その場所を訊ねた人のブログが読ませる。
 この事件に関しては『告白:あるPKO隊員の死・23年目の真実』(旗手啓介)が詳しい。「NHKスペシャル」で放送された内容の書籍化だ。著者はNHKのディレクターであり、当時の隊員をはじめ綿密な取材が重ねられている。

 かつて坪内祐三と福田和也が『SPA!』 (扶桑社)の連載対談で、今、濃厚なノンフィクションを書けるのは予算も時間も十分に使える、NHKディレクターではないかといった話をしていた。「NHKスペシャル」は同局の看板番組であり、企画が通ると半年、一年単位で番組制作に専念できると聞く。これは、そこいらの映画監督やノンフィクション作家よりもはるかに恵まれた待遇であり、豊穣な表現も可能となるだろう。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作である近藤史人『藤田嗣治:異邦人の生涯』(講談社文庫)や、アマゾンの未開民族を取り上げた国分拓『ヤノマミ』(新潮社)はともに、NHKディレクターによる番組の書籍化だ。『告白:あるPKO隊員の死・23年目の真実』も講談社ノンフィクション賞を受賞している。
 番組ではPKO派遣時、総理大臣であった宮沢喜一は故人であるため、官房長官だった河野洋平に取材を行っている。河野は「自衛隊にかかりきりで警察官まで目が行き届いていなかった」と反省の弁を述べている。自衛隊は一つの場所にまとまって配置されたが、警察官たちはカンボジア各地に散らばった。著書では日本の対応が遅れたために、比較的安全な場所は他国の警察官が赴任してしまい、日本人は残る危険な場所に行かざるを得なかった指摘もあった。
 カンボジアとタイ国境を接する地域はポル・ポト派が逃げ込んだ場所で武装解除にも応じない。電気は通っておらず、ロクな食料品もない。警察官たちはロウソクの灯りをともし、タイ側の難民キャンプから戻った現地住民から缶詰を売ってもらいしのぐ。食料を保存しようにも蟻の襲来を受ける。
 高田警視らが配属された場所は、雨季(これが一年の半分続く)の大地はぬかるみヘリコプターも離発着できない場所だった。ヘリはギリギリまで降下し荷物を落として戻ってゆく。番組に出てくる元隊員のおじさんは「武器不携行」の服務規程を意図的に無視し、大量に出回る自動小銃の本体を15ドル、弾薬を20ドルで買い手元に持っていたと話す。ゆるりとした東南アジアの表面的なイメージに比して、カンボジアもタイは今現在もれっきとした銃社会だ。彼の言う「命を守る値段としては安い」は至言であろう。
 あまり大きな声では記せないが、番組はフランス発の動画サイト「D」で現在も閲覧可能である。シソポンの安宿で訪問記を読みながら、あらためて番組を観た。当時、地域を統括していたポル・ポト派の将軍は、現在は国境警備を担当する。高田警視の上司が面会を果たすが、事件の真相は最後まで語らない。反政府活動をしていた人が政府の仕事をしているのは矛盾に感じられるかもしれないが、この人に任せるのが、余計な軋轢を生じさせず、もっとも地域を安定的に統治する方法なのだろうとも考える。
 カンボジア滞在中、クメール・ルージュや、ポル・ポトの話は意図的に触れないようにしていた。私はクメール語はおろか英語も大して話せないので、老人たちに安易にその時代の話をするのは憚れた。物心がつくレベルであの時代を知る人は60代後半以降だ。
 ポル・ポト支配下の民主カンプチアは貨幣を廃止したが、ごく短期間紙幣が発行されていた。そうした骨董品の類もまったく売られていなかった。ベトナムのホーチミンで購入した仏印下で発行されたピアストル貨幣は、プノンペンのロシアンマーケットにあった骨董屋のおじさんいわく「コピー」だという。そもそも古銭でありながら、発行年がすべて同じで大量にあった時点で怪しいとは思っていた。デットストックが出回っている可能性もあるかなと考えていたが、まがうことなき偽物だった。カンボジアではピアストル貨幣は「コピーは5ドル。オリジナルは50~250ドル」と言われた。あの時代の切手や紙片の類もない。文明や文化の片鱗がすべて存在していない場所はそうそうないのではないか。
 カンボジアからタイへ抜け、国境の町のアランヤプラテートの街中を歩いていたら、骨董と古本を売る店があったので、主人と少しポル・ポトの話をした。カンボジア内戦時代はこの街にも国境を超えて、食料を求める難民が大量にやって来たという。主人は中国系カンボジア人の父と、中国系ベトナム人を母に持ち、妻はラオス人と、インドシナの歴史を背負うような人だった。両親は中国語はできたが自分は使えない。それでも、タイ語のほかラーオ(ラオス)語、クメール(カンボジア)語、ベトナム語、英語と多言語を駆使するインテリおじさんだった。

シソポンの街中で目にしたレトロ看板
入口に拳銃持ち込み禁止が示されたカンボジアのスーパー

「カンボジア料理はまずい物と旨い物がある! 在住者の本音・食べてはいけないもの・食べるべきものを公開!」(どりあんさん)

 タイトルは露骨だが、言いたいことはわからなくもない。私はすべての料理を食べたわけではないし、短い滞在で「まずい」と言い切ってしまうのもどうかと思うで「口に合わなかった」くらいが妥当な表現だろうか。
 ベトナム南部とカンボジアは地域的にも食文化は共通しているはずなのに、なぜカンボジアへ渡ると食の質が落ちてしまうのかは疑問だった。国境付近の飯はまだうまいが、ベトナムから遠く離れるほどイマイチ感が増してゆく。食に関しても中庸が存在しない印象を受けた。
 プノンペンの路上で何気なく座った屋台は、実は高級中華の店で巨大な豚足煮込みが35000リエル(約9ドル)もした。こちらは値段相応のうまさはあった。
 記事でまずいと書かれているコシのないそうめんに、緑の汁をかけたノムバンチョックは移動屋台で3000リエル(75セント)で食ったがうまかった。肉と臓物と米を塩で煮込んだボッボー(おかゆ)も食堂ではどこも「ない」と言われ、ボロボロの移動屋台で売られていたがこちらも3000リエルで味合い深いものだった。野坂昭如が描く残飯シチューはこうした味だったのだろうかと思いをめぐらせる。
 カンボジア料理はそれなりのレストランで食すとうまいと記されたネット情報も多かった。高級店は値段相応にうまい。対してド底辺の移動屋台の飯がうまく、中間に位置する食堂の食事がイマイチであり見極めが難しい。
 私は旅先で日本食が恋しくなるタイプではないのだが、カンボジアを経てタイに入り、アランヤプラテートの街中で89バーツのカレーを食した。おばちゃんは「チョットマッテ」「コオリイル?」など少し日本語を話す。「ソイソース、キッコーマン」と言うと、食卓から持ってきてくれたので、じゃぶじゃぶとかけて食った。聞けば娘さんが日本人と結婚し埼玉に住んでいるという。向こうから記念写真を求められた。

ボッボー(粥)屋台。食ったのは午後遅くであり、朝でなくとも売っている

「バンレム・パイリン国境1 バンレム国境」(びー旅さん)

 アジアの辺境を現地人価格で旅し続ける局所的な有名ブロガー。カンボジアの地方都市の移動などは、この方の情報、行動は非常に参考になる。バックパッカー特有の「偏屈さ」「ケチさ」を保有しながらも、主張には賛同できる部分も多い。ネパールでガイド代をケチり、単独でトレッキングに挑み、遭難しかけた(というかしたが、自力で生還)のはどうかと思うが、これも「個人旅行は自己責任である大原則」を確認する上では重要であろう。
 びー旅サイトの記述を参照に、タイ南部のリボン島を訪れた。私はこの島で、10年来のアジア旅で初めて南十字星を目にした。

【カンボジアで読んだ本】
・高垣謹之『柬甫塞(カンボヂヤ)物語』 (中公文庫)
同地に伝わる民話を集めたフランス語書籍を翻訳したもの。薄い本なのでゆっくりと読んで行くのが良い。

・宗谷真爾『アンコール史跡考:エロスと蛇神』(中公文庫)
三島由紀夫の愛読書と紹介されていた。クメール美術や様式に関し、医師でもある著者がマニアックかつ精緻な解説と考察を加えてゆく。現地への渡航記述も少しある。

(かつてカンボジアで読んだ本)
・ドリアンT助川『食べる:七通の手紙』(文春文庫)
単行本は1996年。ドリアン助川が「叫ぶ詩人の会」でブレークする直前に出た本だ。彼はアントニオ猪木に随行するラジオ局の特派員として、1992年にカンボジアを訪問する。暑さにやられ、食事が喉を通らなくなった時、熟れたライチに塩を振って引き締まった身を食べる描写が読ませる。同じことをしようと、カンボジアの市場で塩を探したがこちらも手に入らない。あるにはあるのだが、1キロの袋を出され「そんなに要らない」とその場を去ると、追いかけてきて、英語を話す姉ちゃんを介して話が伝わる。ケースは4000リエル(1ドル)、塩は姉ちゃんの店にあったものを入れて1000リエルと言われたので、ケースを3000リエルにしてもらう。こちらも、タイならばケース入りの既成品が40~50円で買える。果物に塩を振ると確かに身が引き締まった。使い切らなかった「1ドルの塩」は今も手元にある。

(かつて日本で読んだカンボジアの本)
クーロン黒沢『ロンパオ:風雲カンボジア日記』(ソフトマジック)
90年代末、タイのバンコクから、カンボジアのプノンペンに拠点を移した著者の日録。タイトルは現地で発行を引き受けたフリーペーパーのタイトルであり、縮刷版も掲載されている。良くも悪くもアバウトなカンボジアの姿が浮かび上がる。バンコクから消えてしまったサパーンレック(ドブ川の上を不法占拠していた怪しい電脳街)の姿も出てくる。初出は『インターネットマニア』(白夜書房)の連載であり、かつての混沌としたネット空間と90年代サブカルチャーの蜜月は確かに存在したのだなと思わせる。


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