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老いらくの恋 第8話

古代史に恋しています。
チェ アネ 節子は歴史専攻と書きましたが、彼女の得意分野は近代史です。
私は古代史に、しかも東アジアの古代史に恋しています。
韓国には8回ほど行きました。パックツアーではなく、KTX(韓国の新幹線)、KORAIL(韓国の国鉄)、地下鉄、バスなどを利用して旅行しました。パックツアーでは味わえない自由な旅行を楽しめました。
お勧めの場所を2点紹介します。

第1は扶余(プヨ)百済の首都でした。
雰囲気は飛鳥を少しゴミゴミさせた感じです。

定林寺跡(世界遺産)百済様式の寺で、飛鳥寺のモデルといわれる。
ところで皆さん「百済」これをどう読みますか?一般的には“クダラ”ですね。普通の日本語ではとても“クダラ”とは読めません。何故でしょ?
滋賀県に百済寺がありますが、読み方は“ヒャクサイジ”です。
私は韓国に行くまで、韓国語では“クダラ”と読むんだなと思っていました。
全然違います。韓国暦は”ペクチェ“です。何故”クダラ“なんでしょう。なぞが深まります。

実は“クダラ”は”クンナラ“がなまったものです。”クンナラ“の意味は「大きい国 BIG COUNTRY」です。
古代日本飛鳥時代に、扶余(プヨ)を懐かしんで「大きい国」と称した人々がいたのです。ただ単にいただけでなく、当時の政権の中に一大勢力とした力を保持していたのです。
 
日本の彫刻部の国宝代1号は京都の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟です。
日本で作られたものか、百済で作られたものか、定説はないようですが、私は百済作成説だと思います。

弥勒菩薩半跏思惟

広隆寺はお勧めです。京都の寺ですが、観光客は思ったより少ない。
落ち着いて拝観できる。もちろん節子と訪問しました。
広隆寺は日本書紀に秦河勝(はたの かわかつ)が建立した秦氏氏寺であると記されています。
秦氏は中国)から帰化した漢民族系の人々といわれ、韓国語の先生は、秦の始皇帝の死後、一族が朝鮮半島に逃れたとの伝承があると言っていました。

古代日本における百済

百済は古代日本にとってはかり知れない影響を与えています。
法隆寺にある観音像は百済観音と呼ばれています。

百済観音

京都から神戸に連なる「西国街道」は、古くは百済街道と言われていました。私は古道歩きを趣味としていました。歩いていると「百済」との表札を掲げた家がありました。
各地に百済の名をつけた町が多く有ります。
百済王朝の血が天皇家にも流れています。
歴史好きの人には、韓国扶余はお勧めです。
韓国の第2お勧めはの慶州(キョンジュ)です。
キョンジュの紹介は第9話で。 


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