Vtuber綾瀬川晴美の復活 第2話『対面と都合』

内面こそが人間の根幹だ。
しかし人間はいつだって外側しか見ることが出来ない。
外見で易々食いついたその後で、
内面への審美眼を養うことが大事なのだ。

赤さんは社長業が終わると、すぐさま帰宅した。あらゆる予定や用事を社員総出で一掃し、作った時間を晴美に割くために。
(なお、この激務期間は給料が上乗せされたので、社員のやる気は上がった)

赤さんの広々とした自宅内には、晴美に影響されて作った防音室がある。いつか配信とかやってみたいな、と思い、時折歌唱力を磨いてたが、社長業をしていると使う機会も減っていき、最近は物置部屋と化していた。
その防音室を使用人に大掃除させ、塵一つない状態にまでもっていった。

赤さん「晴美……この部屋を見たら喜んでくれるだろうか」

彼は数日前、晴美と思しき人物からのDMを受けた。要約すると、
『会って話をしたい。しかし引退したてのため、声で身バレする恐れがある。出来れば数日中に会いたい。信用してくれたら返事をお願いします』

彼女の言い分は尤もだと赤さんは考える。実際、引退してすぐに別名義で配信したところ、声で即日バレたVtuberもいたのだ。だから赤さんは、絶対にばれない場所という事で自宅を指定。それが駄目なら会社内の会議室でもよかったのだが、晴美は快諾した。

赤さん「伊佐美君、ケーキやお茶菓子の準備は完璧かな?」
伊佐美「ケーキにタルトからロール、エクレアまで取り揃えています。ご安心下さいませ」

使用人:伊佐美は掃除をしながら答える。やや太めの彼女は、残ったら自分が食べるんだろうなとげんなりした。痩せへの道が閉ざされている。

伊佐美「しかし旦那様。その方は本当に晴美様なのでしょうか? どこかから情報を握った愉快犯の可能性はないのでしょうか?」
赤さん「問題ないよ。企業の人へ送ったんだ、早々情報は漏れることはないだろう。それに詐欺なら、金銭の振り込みだけを要求するはずさ。直接会っても良いことはない」

椅子に座り、また立ち上がり、うろうろしてまた座る。時間が迫っている。浮足立つ赤さんを見て、伊佐美は忠告を重ねた。

伊佐美「旦那様。Vtuberというのは面白い文化です。それは思うのですが、実際に出会う時にトラブルが起きないかだけは心配です。スレンダーで美人の晴美さんがここに来る可能性は限りなく0でしょう。だって美人ならばVtuberという顔を出さずにやる配信より、顔を前面に出して売り込む方が登録者数も伸び白があるのですから」

伊佐美の言葉に、ウキウキ気分だった赤さんの心に水が流れた。害されたわけではなく、落ち着かせてくれたのだと好意的に解釈する。

Vtuberは事実流行の途上だ。
黎明期ほどの熱量はないものの、通常のYouTuberよりは初動の伸びが早い。
登録者数1000人という、YouTuberの10%しか成しえない数字にも手が届きやすいのだ。……だが問題は、Vtuber界隈の人口がまだ少ないことである。
大抵はどんなに伸びても、数万人まで行ったら頭打ちで、1万人に達することすら困難になっている。
10万人という銀盾は、企業【いまなんじ】のVtuber以外では厳しいほどだ。最上位のVtuber【鎖・愛】の200万人という数字でさえも、上位YouTuberから見れば有象無象の領域なのである。

美人で面白いならば、確かにVtuberよりもYouTuberの方が良い。
これから来る晴美も同じだろうというのは覚悟していた。

赤さん(もしかしたら、晴美は伊佐美君よりも太いかもしれない。だが問題はない。問題はないが、やはりショックは受けるだろうな。心の準備をするのが正解だろう)

伊佐美は自分に向けられる赤さんの視線から、何を考えているかを推測した。9割方当たっていた。

……そして時刻は午後7時。風呂も顔剃りもスーツ姿も決めて、リビングでアーカイブを見ながら待っていた赤さんの耳に、インターホンが鳴り響く。

伊佐美が先ずは出た。「どうぞ」という声が聞こえて、赤さんの心臓が跳ね上がる。

果たしてどんな姿か? Vtuberの魂(中の人)に出会うのはこれが初めてで、赤さんは経験したことのない緊張に身を強張らせる。

赤さん「失敗するわけにはいかない」

ここで晴美を逃せば、機会を永遠に喪失する。彼は言葉の一つ一つを慎重に取捨選択する必要があった。何が相手の棘になるかわからない。

息を呑む赤さんの前に現れたのは……

???「どうも、赤さん。こうやって会うのは初めてですね」
赤さん「………………」

現れた姿を見て、赤さんは目を見開き、口を開き、鼻の穴が開いて、震える手で口元を抑えた。不細工だったのではない。太っているわけでも、痩せているわけでも、年齢が一回り離れているわけでもない。

晴美がこの世界に居たらどんな姿だろうと赤さんは夢想したことがあった。それに酷似した女性が、赤さんの目の前に現れたのだ。

3D化という言葉では足りない、顕現体。彼女の熱烈なファンであれば、実体に受肉して現実にログインしたのではと疑う程、想像通りだった。

床屋で切ったようなザックリ短めの黒髪、顔立ちは20代中間、飾り気はなく私服もサッパリとした白の長シャツに青ジーンズ。目つきは若干悪いが、これも晴美のVtuber体と全く同じだ。何よりそんな見た目以上に、声が全く同じなのだ。1つ1つの完成度の高さに赤さんは声を発することが出来ない。それでも何も言わないのは失礼だと思ってか、ようやく発した。

赤さん「……晴美……ああ、やっぱり晴美だ……」
???「元。ですよ、今は単なる……あー、単なる人間ですよ。あの世界で言うなら、幽体離脱的なもんですかね」
赤さん「ケーキ持ってきて!! 大量に!」
伊佐美「既にここに」

テーブルに並べられたケーキの種類は10を超える。酒飲みで炎上もする晴美の好物は、意外にも甘味だ。晴美は、これから食べるケーキに目の色を変えたが、すぐさま真面目な顔つきに戻る。

晴美「ケーキは美味しく戴きます。けど、その前に色々聞かせてほしいこともあるんです」
赤さん「そ、そうだったね。そうだよ、舞い上がったけどそれが聞きたかったんだ」

居住まいを正して赤さんは、ケーキを挟んだ正面に座る晴美の話を聞く。

晴美「Vtuberはまたやりたいと思ってるんです。だからいつかお金貯めて、転生しようかなって。それは最後の配信でも言った通りなんですよ」

ただ……と晴美は口ごもり、言うか言わないか悩んだ末、告げた。

晴美「いまなんじでは出来ない。そう思ったんだ、です」
赤さん「何故? いまなんじは、Vtuber企業勢の中で筆頭格の盤石企業。まさか、内部でいじめがあったのか!? スタッフから何か言われたのか!? 声をファンに黙って変えるとか!? ファンを装ったアンチからのごみマシュマロに精神をやられて!? 登録者数で誰かにいじめられたか!? これはいかん早急に対処を求め」

伊佐美「旦那様黙りましょう」

後ろから両頬を同時に引っ叩かれた赤さんは、しばし衝撃で沈黙し、ハッと我に返った。取り乱した姿を晴美は笑っている。

晴美「いやー、そんなに取り乱した赤さん見たの、私のASMR練習配信でしか見たことないよ。ウケるわー」

そんな細かい所を覚えていてくれたのかと、赤さんは幸福で倒れる……寸前で持ち直した。

晴美「赤さん。私は別にイジメられたわけじゃないんだよ。運営とは仲いい、というか仲良くなかったら私みたいな炎上酒好き女、雇ったままにしないよ。だからそういう話じゃないんだ」
「……これは私の問題でね。いまなんじって、皆が皆頑張っているんだよ。配信とかゲームとか色々。私は喧嘩と酒ばかりで、明日どうなっているかもわからないって感じが、多分ウケているんだって思う」
「私みたいなのも居ていいって言ってくれるんだよ、同期のアリアも、担当の人も、ファンも。でもさー。炎上とかしても私は大丈夫だけど、【こんな女のいる会社ってどうなの】とか思われるのは嫌なんだわ」
「皆が。ファンも含めた皆が今日まで築き上げてきた、いまなんじのブランドに泥塗りたくるのは嫌なんだよ。嫌な奴ばっかりだったらそれでいいやって思ってたけど、生憎あそこは9割良い人しかいない」
「だから借りていた機材とかも返したし、炎上迷惑料でお金を5万円置いてきたんだわ。個人的に運営へのスパチャだねこれ。あ、生活できる程度のお金はちゃんともらっているから」
「んで、Vtuber自体は面白いからまたやろうって思っているんだよ。けど機材ってPCもあったから、これから買うためのお金貯めたり、3Dの体とかを用意しなきゃいけないんだよね」
「仕方ないから土方とかで働くかなーって思ってたら、担当の人から私宛にDM着ているって。……正直どういう意図か全くわからなかったけど、乗ってみようかなって思った」

合間合間にケーキが吸い込まれていくのを赤さんは黙ってみていた。そして聞いていた。Vtuberファンならば「そんなことはない!」とか言って励ましたりするのがセオリーだろう。しかし晴美はそういうおためごかしに耳を貸す気がない。アンチは斬り捨て、過剰な励ましも斬り捨てる。それが晴美だ。

晴美「てっきり出会い厨の釣りとか、単なる悪戯で終わるかもしれないって思ってたけど、来てみたらご立派な家にご立派なメイドさんに、極め付きにスーツ着込んだ、個人的に割といい男。ケーキも沢山あるしね」

赤さん「つまり…Vtuberになる手はずを整えたら、すぐにでも復活したいということでいいかな?」

意思を確認する言葉に、晴美はケーキの食べかすの付いた笑顔で応える。

晴美「そういうことだね。……まさか手はずを整えてくれるっていうの? いやー、有難いけど……何が目的? 言っとくけど、対価に体とかはやめてよね。体抱きたいなら別件だわ。というか、騙されているかもって疑わないの赤さん? 私が一級品の詐欺師の可能性とか

呆れ交じりの声にゾクゾクする赤さんだったが、至極真面目に返す。

赤さん「疑う? 晴美を疑いたくはない。騙されて困るのは現状私のお金だけだ。目的は晴美の復活で私の生き甲斐を取り戻す事。バーチャルで体目的とかはない。手はずを整えるのだって、こんなの、一方通行の気持ちを投げかけるスパチャと何も変わりはしない。私欲のために君を復活させる。君は復活する一式を取りそろえる。双方勝利だ
晴美「赤さんってナチュラルに凄い人なんだね。じゃあ、騙された気になって復活楽しみにしておいてよ。体とかもそちらに任せるからさ。理想の私を作ってみてね」

【理想の晴美を作る】という神の所業を自分の手で下す。胸の高鳴りで赤さんはグラグラしていた。

必ず君を転生復活させる。赤さんは、ケーキを完食した晴美にそう誓った。
彼女は「期待しないで待ってるよ」とケラケラ笑った。

伊佐美は、これで体重増加が防げると安堵した。

次回:集結と創造







赤さん「ちなみにさっきまでの会話を録音していた」
晴美「隠し撮りとはいただけないね。言質とって脅す気だったの?」
赤さん「これをASMR代わりにして凌ぐんだ。私はあと1年戦える」
晴美「……じゃあ、復活して1万人突破したら、赤さんのためにASMR録るからさ。お礼として受け取ってほしいわ」
赤さん(ASMR最高級マイクっていくらだったっけ)

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。