Vtuber綾瀬川晴美の復活 第3話『意見と見積』

夢を追うのは良いことだけども、
夢だけ見ては浮足立つ。
地に足つけて、夢を見て。

対決前夜

『私引退するんだわ』

俺の推しの一言が、胃の中に重い重い何かを落としていった。正直、放心状態とはこのことなんだと思った。就活に失敗し続け、2年も無職のまま親の脛かじって生きている今までだって、深い絶望を感じたことはない。

Vtuber。正直俺はこの文化が嫌いだ。
こんなの人形劇と何が違うんだよってずっと思っていたし、ニヤニヤ動画に常駐している俺からしたら、あいつらランキングだって席巻しているから鬱陶しいことこの上ない。

早くこの文化が廃れ腐ることだけをずっと願っていた。炎上ネタとかを見てはウキウキしながら書き込みしているし、匿名掲示板の噂話で遊んでいる。ツイッターで気軽に呟こうものなら、アイツらのファンとか言う狂信者がこぞって襲い掛かってくるからロクに呟けもしない。捌け口を認めない文化なんかクソだろ。

終われ終われとか思っているのに、大企業までVtuberになるし、昔のアニメまでVtuberになっている。見てくれだけは勢いある文化に思える。特に調子に乗っているのは、【いまなんじ】だ。

動画とかが流行っていたならまだマシだったのに、こいつらが配信を助長したから今のクソ詰まらない寒い配信文化がのさばっている。だからいまなんじだけはいつも注目していた。俺の好きなエロ絵師まで制作に関わっていると分かると、「本当に何で続くんだこの文化は」とか思ったし、早々に炎上して内部崩壊からの倒産とかしてくれよとか真剣に考えていた。

……あの日もそんな気持ちだった。妖精とか言うアリアと、晴美とかいう普通の女Vtuber。その2人がデビューして配信して、アリアはすぐに声で特定された。Vtuber選別試験の蟲毒で負けた敗北者。生主として活動していた時期もあったこと。そこでの失言集切り抜き動画は傑作で、必要以上に炎上した。これは早々に引退すると思っていた。

……問題はもう1人の晴美だった。ハスキーボイスって言うのか、あの声が癪に触っていた。炎上するような発言した時、「貰った!」と思った。
ところが晴美は炎上をものともしなかった。
どころか低評価にも怯まなかった。

過去のネタ洗っても全然出てこない。全くの無名からいまなんじに所属とかありえないと思っていたのに、こいつだけは違ったようだ。

その後も奔放な活動を続けているアイツが気に食わなくて、配信を覗いていた。プロ並みに上手くはないが、歌にやたら力がある。ゲームの腕は並、チョイスもズレてる。たまにコメントへの喧嘩腰で炎上ネタには事欠かない。正直見ていて面白かった。

炎上がお似合いの女に、いつの間にか俺はハマっていた。そんなこと、今まで1度もなかった。晴美が何かすることが楽しみで仕方がなかった。やる気だけはあるVtuberを見ていると、俺も大学時代やっていた3Dモデリングをもう一回磨いていこうとかも考えた。

そうしている内に晴美は引退した。何が起きたのか理解できなかった。
不仲とか自分の精神を病んだとか憶測が飛び交い、掲示板では大騒ぎだったのを今でも覚えている。掲示板の情報を切り取りしたゴシップ屋も情報の精査が出来てなくて、何もわからなかった。

引き籠りの俺は今、ゲームに興じていた。就職なんか出来ないし、どうしようと思ってばかりだ。メキメキと上達するゲームの腕が虚しい。
Vtuber文化は新陳代謝が激しいから、忘れたらもう何も残らない。晴美なんていなかった。そう思わずにはやっていけない。

……見事ゲーム勝利を収めても何かスッキリしない俺のDMに、誰かからの知らせが入った。

『こんにちは。私は晴美を愛していた、スパチャの赤さんです。いつも青さんの3Dモデリング画像を拝見していました! そこで、作っていただきたい3Dの体があるのですが、依頼等出来ませんでしょうか。報酬はしっかりと払わせていただきますので』

青「……赤さん??」

毎度晴美の配信にスパチャをしていた敬虔な狂信者。短時間配信であろうが早朝配信であろうが、必ず駆けつけて1万円のスパチャをしていた。そいつが俺に依頼? 確かに3Dモデリングの画像はちょいちょい上げていたけど。

青「冷やかしか? ……いや、俺を騙したところで何の得にもならねえか」

晴美の配信は収益後に100はあった。赤さんは100万円を放り投げたことになる。趣味に100万払うような金持ちが、このタイミングで3Dを依頼とは。もしかしてVtuberにでもなるつもりか?

どんな意図かわからないが、家に居ても暇だし居場所がない。物は試しと引き受け、後日話し合いをすることになった。場所は駅2つ離れたカフェ。電車賃と昼食代も出してくれると伝えてくれる赤さん。いくら吹っ掛けてやろうか。モデリングだって早々出来るもんじゃない。満足いくようなものを作るなら半年かそこらはかかる。日給換算で1万円を半年で180万円とかどうだろうか? もし「知り合いのよしみで10万円で作ってくれ」とか抜かしたら度肝抜いてやろう。今から楽しみになってきた。

意見

1年ぶりの電車に揺られて、慣れない人ゴミと日差しに吐き気を催す。それでもどうにか指定のカフェまで歩いていき、赤さんから指定されていた品を注文した。

青「コーヒーL、チュロス3つ、エッグトースト」

頼んだ後、店員の女性は一瞬怪訝そうな顔をしたが、少々お待ちくださいと支度にはいる。同時に俺の肩を、背後から誰かが叩く。

???「初めまして。奥の席で待っているよ」

仰天した俺を嘲笑うかのように飄々とした男の声。俺じゃあ出せないような爽やかな声が、俺の神経を逆撫でる。あれが赤さん。後姿を見ればわかる、サラリーマンじゃない、もっと上の、風格がある黒いスーツ姿。平日の昼なのにこんな所で話が出来る身分なんだと思った。

青「……初めまして。青です」

本名は言わない。相手も本名を言わないなら言う必要などない。それを察してか、赤さんも自分を赤さんと呼んでくれと言った。

赤「ここのカフェはお気に入りでね。この時間の席だと、静かにコーヒーを飲むことが出来る。仕事が上がったときや、何もない時、ストレスを感じてリラックスしたい時、真っ先に来る場所なんだ」

聞いてもいないことを話している。本題はまだか?

赤「青さん、今日は来てくれてありがとう。君には今日、DMで伝えた通り3Dモデリングの依頼をしたいんだ」
青「俺は無名ですよ? 確かに他の奴に負けない位、良いもの作れる自信は……なくもないですが。何で俺なんです? いくらかかると思ってます?」

疑問をぶつけると赤さんは笑顔で1枚の紙を差し出した。折り畳まれた白地の紙。何かと思って開くと、絵文字が描いてあった。

炎の絵文字だ。その右横に太陽もある。炎と太陽。その絵文字を俺は知っているし、見た瞬間震え上がった。

青「……何のつもりだ赤さん。俺はこの1か月、どうにか忘れようと努めてきたんだぜ? 何で今更思い出させるような真似を……っ!?」

Vtuberはツイッター欄に特定の絵文字を入れている。推しの絵文字と同じものをファンが入れるという慣習がある。炎と太陽は、晴美の推し絵文字だ。
赤さんがこれを出してきた意図を考えて、「誰を3Dにするのか」を巡らせると、コーヒーを飲まずにはいられなかった。

赤「察しがよくて助かります。貴方に、彼女の3D体を依頼したいのです」
青「晴美はもういない。それなのに晴美の体を造れっていうのは、死者を墓から掘り返す行為か。でなければ晴美の……晴美の魂が望んでいるって言うのか?」

赤さんは肯定したが、以後は『彼女』という言葉で統一してくれと釘を刺してきた。そりゃあ当然だ。登録者数はいまなんじの中でも少なかったとはいえ、どこに根強いファンがいるかなんてわからない。

青「彼女は今元気なのか?」
赤「さぁ。DMで幾つか交わしたくらいです」
青「彼女から依頼してきたのか?」
赤「いいえ。私から話を持ち掛け、了承してもらいました」
青「……あんたは晴…彼女とどこまで進展している?」
赤「DMで交わした程度ですよ」

3つの質問を持ち出したが、赤さんは嘘をついている感が否めない。確証はないけど、晴美がDMで全てを済ませる女だとはどうしても思えなかったからだ。正々堂々行く晴美なら、直接会って交渉するとか、そっちの方が現実味ある。

だが仮に「会ったことがあります」と言われたとして、それを素直に信じるわけでもない。「じゃあ会わせろ」と俺が言う可能性を考慮した? 慎重だな。流石はビジネスマンだ。簡単に尻尾は出さない。

青「赤さん。あんたは彼女の引退をどう思った?」
赤「とても悲しくて……引退直後の一週間ほどの記憶がありません。多分アーカイブや、ファンイラストの巡回をし続けていたような気がします」

ヤベー奴だよこいつ……。
もしかして晴美復活というのも妄言なんじゃないだろうな? さっき考えた死体を掘り起こす、ネクロマンサー的なことやって自分が晴美になってバ美肉とか馬鹿な事考えているんじゃないだろうか? ……いや、流石にそこまで分別ない大人のわけないか。

青「……なあ赤さん。俺、今から好き勝手なことを言うけど、黙って聞いてもらっていいかな? 俺がVtuber界隈に対して思っていることなんだ。俺に頼むか否か、聞いてから判断してくれ」

構わないと赤さんは笑顔で頷いた。本当なら見積もりとかで驚かす予定がご破算だ。こいつに金の事で揺さぶっても、糸目つけない気がする。借金してでも晴美を造れと縋ってきそうだ。だから別の方法を考えた。

青「Vtuber界隈はもうオワコンだよ。

今更彼女を復活させたところで意味がないと俺は思っている。Vtuberが1万人を超えるか超えないかくらいの時、デビュー人数の伸びが急減して、引退者も続出した。皆気付いたんだ。誰もがVtuberになれるが、人気者になれるのはその内ごく僅かだってことが。

承認欲求が高い奴ほど、人気者になるために奔走して、やりたくもない配信とか売込みして人数を伸ばして。なのに登録者数と配信視聴者数が乖離しすぎて、心と体壊してツイートすら出来なくなって消えていく。だってそうだろ? いまなんじが、誰かが何か配信したらファンの大半はそっちに持って行かれるんだから。ファンだって時間に限りがあって、全部は見れない。

遠慮なく人数増やすいまなんじが、配信勢を増やして、そして駆逐していった。Vtuber黎明期だっけ? あの時代に活躍して何万人もの登録者数を荒稼ぎしていたVtuberは今どうしているよ? どいつもこいつも、動画出しても配信出してもそんなに伸びてやしない。

固定客が100人いたら御の字だ。スパチャで暮らすなんて夢のまた夢。オリジナリティとか分かる人には分かる路線もありだが、素直に【巨乳で美少女で声も可愛いVtuber】作れば問題なく登録者数も伸びていくし、そいつがどんなにくそ下らねえ配信しても最初は注目されるだろうよ。それでなきゃ、いまなんじに所属すればいい。あそこでデビューしたら一瞬で登録者数が数万人いってYouTuberを歯軋りさせられるよ」

赤さんがどれほどの夢を持っているのかは知らない。
Vtuberに対して、どれほどの期待や未来を、その可能性を信じているか知らない。単なる夢想家だったら顔を真っ赤にして食って掛かるか、会計済ませてさっさと出ていくだろう。俺みたいな、デマとかアンチが蔓延っている掲示板に入り浸る奴なんか、早く見限ってほしいもんだ。
……だが俺は赤さんに視線を向けることが出来なかった。どんな顔をしているのか知るのが怖い。机のチュロスに視線を向けて話している。

青「彼女が引退するのは惜しいし、悲しいけれども、俺からすればVtuberになるのはもうやめた方が良いと思っている。面倒くさいファン、指示厨、直結厨、アンチにセクハラ。
1つ1つは大したことなくても、それが数千と来たらどうなる? 彼女だって心を壊す。何でやめたか俺は知らないけど、最後の配信で【Vtuberやりたかった】って言ったのも方便だと思っているよ。あんたはそれを真に受けて復活させようとして、結果彼女に負担を強いているんじゃないのか? 頑張れっていう応援が人を殺す時だってあるんだよ。あんたは人殺しになってやしないかい?」

本心だ。晴美は強い女だったけど、強い奴でも数万ある批判を一身に受けて、心を壊さないわけがないんだ。vtuberなんて所詮はお人形遊びだ。お人形遊びで精神を壊すなんてことがあっちゃいけない。壊れる奴はVtuberで多くいるのも知っているし、そうならない奴は、精神が図太いか、元々壊れているだけ。

青「今Vtuberで活動を初めてどれだけの人が注目してくれるんだ。沈んでいく文化に飛びつく新規なんていない、内輪揉めばかりで勝手にくたばる。古参ファンだろうがやがて疲れて離れていくさ。個人ですらこんなに疲弊しているんだ、企業勢なんかどうなんだろうな?
最近じゃあどこもかしこも、いまなんじ以外倒れまくっている。いまなんじだってどうなるかわからない。だから晴…彼女もいなくなったんだろう? あいつも会社に殺されたんだろう? 分かるんだよ、リーク動画とかまとめサイト、掲示板でも書き込みやタレコミがあるんだから。あんたはそういうの全く見ないだろうけどもね! Vtuberなんてお先真っ暗だから、彼女が復活するならYouTuberでいいんだよ!」

……やばい。調子に乗って、思っていることを吐き出し過ぎた……息切れする……喉にコーヒーを注ぎこんでようやく俺は冷や汗を流した。初対面に、しかも好意で近付いてきた相手に何言ってんだよ? 晴美どころかVtuber、そのファンまで馬鹿にしたようなこと言ったじゃないか……。ブチ切れられるか? 試すとかなんだ言ったけどお前そんなのネットでのイキリ番長じゃねえかよ……違うだろ、今は現実なんだよ、現実でいきなりこんなことぶちまける奴が他に誰がいるよなあ、ネット漬けで対人スキル皆無かよ、馬鹿なんじゃねえの俺……!!

赤「…………」

恐る恐る赤さんを見たら、腕を組んで難しそうな顔をしている。俺との約束通り、何も口を挟まずに聞いていた赤さん。どう思っている? 俺を糾弾するか? そう思って3分が経った。もう30分も待たされたような長い長い沈黙に感じる。

赤「最初に一つだけ確認しておきたい。青さんは彼女のことが好きかな?」
青「え、あ……はい」
赤「それならいい。じゃあ、私からも話をしていいかな? それを聞いたら、交渉に再度入ろうと思うんだ」

3分間、俺の話を飲み込んで逡巡してたのか? 何だ、何を話すんだ……怒って帰るとばかり思っていたのに。

赤「Vtuber界隈がオワコン。そう君は言ったね? ハッキリ言って、オワコンにはもうならないよ。出来ない。オワコンにしたかったなら、大企業までもが参入する遥か前。Vtuber黎明期に潰す必要があった。今Vtuber界隈は、個人や企業でのやらかしが散見される。未熟な企業の報連相不足も否めないし、杜撰なCF(クラウドファンディング)も話題に上がっていた。そういう大きなやらかしだけを注目して界隈がどうだとか言うのは、主語を大きくし過ぎだ。Vtuber界隈の企業がやらかした。個人VtuberのCFがやらかした。それだけなんだ。どんな界隈でも同じ事。
Vtuberと関係ない大企業がVtuberを、VRにも目を付け始め、注力を開始している。恐らくVtuberは新たなステージに上がるだろう。それこそ一般人さえ認知拡散し、基盤は盤石なものになり、個人や1企業のやらかし程度では揺るがない地位にまで上り詰めるだろうさ。アンチの方々は、この事実から目を背けたいだろうけどもね」

捲し立てるような俺への当てつけとばかりに、落ち着いて諭すような話し方をする赤さん。コーヒーを飲むのも忘れない。

赤「そして君は一つ勘違いをしている。……いや、君だけじゃない。多くの人が勘違いをしていることなんだが。数字が全てじゃない。好きなVtuberの登録者数や配信視聴人数が少なかろうと、ファンにとってそのVtuberが好きなことに変わりない。
数字が伸びる人は伸びるなりの理由がある。学校の試験で良い点数を取るには、才能か勉強の積み重ね、傾向と対策が必須なように。
今トップを走る人たちは、企業の名前だけがウリではないだろう? また、赤点ばかりの人が皆、魅力なきデク人形なわけでもないだろう? ある人はスポーツが、ある人はゲームが得意な人がいるんだ。
どうしても伸ばしたいと思うのなら、勉学に励んだり、どうすればいいかを思案する他ない。出鱈目に動いて山が当たる学校の試験と違い、何が当たるか、いつ当たるのかもわからないのが世の常なんだ」

言い返せない。実際、一旦休止して、しばらくしたら3Dもイラストも格段に上手くなったVtuberは確かに話題になった。今もその人は一線級だ。

赤「あと。【巨乳で美少女で可愛い声】。これは正論だ。何故ならVtuber界隈のファン層は幅広いが、現状男性ファンが多い。男性をメインターゲットに据えて売り込めるVtuberは強いんだ。3Dになって揺れるのも、目を引くのも、耳を癒すのも全部出来るとしたら、それは最早兵器に近い。拒否反応を起こす人もいるだろうが、現実的には悪くない戦略だ。Vtuberに健全性を求める人は嫌がるだろうけど、ツイッターのやり取りなどを見れば健全か否かはっきりするだろう。嫌ならそういうキャラで行かなければいいし、そういうキャラが流行らない文化に変えていくしかない」

晴美は、巨乳と可愛い声と、かけ離れた位置にいた。それでも赤さんは晴美が好きだというのは、なんだろう。本当に魂に惹かれたんだなと思う。俺は晴美の、媚びない姿勢が好きだった。媚び売って人気獲得するVtuberっていうのがどうにも苦手だった。赤さんはその点どう思っているかわからないけど、客観的に物事を見ている。

赤「あと確かに、私は、厄介なファンなのかもしれない。頑張れというのも、頑張ってほしい祈りや呪いみたいなものだ。誰しも、推しへの負担になることが何よりも怖い。Vtuberは繊細な人が多いから、なおのこと気を付けて発言している。……同様に、嫌われたくないのはVtuberも同じなんだ。皆好かれたいから、アンチの意見も指示にも従いそうになるし、その結果、心を砕きすぎて崩壊する。嫌いというものに蓋をして躱すことが出来ていない。閉じた世界にせず、しかしアンチを100%回避するのは難しい。そういう時、Vtuberには味方がいるんだ。【今まで応援してくれているかけがえのないファンたち】が。未だにそういう意味では優しい世界のまま、Vtuber界隈はもっている」

かちゃりと、コーヒーカップを置いた赤さんは、さっきまでの穏やかな笑顔から一転、眉をひそめた。何かやったか俺? いや、さっきやったばかりだから何か気に食わないことがあったのかもしれない……!

赤「でも。まとめサイトやリーク系は嫌いだ。あれらは人のこけた様を見て笑うだけ。未来に行くための人々を妬み僻み、叩く機会を窺っている。燃えるときの火の粉を見て傍観するとか、仲間内で噂しあう程度ならば全然問題ない。必要以上に問題を誇張し、火の手を広げて悪化させるのは、未来ではなく過去にしか生きていくことが出来ない人種だ。彼らは皆何か大きくて調子づいているモノへの執着でしか生きていけないくせに、それの死を望んでいる。理解し難い。私にはそんなことをする時間が勿体ない。……青さんはそういう人を、どう思うかな?」

……!!!! いきなり……疑われている……そういう情報を知って、知ったつもりになったり鵜呑みにしているのも全部……見透かしているような目だ。さっきまでの紳士は、鬼か鷹のような眼光で俺を見据えている。でもどう答えればいい、この場限りでも嘘をつくか? いや、何で嘘つかなきゃならないんだ? まだ仕事を受ける受けないとも言ってないのにそんな気を使う必要なんかない……けど、この人相手に口喧嘩で勝てる気がしない。

青「……俺自身そういうサイトとか見るから、あの、俺は噂話程度に楽しむならいいと思う……ます。皆そういうのも、興味はあるだろうし」
赤「嘆かわしいけどそれも真実だ。そうだね、適度に楽しむ程度ならいいかもしれない。【適度】に」

イチゴムースの美味しそうなロールケーキを赤さんは食べた。俺もチュロスを食べたが、味が分からない。冷や汗ばかり溢れて、頭が段々痺れてきた。

赤「私からは以上だ。何もなければこのまま商談をしたい」
青「……あの、最後に聴かせて欲しい」
赤「どうぞ」

嫌そうな顔一つせずに聞く準備に入る。この人は何なのだろうか。Vtuberを愛しているっていう割には、Vtuberに夢を見過ぎてはいない。晴美以外の事には結構博愛なのかもしれない。いや絶対そうだ。この人は晴美を独り占めしてどうこうしようとか、そんなこと全く考えてもいないのだろう。

青「晴美を復活させて、どこまで面倒見るつもりだ?」

復活と言えば聞こえはいいけど、Vtuberとしてもう一回生まれるっていうのは、気楽なもんじゃない。大変なことが沢山ある。

嫌なVtuberとも、ある程度付き合わなきゃいけない。
Twitterが自由に出来ない。
金銭面でも不安定だ。

赤さんは見る限り金持ちだから、ある程度は面倒見れるだろう。でも、その後はどうする? 復活してファンも喜ぶだろうけど、まさか墓まで面倒見るとかじゃあないだろう。ファンのスパチャで支えるとか非現実的すぎる。

赤「半年間は確実に、全面的に面倒を見るつもりだ。ポケットマネーにも随分余裕はあるけど、とりあえず3000万円までと定めているよ」

ひっくり返りそうだわ。この人ガチだよ。ガチで晴美好きすぎて金も実力も惜しげもなく使っている。しかも「半年間は確実」と言う辺り困っていれば増額援助する気満々だし、「とりあえず3000万まで」ってそれとりあえずで済ませていい金額じゃあない。一体何の仕事をしているかわからないけど、管理職クラスでないと絶対にこんな金額は捻出できない。

青「……わかったよ。晴…彼女を復活させたら、彼女の体の権利関係とか諸々あるとか思っているけど、その辺りも大丈夫なのかな?」
赤「それは私が何とかする。青さんには、3Dモデリングに注力していただきたいんだ。デビューまでは半年程度を見ているのだけど、依頼料の見積を聞きたい」

見積

赤さんはペンと紙を出してきた。金額を書いて寄越せってことか。
……3Dモデリングの予算っていうのは、頼む人によって様々だ。有名人なら滅茶苦茶高いけどクオリティも高い。無名だと安く済むけど博打だ。

半年を目途としているなら、拘束時間も半年と仮定して。
やはり1日1万円、180万円。
30万円とか言えば確実に引き受けることが出来るだろうけど、そんなの俺が生活できないし、安く見られるようで嫌だ。色を付けて200にしよう。

紙に200万円と記入して、赤さんに渡した。値段を見て少し驚いている。顎に手を合ってまじまじと数字を見ている。
そりゃあそうだろう。無名の、実績もない3Dモデリングオタクが、200万円だ。そんな金額出るとは思っていなかっただろう。精々50万円とかくらいを最高値としていたんじゃないかな。

赤「……青さん。残念なんだけど、良いかな」
青「どうぞ」

赤「君はもう少し勉強したほうがいい。この金額は不適切だ」

ほうらきた。尤もな言い分だ。だけど引く気はない。晴美への愛があるならこの程度は払ってもらわなきゃあ困る。

赤「3Dモデリングは特殊技能なんだよ。Vtuberの皆や、ファンの皆がホイホイと簡単そうに作っているけれども、作れる時点ですごいのに、クオリティ高いものとなれば更にすごい」

……ん?

赤「君は3Dモデリングを軽んじている。加えて相手の予算を見る力もないのかな? ご丁寧に私は、3000万円あることを示しているんだ。相手が出せるギリギリを狙うのが商売の基本。晴美を愛して止まない君を同志と見込み、実力も買っている状態なんだ私は。そういうもの全て加減乗除して値踏みしてもらわなければ困る。これから3Dモデリングの依頼を受けていくとき、そんなんじゃあ足元みられて大損をする。技術の安売りはするな」

青「え、あの……すいません」

ナニコレ? え、何で今、俺怒られているのか一瞬本気でわからなかった。
いや、200万円だぞ? 無名相手に払えるかってお小言じゃないの??

赤「Vtuberのママ方は、どんな値段でやり取りしているか知らない。でもこの場は私と君のやり取りだ。さぁ、書き直しなさい。早く!」

えええええええ……えっと、じゃあ……250万円……いや、ギリギリって言ってもその限度が分からない……300……350……ええいもう、倍の

青「400万円!」
赤「キリが悪いから500万円だ!」

キリなんて知るかよ!!?

青「って、ごひゃ…何それ、マジで言ってんの!? 現ナマ見るまで信じないぞ俺は!!」
赤「当然だ。半年間、彼女が軽やかに、可愛らしく動くためのモデルを大いに作ってもらう。君がこの話を飲めば、どんな姿にするかの草案を渡そう。契約書もここにあるから、すぐに書ける。読み飛ばさずにちゃんと読んで記入してほしい」

500万円……それだけあれば、これまで脛かじってた分の金も渡せる……!
けど晴美がスキだからの一点で俺をここまで買うのってどうなんだ……この人3000万円の内もう500万円も使って大丈夫なのか?

青「残る2500万円はどう使うつもりなんだ?」
赤「強靭PCの購入、彼女への動画編集教材本、あとはSkebだ。あそこにかねてから晴美のファンである人たちに少し高額で晴美の絵を描かせまくり、知名度を保ち続けておく。ファンアートにも愛だけでは限界があるから、そこはお金だ。君にはモデリングがあるように、私にはお金がある。双方形は違えど、彼女を想う気持ちは一緒だ。明日から忙しくなるなあ青さん!」

ウキウキする赤さんを見て、こういう人だから金も人も集まるんだろうなと、若干悔しさを噛み締めつつ俺は契約書にサインをした。

俺が晴美のママになる。何だか、変な気持ちだ。
だが、不思議と悪くはないと思えた。



次回:蟲毒と飲酒

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。