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『ノスタルジア』撮影監督インタビュー

ジュゼッペ・ランチ:光のかたち
ロベルト・アイタによるパレルモでのインタビュー(2001年)


ジュゼッペ・ランチ(1942年ローマ生まれ)はカメラ・アシスタントやカメラ・オペレーターとしての修行を積んだ後(その中にはベルナルド・ベルトルッチの1970年作『暗殺のオペラ』がある)、撮影監督としてのキャリアを1977年にスタートさせた。以来、ランチはイタリア映画界で最も尊敬されている監督たちと、時に緊密な関係を築きながら撮影監督として働いてきた。たとえばマルコ・ヴェロッキオとは1979年の『SALTO NEL VUOTO(虚空への跳躍)』で組んでいるし、さらにロシア人監督アンドレイ・タルコフスキーとの『ノスタルジア』(1983)があり、その後もロベルト・ベニーニ、ダニエレ・ルケッティ、リリアーナ・カヴァーニ、パスクァーレ・ポッツェセーレともやっている。ランチはナンニ・モレッティの最後の4本、『赤いシュート』(1988)から『息子の部屋』(2000)までの撮影も担当している。このインタビューはシシリー島が主催し、何百という学生、映画関係者、そして映画ファンがイタリア中から集まってきた「光の形」という5日間のセミナーの間に、パレルモで行われた。

映画撮影は過去30年の間にどのように変化してきましたか?

私はヌーヴェル・ヴァーグの時期にローマの映画学校に通ってたんです。私たちは戦後から1960年代の終わりにかけて、映画における撮影術がいろんな側面で解き放たれていくのを目撃していました。編集さえももっともっと自由になり、ゴダールを筆頭とする監督たちももっと大きな自由を探索していた。撮影においては手持ちカメラが使われるようになり、今日に比べれば当時の撮影フィルムの感度は低かったにもかかわらず、開けた窓からの自然光や、自然に見えるライティングも使われるようになりました。私は『SALTO NEL VUOTO(虚空への跳躍)』を感度ASA100のフィルムで撮りましたが、今は簡単にASA500も使える。当時のヨーロッパにおける最も重要な人物は、疑いようもなくラウル・クタールですね。

イタリアではどうだったでしょう?

イタリアではまだ、もっとクラシックなスタイルの撮影でした。フェリーニと『甘い生活』まで一緒に働いていたカルボーニやマルテッリといった仲間たちがそうですね。一方で違ったアイデアをもった撮影監督たちも出てきた。白黒においてはジャンニ・ディ・ヴェナンツォなんかがそうです。しかしこの独自の美意識を持った白黒のイメージは、照明を実際の雰囲気や環境に溶け込ませることで特徴的なクオリティを実現するものでした。映画撮影術というものはどんどん大事なものになってきていて、映像とストーリーをきっちり共生させなくてはならなくなったんです。

監督と撮影監督の出会いはお互いのキャリアに影響を与えうるものでしょうか?

今回のセミナーの中で『アッカトーネ』(1961)における、パゾリーニとトニーノ・デッリ・コッリの邂逅について言及したんです。いい撮影監督と偉大な詩人の出会いについてね。あの時点でトニーノはとてつもないプロフェッショナルになっていて、おそらく戦後もっとも素晴らしい撮影監督だった。一方、フェリーニの映画で言えば決定的な転換点は間違いなく『8 1/2』(1963)でジャンニ・ディ・ヴェナンツォを起用したことです。

どの映画、あるいは監督があなたに特別な印象を残していますか?

『ノスタルジア』におけるアンドレイ・タルコフスキーとの関係は、今もって素晴らしい感傷と共に思い出される、確固たる出来事でした。私を慕う学生たちが、あの映画を観て撮影監督になろうと決心したとか、監督になった人たちが『ノスタルジア』のおかげで映画界に足を踏み入れたなどと言う。こんなこともありました。ある日ブラジル人の少年が、『ノスタルジア』を観てイタリアで映画を作ろうと決めたと、私の家までやってきたんです。多くの人にとって大切な映画でありつづけているし、私にとってはもっとそれ以上です。だってアンドレイと1年にもわたって仕事をする幸運に浴したのですから。

どのようにして出会ったのでしょう?

まったくの偶然でした。彼はこの冒険を精神的にも一緒に準備することができる撮影監督を探していて、何人かが私の名前を挙げてくれたんです。ロシアで映画の勉強をしてロシア語も話せる友人がいてーーその人は結局『ノスタルジア』の助監督になったんですがーー私をアンドレイに紹介してくれました。彼が「タルコフスキーが会いたがってるんだけど」と教えてくれた。私たちはナヴォナ広場でお茶を飲んで、終わる間近になって彼は台本を取り出し、私にくれた。その瞬間の感激を今でも思い出せますよ。

あの映画の「臨場感溢れる撮影」について語ってもらえますか?

アンドレイは私に言ってました。映画は時間を物語の要素として扱うのだと。通常、映画の照明はあるシークエンスの間では一定したものです。「臨場感溢れる撮影」とは、正確なタイミングの取り方によって映画に別のリズムを与えるものです。自然の環境を例にとってみましょう。曇りがちな日のある瞬間に太陽が顔を出すと光の加減は変わってしまいます。屋内であれば暗い部屋に登場人物が入ってきて電気をつけるとやはり光の加減は変わる。しかし、これらは全部、動きと正確に対応しています。こうしたことが『ノスタルジア』においては増幅されているんです。自然光のバリエーションに加えて、論理的な意味づけよりも、感情的な動機に一致するような光のバリエーションも用いられている。

そうした感情的動機に応じた変化を演出するために特別に技術的な補正などしましたか?

撮影の段階においては、照明の前に可変の装置を付けました。枠の中に金属の板が何枚もぶら下がったものです。色温度を変えることなく、光の強さを変えられる。ポスト・プロダクション段階においてはもっと特徴的なプロセスを踏みました。この映画はローマ・テクニカカラーの現像所でENRと呼ばれるシステムでプリントされたんです。ENRプロセス*を使うと、シーンの中の彩度を極限までに抑え、コントラストを上げることが出来ました。白黒で撮影したものをカラーのポジにプリントしたような感じにね。

(*訳注:ENRはテクニカラー・ローマで行われていたプロセスで、3人の発明者、エルネスト、ノベッリ、リモの3人のイニシャルからそう名付けられたもの。日本で言うところの「銀残し」と似た手法で、通常は現像のプロセスで全て取り除かれるフィルム上の銀を適度に残すことで、画像の暗部に印刷における「墨」版が生じたように黒が締まり、色彩は抑えられる。テクニカラー・ローマはヴィットリオ・ストラーロが撮影監督を務めたウォーレン・ビーティの『レッズ』のためにこの手法を開発し、ストラーロは以後の作品でもENRを使い続けた。なお、このプロセスはポジ=プリントを現像する際の処理。今回の『ノスタルジア』Blu-rayとDVDのマスターはオリジナル・ネガから起こされたものであるため、ジュゼッペ・ランチはデジタルのカラー・コレクションを使ってこれと同じ効果を再現したと思われる。)

いくつかのシーンでは撮影のスピードも変えてますね。時にはほとんど気づかないくらいに。

撮影中、アンドレイは、撮影スピードをちょっとだけ上げるために(*撮影時にフィルムを回すスピードを上げると、上映時にはスローモーションになる)、正確に1秒何フレームで撮れと注文を出しました。私たちが他の多くの映画で見慣れてるスローモーション効果とは随分かけ離れたものです。これは単にカットを引き延ばすだけでなく、作品にある雰囲気を醸成する役割も果たしています。技術的にはこうしたスピードのバリエーションのためには、絞りの微調整が必要になります。アンドレイは彼の選択した撮影方法に対してとにかく厳密であろうとしました。私のみならず撮影隊の全員が彼の個性に圧倒され、彼のリクエストに自発的に応じたんです。

セミナーのコースの中であなたは、イタリアでは画作りに腐心した撮影をするのはますます難しくなってきていると嘆いておられました。どういう点においてですか?

まずイタリアでは職業意識というものが欠如しているからです。他の国のクルーやプロダクションといくつかの映画で仕事をしましたが、彼らにはプロフェッショナルに対する大いなる尊敬があることを間近に感じました。次に、明らかに準備が足りない。しっかり準備をしておかないと、現場でやっつけ仕事になるしかありません。スケジュールの把握も大事です。10週間で撮るのと5週間で撮るのとでは、結果は当然違ってくる。デジタル編集の発達によって、撮影ネガをテレシネにかけ、その後AVIDに廻すということが多くなってきています。「デイリー」と呼ばれるものをプリントすることがなくなったわけですが、起こりうる技術的な問題をコントロールするためには私は「デイリー」はとても重要なものだと考えています。今のやり方だと露光の問題が発見されるのは編集作業中になるし、もしそれが国外で撮られたものだったりしたら、全部のシーンをもう一回撮り直しに行かないとといけなくなる。

どうしてイタリア映画はかつての時代のような熱意を持って作られることがなくなってしまったのでしょうか?

おそらく映画というものへの本当の愛がなくなってしまったのでしょう。問題は自分が投資したプロジェクトを理解しているプロデューサーはもはやいないということです。映画をできるだけ良いものにしようなんて愛情を持った人はもういません。今の製作は予算だけに左右され、時にはその作品がいいか悪いかすら問われないのです。

出典:OFF SCREEN


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