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ボローニャ復元映画祭2020 DAY 6

今朝、この投稿の「DAY いくつ」ってのを途中から間違えてることに気づきまして(DAY 3が2回あった)、慌てて直しました。映画ばっかり観てるからですね。

裏町の怪老窟(1924)

ドイツ表現主義映画のパイオニア、パウル・レニの……ってこの投稿、いかにも知ったように書いてますけど、ほとんど初めて観る&知るものばかりで、情報は全部図録とか、作品に関連して語られる講義セッションから得たネタですからね。いや、これ面白かった。原題は”DAS WACHSFIGURENKABINETT”、英語題は”WAXWORKS"で、邦題の「怪老窟」ってのは蝋人形館のことなんですね。サイレント映画。もうこれは予告を見てもらいましょうか。

見ましたね? なんかいい雰囲気でしょう? コントラストの強い画作りといい、美術といい。ダリの絵の中に入っていくような。古い映画ですから人間キャラの姿も荒い粒子の中で「絵」みたいになって、美しい。話は、蝋人形を作っているお爺さんが、宣伝のために、自分の作った人形をモチーフにストーリーを書いてくれるライターを募集してまして。そこに一人の若者が応募してくるんです。その怪老窟には爺さんと娘が住んでいて、4体の等身大の蝋人形が飾ってある。バグダッドの王様ハルン・アル・ラシッド、ロシアのイワン雷帝、ロンドンのジャック・ザ・リッパー、イタリアの盗賊リナルド・リナルディーニがその4体なんですが、若者が「おお、浮かんだぞ!」と紙にストーリーを書き始めると、映画はそのお話の世界にワープするという、そういう構造です。それぞれのエピソードの中に出てくるヒーローとヒロインを、さっきのライターの彼と、怪老窟の娘の役者が演じる、という趣向で。ただですね、パン屋のカミさんを我が物にしようとするバグダッドの王様と、人を毒殺しすぎて自分が殺される疑念にとりつかれるイワン雷帝の話はしっかり時間使ってるんですが、切り裂きジャックの話はおまけ程度のエピローグ、リナルド・リナルディーニに至っては製作資金が尽きたらしく、まったく描かれないという中途半端さ笑。いやー、でも見入ってしまいました。魅入られてしまいました。

この作品の修復、ドイツのキネマテーク、イギリスのBFI、シネマテーク・フランセーズ、そしてチネテカ・ボローニャと、ヨーロッパのフィルム・アーカイヴ総動員で完成されたもので、もう、映画保存界のアベンジャーズですよ。中心となったキネマテークのジュリア・ウォールミューラーさんによる講義がありましたので、以下にその内容をかいつまんで。ここからは本当に「メモ」です。

パウル・レニはもともと映画の衣装デザインをやっていたのが監督になった人。この作品は1920年に脚本を執筆、1922年に製作のための会社を作り、1923年初頭に撮影を開始した時は、すでに国外の配給会社にも売れていたそう。この頃から映画を出来る前から売ってたんですね。お金がかかりますからね。

1923年9月には撮影終了。翌1924年2月に検閲を受け、10/16にはウイーンで初上映。11/13にはベルリンでの初上映。ウイーン版とベルリン版では中のエピソードの順番が入れ替えられていたそうです。また検閲の記録カードが残っていて、それによると現存するプリントよりも25分長かったらしい、ということも分かっている。スウェーデンで公開された時のスウェーデン語の字幕カードが残っていて、その字幕のテキストによって若干、内容が変えられていたりもするよう。

オリジナル・ネガは完成から一年もしないうちに焼けてしまったそうで(可燃性フィルムの時代です)、ドイツ語版(といってもサイレントですから、タイトル画面や、途中にインサートされる字幕のカードがドイツ語、ということですが)はもうどこにもない。現存しているのは、下記の3種類。

①BFI所蔵 英語版
第一世代の上映プリント
1615m(7リール)
フィルムは1923年のAGFA社製(字幕部分は1925年のKODAK社製)
カットやシーンごとに染色されたもの

②BFI所蔵 英語版
保険のために①から作った第二世代の白黒デュープ・ネガ
1615m(7リール)
1978年 KODAK

③シネマテーク・フランセーズ所蔵 フランス語版
第三世代の染色+白黒プリント
1680m(3リール)
1927年以降のAGFA社製プリント

修復は1990年代に一度、フォト・ケミカル(光化学的に……つまりアナログ的な作業で最終的にはフィルムに仕上げる……デジタル以前はそうするしかなかった)ではやっていたのを、2015年からデジタルでやり直した。最終的な修復バージョンの元素材となったのは、①が25.9%(168ショット)、③が2%(12ショット)、②が72.1%(467ショット)だったそうです。世代的には①が一番上流のものなわけですが、縮んだり歪んだりコマ飛びしている箇所も多く、ダメージのひどいそこらをほかの素材でカバーしたと。コマ飛びは225フレーム分を埋めたそう。実に4~5年を費やす修復作業となったようです。いやいやご苦労さまです。だけど、やっぱり、ものすごく見やすいですよね。見やすくなるとちゃんと映画の中身に入っていける。傷だらけだと、やっぱり辛いですよ。

先にご紹介した予告編の最後にあったように、この修復版のブルーレイが完全予約販売の形で11月にリリースされます(情熱にほだされて思わず予約しちゃいましたよ)。盤にはパウル・レニのほかの作品も収録されてるみたいだし、修復に関する特典映像もあるみたい。値段はそう高くないんですが、日本までの送料が商品と同じくらいの値段になってしまうのが痛いところで。まあしかし。ご興味のある方はこちらで。

MONANGAMBEE (1969)

16世紀からポルトガルの植民地だったアンゴラで、その支配者たちが原住民に対して行っていた横暴な差別を描いた17分の白黒短編。監督は女性のサラ・マルドロール。この映画の7年前に独立を果たしたアルジェリアも製作を支援しています(アンゴラが独立するのはこの映画の6年後)。収容所?から一時帰宅した夫に、「あとでル・コンプリを届けるから」と妻が口にしたのを、連行している男が耳にし、収容所に連れ帰ったその夫に「ル・コンプリだと? 生意気な」と延々嫌がらせをする、というただそれだけの映画。「ル・コンプリ」というのはアンゴラでは3種類の皿の定食のことなのだそうですが、ポルトガル語では3つ揃いのスーツを指すということで、そうした誤解がさらに痛ましい支配者=被支配者の関係を生んでる、という告発。BGMとして、アート・アンサンブル・オブ・シカゴみたいな前衛ジャズがかかるなあ、と思ってエンド・クレジットを見たら、アート・アンサンブル・オブ・シカゴそのものでした。しかもその音楽が、誰かがセリフを喋ると急に途絶え、セリフが終わるとまた始まる。演出というよりは、技術的な制約のゆえにそうなっていた可能性も大ですが、「なんか、これ、新しいな」と思ってしまいました。

SHATRANJ-E BAAD (1976)

こういうのがかかるのもこの映画祭ならではなんですが、これ、1976年のイラン映画ながら、これまでほとんど誰も観たことがなかった作品であり、「イラン映画の歴史の中で最も象徴的な作品の一つ」とも言われている。1976年のテヘラン(イランの首都ですね)映画祭に出品されはしたのですが、監督のモハンマド・レザ・アスラニと映画祭のキュレーターの間に諍いがあり、上映が妨害されてしまった。リールの順番が取り違えられたり、映写機が壊れたり……審査員は怒って出て行ってしまい、コンペの審査からも外される。すぐに「エリート映画だ」と見なされ、国内では配給会社が付かず、プロデューサーは国際映画祭に出品するのも止めてしまった。どうやってフィルムが届いたのかは不明ですが、私的な上映会で、この映画をちゃんとした状態で観たアンリ・ラングロワ(シネマテーク・フランセーズの創設者)、ロベルト・ロッセリーニ、サタジット・レイたちはこの若き監督を称賛したということなのですが(ラングロワとロッセリーニはどちらもこの映画の製作年の翌年1977年没)それ以後、この映画は一度もスクリーンにかかることがなかったのだそうです。

さらに、1979年の革命によってイラン・イスラーム共和国が誕生すると、この映画はイスラム的でないと政府に烙印を押され、フィルムそのものが廃棄。しかし、検閲でカットされた状態のフィルムからコピーされた恐ろしく質の悪いVHSが海賊テレビで何度も放送されたそうで、2000年には、若い批評家やシネフィルたちから「これはイラン映画の失われた傑作だ」と言われるように。

ところがですよ。2015年になって、古いフィルムや衣装や装飾品を扱う蚤の市で、なんとアスラニ監督自身が、この映画のネガを発見し、購入。安全に修復してもらえるようにすぐにフランスに送ったというのです。で、今、我々は、ものすごくキレイな状態でこの映画を観られるようになった。当初は今年のカンヌ・クラシックでお披露目されるはずだったのが、コロナで開催がなかったので、封切がボローニャに回ってきた次第。

と、こんな話を聞かされたら、いったいどんな映画なんだ?と思いますよね。重厚な文芸映画? それともアート・フィルム? 政治を告発するような社会派? イランと言えば、アッバス・キアロスタミみたいな映画? 

これがねえ……あくまでも僕なりのカテゴライズですけど……サイコ・ホラーでした笑。主人公は、大きなお屋敷に住む、木製の車椅子に座る女性です。もともとこのお屋敷は彼女の母親のものだったのですが、財産目当てでか、その母親の後妻ならぬ後夫として入った横暴な男がおり、その母親が死んでからは、そいつが完全に我が物顔で屋敷を支配。車椅子のその娘を邪険にする。とうとう堪忍袋の切れた主人公は、その継父をチェーンの先に鉄球の付いた棒(これ、なんていう道具なんですかね? というか、そもそも何をするための道具なんですかね?)で撲殺してしまうのです。そして、やや同性愛関係にあるメイドや、自分に結婚を申し込んでくる頼りない男の協力を得て、死体を地下の倉庫に並んでいる大きなガラス製の甕みたいなものに隠す。早く溶かして証拠隠滅を図ろうと、その頼りない男に「酸を買ってきて」と頼むんだけど、男はなかなか買ってきてくれない。そのうちに死体の腐敗が進んで悪臭が漂い始める。屋敷の主が行方不明ということで、警察も聞き取り調査に来る。主人公はストレスでだんだんおかしくなってくる。もともと体も丈夫じゃないし。ある日、錯乱した彼女はもう一回地下に降りて、例のガラスの甕みたいのを、男を殺したあの鉄球で一つ一つ割っていくんですが、隠したはずの死体がどこにもないんです! さらにメイドのボーイフレンドみたいなのやら、霊媒師みたいのやら、いろんなサブキャラも絡み始めて、主人公は早々に絶命。残されたキャラたちは殺し合いを始め……いやー、正直「なんじゃこりゃ?」と思いましたよ。目が離せませんでしたね。

撮影はものすごく丁寧でキレイ(蚤の市に出るまで、いったいどんなところに保管してあったのかわかりませんが、ネガの状態も良かったんだと思う。修復も素晴らしいです)。ベルイマンのカラー映画を観ているような、濃密な、品のいい色彩です。あと、舞台がいかにもお金持ちそうな大きな洋館、ということも手伝ってそう感じるのでしょうが、パゾリーニの『ソドムの市』みたいなシンメトリーの構図が多用されていて、それも良かった(『ソドムの市』はこの映画の一年前の公開だし、そもそもあんな映画をイランの人が目に出来ていたとはちょっと思えない。偶然でしょうけれどね)。

好意的に捉えれば、やはり男性中心社会に対するアンチ、というテーマだったのでしょうか。最後まで生き残るのはメイドの彼女で、明け方、町にアザーンが聞こえる中、忌まわしい屋敷からそっと去っていく。それが新しい、あるべき姿の社会への希望、ということなのかもしれません。まあ、しかし、ちょっとビックリしましたね、この映画。英語題はCHESS OF THE WIND、『風のチェス』ということで、劇中にもチェス盤は少し出てきますけれども、後半の登場人物たちの攻守の関係がどんどん変わっていくことを言ってるのかなあ。

LET US LIVE (1939)

この日はけっこう濃厚なのが続いて夜中になり、既におなか一杯だったのですが、止せばいいのに、ちょろっとまたヘンリー・フォンダを観始めてしまいました。尺も68分と短いので、まあ、観ちゃうか、と。貧乏性なんですよね。映画祭あるある、ですが、観てない作品の中に、ものすごい傑作があったらどうしよう? という不安。

フォンダ、1956年にヒッチコックの『間違えられた男』に出てますが、その17年前に似たような設定の映画に出ていた、ということなんです。監督はジョン・ブラーム(1本も観てませんが、ミッチャムの出てる映画とか、ダナ・アンドリュースの出てる映画とか、いろいろ撮ってる人のようですね)。もう明日に結婚を控えてる幸せいっぱいのタクシー運転手のフォンダと、そのフィアンセのモーリーン・オサリヴァン(この人はミア・ファローのお母さんですね。日本人好みのする顔立ちの美人さん)がいるんですが、町のカーディーラーや銀行で立て続けに強盗殺人事件が起き、犯人はタクシーで逃走したということで、全タクシー運転手に嫌疑がかけられる(そんなあ~)。で、フォンダとオサリヴァンはたまたまそのカーディーラーにも事件の直前に立ち寄っていたということもあって、フォンダが有力な容疑者に仕立て上げられてしまう。おまけに銀行強盗のあった時に現場にいたお客たちの前で面通しをさせられると(ここ、メルヴィルの『サムライ』の面通しのシーンとすごく似ています。フィルム・ノワール好きのメルヴィルですから、これを模倣したのかも)、一人の婆さんが「この男よ!」なんて言ってしまって、ほかの人たちも追随し、ついには裁判になって(まただ)、電気椅子送りの判決が下ってしまうんですね。婚約者のオサリヴァンはたまったもんじゃないと、真犯人探しに奔走するんですが、刑務所のフォンダはもう生きる気力をなくしてゾンビみたいになってしまう。なんだけど、結局、次の強盗事件が起きて真犯人はそいつらだったということが分かり、死刑執行当日、すんでのところで容疑が晴れる、と、そういう話です。解放されたフォンダはもう決して笑顔を見せない、という苦いエンディング。そりゃそうだよね。

これ、マサチューセッツ州で実際にあった事件をモチーフに映画化したもので、コロンビア映画はもっと大きな映画にするつもりだったらしいのですが、そのマサチューセッツ州からプレッシャーがかかり(州としてはこんな冤罪事件をおおっぴらにされたくはないですよね)、尺の短いB級品として製作されたのだとか。

というわけで、長い長いDAY 6も終了。早いもので、明日が最終日です。

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