見出し画像

ボローニャ復元映画祭2020 DAY 7

ついに最終日でございます。一週間お疲れさまでした、と誰に言うでもなく。

さあ、最終日に観た映画の話です。

画像1

神々の寵児(1930)

スチル見たらカンフー映画かなんかだと思われそうですけど、これ、オペラに出演するための扮装で、映画そのものは、その人気オペラ歌手の栄枯盛衰を描く1930年当時のドイツの現代劇。主人公演じるはエミール・ヤニングスで、この人、何日か前に観た『裏町の怪老窟』にもバグダッドの王様役で出てましたが、当時、ものすごい人気スターだったそう(今の人気スターの顔や背格好とはまったく一致しないのが面白い)。

ヤニングス、第1回アカデミー賞の男優賞受賞者なんです。もともとドイツの舞台や映画で人気を博していたんですが、1927年にパラマウントと契約してアメリカに渡り、映画に主演(そこでジョセフ・フォン・スタンバーグの作品にも出て、アカデミー賞受賞と)。ところがトーキーの時代になってドイツ語訛りの英語があまりよくないということで2年後には再びドイツに戻り、やはりアメリカから渡ってきたスタンバーグ監督、マレーネ・ディートリッヒ主演の『嘆きの天使』に出演しこれが大ヒット。しかし30年代に入ってナチにベッタリなびいてしまい、プロパガンダ映画にも多数出演、ゲッベルスから撮影所を与えられるほど癒着していた。戦後はそれが仇となって、映画の製作も出演も禁じられ、5年後の1950年には65歳で死んでしまう。

さてこの作品、『嘆きの天使』の直後、同年に公開された映画です。日本未公開だと思ってたら1932年に東和商事が公開してました。原題はLIEBLING DER GÖTTER、英語題はThe Daring of Godで、邦題はそのまま『神々の寵児』。主人公、アルバート・ウィンケルマンはとにかくモテるテノール歌手で、妻帯者でありながら、もう行く先々で女性がメロメロ、愛人も多数。前半はひたすらその人気ぶり、モテぶりの描写。そんな人気があるのに、南米から高額の契約で呼ばれて単身、出張する。ところがヨーロッパと違ってめちゃくちゃ暑いし、ライバルのイタリア人はいるし、かつて一世を風靡したのにいまやすっかり落ちぶれてしまったというオペラ歌手が物乞いに来るしで、すっかり調子を崩してしまい、舞台で声が出なくなるという大失態、失意の帰郷となるのです。しかし、故国にはその失態は伝わっておらず、凱旋帰国という感じでまたものすごい歓待を受けてしまう。もとより妻にはアルバートに自分のそばにいて欲しいという気持ちもあったから、彼は声が出なくなったという事実は隠したまま、「絶頂期のうちに引退したいと思う」とラジオで宣言して、湖のほとりの、のんびりした土地で妻と隠居、一緒に酪農をしたりする。しかし、人に褒められてナンボの生き方をしてきたので、日々、どうにも物足りず、だんだん鬱っぽくなってくる。ついに、妻に「実はもう声が出ないんだ」と告白してさめざめと泣くと、胸のつかえがとれたのか、自然と口から朗々とした歌声が出てきて、彼は再び舞台に立つようになる、と、そういう話です。まあ、アメリカに行って帰ってきたヤニングス自身の状況も設定に反映させたわけですね。

途中、妻が出てくると、アルバートが彼女のことを「ママ、ママ」と呼ぶんです。英語字幕も”Mother"。で、この人が愛人たちを目にしても顔色一つ変えないこともあり、本当にお母さんなのか、それにしてはずいぶん若いな、とずっと「???」となっていたのですが、後半のくだりになって、これはどう考えてもやっぱり妻だ、と確信。子どもがいれば相手を「おかあさん」と呼ぶことはあるかもしれないですが、彼らに子どもはいない。ドイツでは妻のことを「おかあさん」と呼ぶのが普通なのでしょうか。昔だけでしょうか。

この映画に関する講義もありまして。今日観たのはトーキー版だったのですが、当時、まさにサイレントからトーキーへの端境期でしたので、同じ映画のサイレント版も同時に作られていたのだそう。上映設備がトーキーに対応してない映画館もまだまだあったでしょうからね。そもそもドイツはトーキー先進国だったらしいので、国外に映画を売るときにはサイレントの方の需要が高かったということもあったのでしょう。そのサイレント版のフッテージも一部見せてくれましたが、トーキー版よりもカット割りが早いとか、アップが多いとか、そんな違いがあるようです。

画像2

僕は19歳だった (1968)

これも日本未公開だと思っていたら、2016~17年に京橋のフィルムセンター(今の国立映画アーカイブ)や京都でやった「DEFA70周年 知られざる東ドイツ映画特集」の中でやってたんですね。DEFAというのは1946年からベルリンの壁が崩壊して東西が統一される1990年まであった東ドイツ(ドイツ民主共和国)の映画製作機関。

監督はコンラート・ヴォルフという人で出自が実にユニーク。1925年に作家で政治家でもあったフリードリヒ・ヴォルフの息子として南ドイツに生まれたんですが、ナチの台頭に脅威を感じた一家は1933年にモスクワに移住。小さい頃から映画に興味のあった彼は10歳の時にはもうアンチ・ナチ映画に出演していたといいます。そして第二次大戦終戦間近の1945年春には、ソ連の赤軍兵士の一人としてドイツを訪れ、行く先々でナチの残党に投降を呼びかける任務を遂行していた(ドイツ語が出来ますから)。その後、1949~54年の間、モスクワの映画学校で監督術を学んで東ドイツに戻り、前述のDEFAで映画を作り始めます。

この映画は、まさにその終戦時にソ連の兵士としてドイツに戻った時の様子を日記的に再現していくもので、オーデル川流域をベルリンに向かって北上していく彼と仲間たちの姿を描いています。基本的には淡々としたエピソードの集積なのですが、まだ抵抗してくるナチのSSや、敵と間違えて攻撃してくるアメリカ軍などがいて、時折、緊迫した戦闘シーンも描かれる。1968年の作品ながらモノクロなのは、時代感を出したかったというところかもしれません。戦争が終わる時にどういうことが起こるのか、ということを、実直に教えてくれて、その地味さのゆえにかえって重いものが懐にずしんと落ちてくるような、いい映画でした。どういうわけか、これ、英語字幕が用意されてなくて、なにしろ言葉はロシア語とドイツ語でまったく歯が立たない。唯一出る字幕がイタリア語で、それも分からないけど出しておけばなにかヒントになるところもあるかとも思ったんですが、途中で煩わしくなって消しました。まあ、細かいことは分からなくても、アクション、表情、カット割りから、なんとなく起こってること、人物たちの感情は分かる。これが映画の強さだと思います。

これで僕のボローニャ復元映画祭2020は終了。寂しいなあ。

この映画祭、通年は9日間です。が今年はコロナのアレでまず、開催が2か月延期、そして7日間に会期も縮小となりました。

最初に「延期する」ということだけが発表されて、それがいつとは言われなかったのですが、あまり先ではできないだろうとは思ってました。なにせ、名物のメイン会場が屋外ですから、寒くなったら厳しい。あとボローニャって、夏は夜の9時10時にならないと暗くならないんですね。だからそのマッジョーレ広場での上映が、たいてい9時くらいから前説が始まって、今日やる映画になにかしら関係のある音楽のライヴを必ずやって会場をあたため、10時ごろになったらおもむろに上映が始まるという流れがある。秋になっちゃったら日暮も早くなって、またいろいろと差しさわりも出てくるでしょう(映画は早くから始められそうではありますが)。

しかし、とにもかくにもやれて良かったと思います。ボローニャに行けない僕らもオンラインで参加できた。6月のに行けなくなったことにがっくり来てましたから、このオンラインがなかったら、自分的には本当に無味乾燥なサマーシーズンになっていたと思います。そうでなくても、今年は春前から何がなんだかわからず時間だけが過ぎていくような感じですからね(今の今も)。自分にとってはとてもいい句読点というか、刺激になりましたし、ずいぶん知らないことを知れました。勉強になった。

もっとも、この一週間、土日を除いて、昼間は仕事があるので、映画を観るのはほとんど夜になってから。それで何本か観ると、どうしたって0時、1時になって、そのあと、何かしらメモを残すと2時近く。もともと夜更かしの出来ない体質なもので、この一週間は本当にボローニャに行ったみたいに時差ボケ的な体調で過ごしておりましたが、それもさらなる臨場感を演出してくれたかな、と。実際にボローニャに行ったときは、毎晩1時くらいまでその広場で映画観て、そこからそう遠くないホテルに帰ってバタンキューと寝ていたのですが、判で押したように朝5時に目が覚めて、それで日中も全然辛くなかったんですよね。アドレナリンがビュービュー出てたんだと思います。やはり、人間、たまにはそういう非日常的な刺激があってもいいのでしょう。

最初に送られてきたキットの中に、ここ10年の映画祭の様子、それもメインのマッジョーレ広場での上映にしぼって、ずっと撮り続けてきたロレンツォ・ブールランドという人による写真集が付いてきたのですが、閉会して今これをめくると、なんだか泣けてきちゃってね。みんなで一緒に大きなスクリーンを見て、マスクもせずに笑ってる。再びこの日が来るのは来年か、再来年か、それとももっと先か。いずれにしても、そうなった時には、今度はオンラインでなく、かならずボローニャに戻りたいと思います。

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7

画像8

映画祭は今回の振り返りビデオもアップしてます。5分弱ですのでぜひ。

そこで話されるのは……

主催者たち
「今年は100%やれるという自信がなかった。空は暗いし……でもそこに一筋の光明を見て、こう言ったんだ、自分たちを光にゆだねればやれるんじゃないか。挑戦は出来る、前へ進もう」
「今年のボローニャ復元映画祭は過去にないくらい重要だ。世界中の人々に希望を与えるのだから。我々みんなが抱いている恐れに最大限の注意を払いながらも、喜びと共に実施される。参加への恐れを取り除いて、観客を取り戻さなくてはならない」

フォルカー・シュレンドルフ
「映画全体にとって、おそらく今年は元年なんだ。そして元年の後には未来がやってくる」

アリーチェ・ロルヴァケル
「この復元映画祭にいられるのは素晴らしいこと。だって、本当に映画を再発見できるから。なにかポジティヴなもののパンデミックがある。美、詩、愛、私たち自身の目でだけでなく、他人の目を通じて世界を見る可能性」

では、また来年!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?