LGBTについて思うこと

 最近なんとなくこれについて考えることがある。これについて理解があるかと言われれば実際のところ答えはNOになる。

 ここに書いている時点で完全に矛盾にはなってしまうが、否定も肯定せず興味という関心がなくなったからだ。もちろんこれで悩んでいる人が大勢いるのは知ってる。ただ、色んなことを複雑に考えると訳が分からなくなるし、LGBTについて理解がある人とない人の考え方の違いも理解しないといけない。

 色んなことを複雑に考えるということはどういう事か。例をちょっと書いてみたい。私は体と心で考えていた。

 例えば、良くある問いで「女性と男性の友情は成立するかどうか」というものがある。これの賛否はとりあえず置いとくが、個人的には体の話なのか心の話であるかの条件が必要になってくると思う。体と心が一致している男女と「体は女性だが心は男性」と「体と心が男性」のパターンでは考え方が変わってくると思うし、もっと条件を加えて「体は女性だが心は男性。恋愛対象は男性」となるとこれもまた話が変わってくると思う。

 もっとややこしい条件になると「体は男性で心は女性。恋愛対象は女性」と「体と心は女性。恋愛対象は女性」の夫婦がいたとする。この場合第三者からみたらどのように見えるか。この条件があるとレズビアン同士の夫婦にもなる気がする。

 私の場合は、このようなパターンを1度考えすぎてしまい結果的に性別でくくるのではなく、人として考えれば良いんじゃないか。という考えに達したため個人的にはLGBTについて関心がなくなった。

 ちなみにこれを考えた時にLGBTをおかしいと思う人がどのような思考なんだろうと考えたこともあった。私は無理やり結論を出すことをする時がある。これについては人は生物であり生物としての目標として最終的には子孫を残すことだと考えれば、いわゆる子孫を残せないパターンについては嫌悪感を抱く可能性がある。という結論として納得するようにした。

 本当にこの問題ってそれぞれの個人個人で考えるしかないのだと思う。もし、既婚女性が独身男性と2人で飲んでいたのを見かけたとき、きっと怪しい関係だと噂を立てる人もいるだろう。ただ、あらゆる可能性を考えた時に男性がゲイだった場合はむしろ男性同士で飲んでいた時の方が関係は深いかもしれない。こういう噂が立つ時点で既にLGBTについて理解がないと考えられるような気がする。

 もっといえばLGBTについて個人個人が理解するときって、LGBTについて理解することはもちろんのこと、それをおかしいと言っている人たちも理解しないとその人達が少数派となったとき違う問題が起こる可能性を秘めていると思ってしまう。

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