宮城リョータについて語りたい。

1 はじめに

『THE FIRST SLAM DUNK』についての考察という名の妄想。でも少し語ったが、私は「『SLAM DUNK』で誰が好き?」と訊かれたら「湘北5と神奈川ポイントガードトリオ(宮城・藤真・牧)」と答えるようにしていて、「その中でひとり選ぶなら?」と訊かれたら「桜木と流川」(ひとりじゃないし)と答えるようにしているので、「宮城リョータが1番好き」とは言えない立場だ。
でも、上記のカテゴリ中で宮城だけが重複していることからも何となく察せられるだろうが、好きな登場人物の中でも宮城をめちゃくちゃひいき目にしてきた。
まさか四半世紀経って、その宮城が中心に据えられた作品『THE FIRST SLAM DUNK』が原作者の手によって世に出ることになるとは思いも寄らなかった。
ので、これを機会に宮城について激重長文をしたためておきたいと思う。
SNSはほとんど見る専なので、noteなんて便利な匿名の投稿サイトがあるなんてよく知らなかったため、自分の中で熱が上がっているここぞとばかりに利用させてもらう。
言うまでもないことかも知れないが、私はエンタメ業界に1ミリもかかわりのないただの一般人だ。
実在の人物、団体、企業とは一切関係がないことをあらかじめ記載しておきたい。

※以下、原作『SLAM DUNK』及びそれに伴う各メディアミックス、『あれから10日後――』、『THE FIRST SLAM DUNK』および同作パンフレット、『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』、その他過去のインタビュー記事などのネタバレが含まれます。ご了承ください


2 宮城リョータを好きになった理由

私は、原作漫画を途中から、単行本でリアルタイムで読み始めた世代だ。
読み始めた当時、確か13巻か14巻まで本屋に平積みされていた記憶がある。
連載開始当時に生まれてはいたものの、まだ小学生にも上がっていなかったから、微妙にドストライク世代からは外れていると思う。
その中で、宮城に対して最初に抱いた印象は、以前『THE FIRST SLAM DUNK』の好きなところでも書いたが、その台詞の独特さだった。
主人公の桜木花道のことを桜木軍団以外で唯一「花道」と呼び、赤木剛憲のことを「(赤木の)ダンナ」と呼び、大きな揉めごとを起こした三井寿のことを「三井サン(「三井さん」のときも)」と呼ぶ。
桜木が独自のあだ名で周囲を呼ぶときには何かしらの理由があり、呼ばれた相手も最初は反応したりすることもあるが、宮城のそれには特に説明はない。
他にも、前述の記事でも触れたけれど、ちょっと「おっ」とフックのある言い回しがはさまれていたりする。
『SLAM DUNK』では、基本的に一人称は「オレ」で統一されている。
登場人物ごとに「おれ」と「オレ」と「俺」を使い分ける、というような文字上のこだわりは見られないし、漫画の記号的な口癖・語尾を持つ登場人物は限られている。
だけど、桜木の独特の言語センスや流川楓の「どあほう」や相田姉弟の「要チェックや(わ)」や深津一成の「ピョン」「ベシ」ほどわかりやすくはないけれど、宮城の言葉遣いは明らかに他の登場人物とは区別されている。
当時の私目線で、『SLAM DUNK』の登場人物はみんな「格好いい」「面白い」「強い」みたいなイメージだったけれど、うんと年上の男子高校生を「可愛い」と思えたのは宮城と清田信長だけだった。
当時の自分が宮城を「可愛い」と思った最初のきっかけは、その言葉遣いだったように記憶している。

本格的に宮城のことを好きになったのは、インターハイ神奈川県予選の決勝リーグの陵南-湘北の試合のころだ。

三井「宮城、おめーがここで抜けるわけにはいかねーぞ。勝つためにはな」
宮城「わかってます」

『SLAM DUNK』#20 #177 点取り屋

後半の残り時間5分を切った土壇場で、陵南の仙道彰の誘いにはまり、宮城が4ファウルを犯したときのやり取りだ。
このあたりで気づいたのだが、宮城は描写されている範囲で言えば、緒戦の三浦台-湘北の懲罰以外、ベンチに下がった時間がない(もちろん、翔陽-湘北に至るまでの100点ゲームや武里-湘北のどこかで下がった可能性はある)。
言葉どおり、宮城は4ファウル後も試合終了までコートに立ち続けることになるのだが、宮城に対して「おまえが抜けるわけにはいかない」と語った三井がその直後に倒れてコートから離れることになる。
この描写で、決勝リーグ初戦の湘北-海南でのワンシーンを思い起こさずにいられなかった。

宮城はかつてないほど疲れていた
前半の20分間 超高校級とも言われ自分よりも16cmも大きい牧をマークしてきたからだ
その意味で前半の影の殊勲者は彼だった

『SLAM DUNK』#24 #118 両雄

対海南戦の前半の殊勲者が流川なのは間違いない。
しかし、天の声(=作者)は、前半の影の殊勲者を宮城としている。
宮城は湘北のエースガードとして扱われてはいるが、得点シーンはあまり多くないし、目立つ描写も少ない。
「湘北の魂」「大黒柱」が赤木、湘北のエースが流川、スコアラーが三井、そしてリバウンドと天性の身体能力を生かしたダンクシュートという見せ場がある主人公・桜木は、みんないずれも試合中にベンチに下がるシーンがあり、それでもチームを回せていたことを思うと、宮城の立ち位置は描写以上に重要なものなのかも知れない、と幼心に気づいたのが、宮城をますますひいき目に見る理由だった。
その後の豊玉-湘北にて、流れを変えるためにポイントガードの安田靖春を投入したのに、宮城をベンチに下げなかったということで、その思いはさらに強くなった。
(桜木がとんでもないシュートを打ったから、士気のためにも桜木を優先して下げざるを得なかったという事情もあるだろうが)

3 対県内No.1ガードの双璧

冒頭でも述べたが、私は湘北5の他だと双璧(藤真健司、牧紳一)をひいきにしている。
子供のころから好きなので、やっぱりわかりやすい圧倒的強者感が子供には響いたのだろうし、「双璧」という言葉を遣ってふたりを例えた陵南高校・田岡監督の影響は大きいと思う。
世間的には「双璧」=『銀河英雄伝説』なのかも知れないが、私は『SLAM DUNK』で「双璧」という言葉を知った(のちに銀英伝も読みました)。

また、双璧は総合的なキャラクターデザインも神がかっている。
実年齢より年上に見える風格を持ち、作中に登場するPGとしては屈指の体格の良さを誇る牧(作中では老け顔のことばかりで特に触れられていないが、牧の容姿はとても整っていると思う。逆に年齢を重ねても老けないタイプ)。
それに比肩するのが、牧ほどの体格には恵まれず、一見柔和な雰囲気の公式美形の藤真というのがうまい。
さらに、178cmの藤真は作中でものすごく小柄という扱いではないが、190cm台の4人のチームメイトを従えているというのがすごく格好いい。
容姿の面だけでなく、公式戦で1年の夏から3年の夏まで神奈川県1位のチームのPGとして全国大会に進み、他県(しかも関東地区ではなく、エリアが異なる東海地区の愛知県)においても抜群の知名度を誇る「帝王」牧。
それに対する藤真は、湘北目線だと翔陽高校自体が中ボス的な立場だからか、作者が格を落とさないように相当配慮しているように見える。
あえて藤真に「選手兼監督」という特殊な立ち位置を与え、翔陽-湘北では14分しかプレイさせず、さらに敗戦後に田岡監督にフォローさせることで「プレイヤーとしての全貌を明かさないまま敗退してしまった」という扱いにしている。
また、前年のIHでは恐らく大阪1位(恐らくその大会ベスト8)の豊玉高校と対戦、スタメン唯一の2年生のエースガードとして大活躍させておきながら、ラフプレイによる怪我で退場すると同時に翔陽を敗退させる……という形で、こちらもまた「全国ベスト8クラスの相手でも十分に活躍できる実力ながら(牧と並ぶ実力者という設定なのだから当然かも知れないが)、プレイヤーとして全力を出し切れなかった」という設定を与えている。
桜木と流川のキャラクターデザインの対称性にも言えることだが、ライバル関係の選手を対にして描く作者の能力の高さに驚く。
あと、双璧はめちゃくちゃ人間ができているというか、他校の無礼な後輩(桜木)に対しても鷹揚なのが、バスケットの実力だけでなく人格も伴っていて、プレイヤーとしての格が高い感がある。
牧は桜木に「じい」と失礼なあだ名で呼ばれても、本人は気にしているそぶりを見せながらも怒ったりはしないし、所持金500円の桜木を新幹線で名古屋まで連れていってあげている(清田よりは、牧が新幹線代を立て替えたと考える方が自然だと思う)。
藤真も、桜木のとんでもないインテンショナルファウルで巨体の下敷きにされても、激怒する翔陽の面々を制して「よせ。このくらい何ともない!!」と笑って流している。
湘北のライバルとなる他校の選手たちのトップに君臨するふたりが人格も伴っているというのは、対戦相手にマイナス感情を抱かずに済んでいいなと思うし、単純にトップ選手が尊敬に値する存在だというのは誇らしい。

彼らは県下の両雄 海南と翔陽にあって驚異の新人と言われる藤真健司と牧紳一!!
今のとこ牧の方がやや上かな…
これから神奈川は彼ら二人の時代になるだろうね…!!

『SLAM DUNK』#14 #117 1年か2年後

これで牧・藤真時代は終わった…
神奈川は群雄割拠の戦国時代が始まるな…!!

『SLAM DUNK』#11 #97 マグレだとしても

以下の話は、もちろん赤木のように実力者でありながら勝ち進めずに埋もれていた選手がいる可能性はある、というのは大前提ではある。
ただ、1年生のころの赤木や木暮公延がIH決勝リーグを観戦中に「牧と藤真は1年生だ」と聞かされ驚いていた作中の描写などから考えると、1年の夏の時点(恐らくIH予選の決勝リーグの直前、スーパーシードとして登場した試合)で頭角を現した牧と藤真は、1年の夏にして神奈川のNo.1ガードを争う存在になっただけでなく、「彼ら二人の時代になる」「牧・藤真時代」と言われるくらいなので、そう時を経ずしてガードの枠を超え神奈川を代表する選手になったらしい。
ガードというポジションに限って言えば、牧・藤真の代より上の2学年、そして現1年生の代まで、計5年間彼らに匹敵するような選手は現れなかった(少なくとも表舞台には出てこなかった)ことになる。
さらりと語られるだけだが、大変なことである。
そんなレベルの選手がPGにふたりも同時に存在するのだから、この5年間は、神奈川県内の他校のPGには苦難の時代だっただろう。

県内No.1ガードの双璧 海南の牧と翔陽・藤真!!
それに割って入るか!? 宮城!!

『SLAM DUNK』#11 #90 藤真のいる翔陽

宮城は確かに県内でも五指に入るガードだが…サイズ パワー リーダーシップ 経験…あらゆる面で牧が上回っている…!!

『SLAM DUNK』#14 #119 THE BEST

そんな双璧に対し、宮城も本当にとても頑張ったと思うが、宮城が藤真とマッチアップしたのは後半の14分余り、牧と1対1でマッチアップしたのは前半と後半合わせ約22分と、プレイヤー個人の総合的な実力としては「割って入る」まではいかなかったのではないかと思う。
なお、対海南戦の後半ではスタミナ切れに陥っている流川・赤木・三井とともに4人がかりで牧をマークすることになった宮城だが、海南側の宮益義範投入に伴い、桜木に続いてシューターを単独でマークしているので、何気に彼のタフさが垣間見える。

前年度ベスト4の陵南は、今年度に1年生の主力はいない。
抜けた昨年の3年生のぶんを今年の2・3年生が頑張って埋めたうえでの、王者・海南にあと一歩、昨年度同じベスト4の武里高校から差をつけた今年度ベスト4なのだろう。
そんな陵南でも、「陵南のガード陣じゃ牧にたちうちできない」と評され、実際に陵南のPG・植草智之が宮城に対してまったく相手にならなかったことを考えると、双璧の壁の高さと宮城の頑張りがうかがえるし、海南-陵南で天才・仙道彰をPGに起用せざるを得なかった陵南側の事情も納得できる。
映画で、彩子が宮城に向かって「あんただってなかなかのガードよ。神奈川No.1……ではないけれど。No.2……でもないけれど」と言うが、描写や設定などを考えると、ここは素直に牧・藤真が示唆されていると考えて当然だと思う。

そんな双璧に対し、宮城は特に気負っている様子もなかった。
対翔陽戦の序盤でガチガチだったのは、ただの強豪を超え「海南大附属に年々迫っている」「県下の両雄」と称される翔陽というチームに対して緊張していたという印象で、流川の発破で立ち直ってからはベンチに下がって監督業に専念していた藤真に指を差して挑発までしている。
牧に対しても、実力に圧倒されている場面は見受けられるが、対戦する前から名前に呑まれているというような描写はない。
だから、そのだいぶあと、山王-湘北前夜の一場面ですごく驚いた。

なんでオレの相手はすごいのばっかなんだ……
翔陽戦では藤真、海南戦は牧、そして今度は山王のキャプテンか…
しかもみんなオレより10cm以上でけーんだ

『SLAM DUNK』#25 #217 夜明けの天才

前年度の海南に圧勝した王者・山王工業の、牧をも上回るような実力のPGの深津に、さすがの宮城でも怖気づくのはわかる。
しかし、そこに併せて藤真や牧の名前が出てきたのに驚いた記憶がある。
そんな感じじゃなかったじゃん、藤真を挑発して、牧とも堂々と渡り合ってたじゃん。
周囲からは「チビ」と言われても、宮城本人はそこまで身長についてコンプレックスを抱いている描写はなかったし、彩子も「10cmくらいの身長差なら、リョータはシュートを止める」と言ってたじゃん。
「嘘ぉ。知らなかった。いつも余裕に見えてるよ」という映画の彩子の台詞は、宮城が「実は心臓がバクバクだった」と明かしたことに対してのものだが、格上の相手ばかりとマッチアップすることに弱音を吐く宮城を見た、かつての原作読者の心情の代弁に思えた。
「余裕に見えている」というのはあくまで他者(=読者)からの目線であり、内心ではそうではなかった、というのは連載中からあった設定なのだと思う。

他の4人ほど目立つ活躍の場面はないけれど、湘北の選手の中で恐らく1番長くコートに立ち続け、「コート上の監督」とも言われるポジションで、総合力で上回る相手に対して何度も果敢に立ち向かう宮城のことが好きだった。

4 宮城家について

原作で家族構成や生い立ちが1番はっきり明かされていたのは、山王の沢北栄治だった。
原作では、湘北5の中で流川と並んで一切の家族構成が謎だった宮城だが、映画で沢北以上に詳細な家族構成や生い立ちが明らかになった。

作者は、詳細な設定を作って漫画を描くタイプではないと明言している。
作中登場人物の中でも一際人気のある三井が、バスケ部の一員になる予定ではなかったということでもそれは明らかだろう。
そのため、宮城の家族や生い立ちが連載当時どこまで構想にあったかは、作者のみぞ知るという感じだ。
事実、宮城については原作連載中でも設定揺れと見られる描写がある。
初登場のときには両耳ピアスだったり、入学後にバスケを続けるか迷っていたはずなのに安西先生目的で進学するため田岡監督のリクルートを断っていたり、という点が有名だろう。
(前者については別に気分で変えても不思議ではないし、後者も田岡監督視点の場面のため、宮城の内心は定かではなく、勧誘を断るための婉曲的な表現だと思えば理屈はつくが)
ただ、私は不勉強なので『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』を読むまで知らなかったのだが、平均身長169cmの沖縄県の辺士名高校がIH3位になって「辺士名旋風」を巻き起こしたことや、沖縄に「宮城」という名字が多いということを考慮すると、インタビューで語られたように湘北で正PGとなる宮城のルーツが沖縄だったというのは連載当初からあった設定だと考えていいと思う(宮城の初登場は6巻だが、1巻#8『花道入部』にて「あと今一人入院してるんで2年は全部で4人」という台詞がある)。
また、『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』に収録された『ピアス』は、作者により「『SLAM DUNK』のパラレル」と明かされたため『SLAM DUNK』と地続きの作品ではないことが確定したが、宮城の過去の一部は『ピアス』をベースにしていることは間違いない。
『ピアス』の初出は1998年なので、仮に後付けだったとしても、連載終了してそう時間が経っていないころには存在していたエピソードである。

宮城の性格

原作での宮城は、主に対彩子の態度で、デフォルメ絵柄のコメディリリーフ的な役割を負うことが多かった。
映画の方針上、そのあたりのわかりやすいギャグ描写が軒並みカットされているため、原作と映画とで宮城の性格が変わったように思う人もいるだろうし、「宮城らしくない」という意見も結構見かけたように思う。

何を「○○らしい」と思うかは個人の感じ方によって異なるため、これは決して違う意見の人を否定するつもりはない。
ただ、人間、そう簡単に「陽キャ」「陰キャ」と分けられるものではない。
無邪気で傍若無人に見える桜木でも、もちろんそれは桜木の本質の一部ではあるのだろうけれど、桜木の理解者でもあり友人でもある桜木軍団に言わせれば「性格が内向的」なのだ。
だけど、例えば山王の試合だけ見ている観客は、試合中に来賓席に乗りこんで「ヤマオーはオレが倒す!!」などと宣言する赤い坊主頭の1年生が内向的だなどとは思いも寄らないだろう(仮に、映画の中で「桜木は内向的」という台詞を入れたとしたら、映画が初『SLAM DUNK』の観客は「どこが?」と疑問を抱くような気がする)。
桜木と比較的距離が近い湘北バスケ部の面々(赤木、木暮、彩子)ですら、安西先生が倒れ、付き添って病院にいた桜木が、自分の父親が倒れた過去を思い出して涙ぐんでいるのを見て、「おのれ桜木…」「まぎらわしい奴!」と動揺してしまった照れ隠しのように怒っていた。
桜木に父親が倒れた過去があると知っていれば、絶対に憤ったりしないはずだ。
それは別に赤木たちが悪いわけではなく、自分の過去や内心を誰にでもすべて明かすような人間は、現実にはそういるものではないということだ。

原作での宮城の個人的な印象は、チームメイト、特にスタメン間の潤滑油のような役割を果たす人間のできた2年生、という感じだった。
映画でも、本質は原作と変わらないように感じる。
兄を亡くす前、10歳にも届かない本当に幼いころが無邪気で明るいのは置いておくとして、兄が帰らぬ人になってからも、ミニバスの試合ではチームメイトと問題なくコミュニケーションを取っていたり、笑顔を見せたりしている。
特にあさチン(エンドロールに役名が出てきたが、ミニバスのチームメイトである坊主頭の15番)とは仲が良さそうだ。
さらに、不調でベンチに下がってからも、同じくベンチに座っているチームメイトに心配そうなまなざしを向けられたりしている。
ミニバス時代は、映画時空の高校1年時のバスケ部内人間関係より、よっぽどうまくやっていると思う。
話はずれるが、(ソータは)何年か前、亡くなった」という台詞から、このミニバスの試合は恐らく宮城小学6年生、少なく見積もっても5年生のころの試合なんじゃないかと推測する。

(追記)7月9日のYouTube配信にて、アンナの年齢は「ソータが行方不明になったときが7歳」「ミニバスの試合を応援に来たときが9歳」「本編の時点で15歳」と担当声優・久野美咲さんから明かされた。
誕生日の兼ね合いもあるが、さすがに宮城とアンナが1学年差には見えないので、アンナの誕生日は4~7月でソータとは5学年差、宮城とは2学年差、と考えるのが自然だと思う。
逆算して、ミニバスの試合の宮城は11歳(=小学5年生)ということで確定する。

4年生なら1年前のことになるので、「何年か前」とは言わないはずだ(2年前を「何年か前」と表現するかどうかは微妙)。
そうすると、じゅんぺー(エンドロールに役名が出てきたが、ミニバスの対戦相手であるそばかすのある6番)がソータとマッチアップしたのは小学3~4年生のころということになる。
ソータの技量云々にかかわらず、それだけの年齢と経験の差があれば「ボコボコにされ」て当然だし、そこを自分と年や経験値の近い宮城と比較して「弟、たいしたことない」と言ってもそりゃそう感じるだろ、と思う。
客観性の足りないところが小学生らしいリアリティだといえばそのとおりかも知れないけれど。
時は流れて、バイク事故後の高校1年生の終わり~高校2年生のはじめのどこかのタイミングで沖縄に帰省したとき、島のおばあに「あんたリョーちゃんね」と声をかけられると「元気?」と明るく返し、不審そうにしているおばあの孫の頭を笑顔でなでたりと、とても気さくに接している。
その直前の対三井グループに対する態度とは雲泥の差で、その落差の激しさに圧倒されたが、まあ、あれは原作でも映画でも三井側が悪いよ……という感じ。
不良に絡まれていた状況は特殊すぎるのでともかくとして、それよりも中学に転入した当初が、反抗期と環境の変化(引っ越し)が重なってトゲトゲ期になっていたんだろうな、と思う。

余談だが、宮城がピアスを開けたのは小学6年生の沖縄時代なんだろうなーと想像している。
少なくとも、前述のミニバスの試合のときにはまだピアスはない。
『ピアス』の「りょうた」がそうだった、というのもあるが、成長期前の宮城しか知らないだろうおばあが即座に「リョーちゃんね」と気づいたのは、片耳ピアスがきっかけだったんじゃないかと脳内で妄想してみたり。

……と、私は宮城の本質は原作でもテレビアニメでも映画でも変わらず、気さくで人間のできた兄ちゃん、というふうに思っているけれど、もちろん原作でも明るい一辺倒だとは思わない。
特にIH県予選が始まる前の宮城には、女子にフラれようが桜木と彩子を巡って勘違いの喧嘩をしようが、台詞にもどこか諦観というか達観というか……そういうやるせなさがつきまとっているように見える。

もういいじゃないすか…あんたらとは痛み分けってことで…

『SLAM DUNK』#6 #52 事件

練習中なんだ!
ほかの部員もいるしやめてくれ三井サン
頼む…

『SLAM DUNK』#7 #56 土足

頼むからひきあげさせてくれ三井サン
ここは大切な場所なんだ

『SLAM DUNK』#7 #56 土足

赤木のダンナ…全てオレの責任…

『SLAM DUNK』#8 #65 靴を脱げ

もうこのあたりについては切なすぎて何も言えないし、正直読み返すのも苦しいのだけれど、三井の一言ですべてが説明がつくのがまた切ない。

自分のせーで出場停止とかくらっちゃあイヤだもんな 宮城

『SLAM DUNK』#7 #57 SO STICKY

自分個人に矛先が向いているときは割と挑発的でも(対桜木軍団や、部活に復帰する前の対三井グループなど)、バスケ部が絡むといくらでも矜持を曲げられるあたり、相当自罰的に見えてもう無理……という感じになる。
そして、「自分のせいで」というのがかなりのウィークポイントになっているように思う。

それ以外にも、原作の宮城は、バスケ部員以外の交友関係が一切見られない。
桜木や三井のように試合を応援に来てくれる友達もいなければ、赤木のように過去を知る幼なじみも登場しないし、流川のように慕ってくれる中学時代の後輩の描写もない。
上級生の不良グループにつけ狙われてリンチされた挙句に入院までしたのだから遠巻きにされているのかも知れないが、それでいて彩子の友人の女子には「部活だけしに来たんじゃないの、宮城君のことだから」とたいして怖がられているふうでもない。
不思議で微妙だけど、絶妙にリアリティのある描写だと思う。
性格や環境は人それぞれ違えど、決して人付き合いが下手なわけではないのに、あまり人とつるむことを選ばない人って、現実にもいる。

母と妹

宮城父については、作中では写真でしか登場しないので割愛する。
ただ、1番上の子供が小学6年生というと、不慮の事故や突然の病気など、思いも寄らないタイミングでの逝去だったのだろう。
仏壇の前で泣き崩れる母親を見守る子供たちの背格好から、父の死から兄・ソータが海で事故に遭うまでさほど時間が経っているようには見えない。

妹・アンナについては、パンフレットの「ソータ亡き後の宮城家における潤滑油的な存在」という言葉に尽きると思う。
家庭内冷戦みたいな状態を経験したことがある人には理解できるかも知れないが、IH出発前夜の宮城と宮城母のやり取りはものすごくリアリティがあった。
冷戦状態のふたりの間で何か言いたいことや訊きたいことがある場合、家族の誰かが間に入って通訳するのだ。
アンナは、中学に転入したばかりの宮城がボコボコにされて帰宅し、部屋でふて寝しているときにも、団地の外で友達と楽しそうに遊んでいる(日本語字幕版でアンナの声と確定)。
宮城家の例に漏れず、コミュニケーション能力の高い末っ子である。

宮城の母・カオルをどうとらえるかで作品の評価は変わりそうである。
連載開始当時小学生~高校生くらいのリアルタイム読者は恐らく40代くらいになるだろうから、湘北5の親くらいの年齢になっていても不思議ではない世代であり、当時と変わらず高校生のままの彼らとはまた違った視点での共感が可能な登場人物かも知れない。

想像の域を出ないが、カオルについては、恐らくバスケットボールという競技自体にはたいして興味がないんだろうな、と思う。
宮城はカオルへの手紙で「バスケは嫌だったはずだよね。ソーちゃんを思い出すから」と書いているが、宮城がそう感じるなら多分そうなのだろう(私は宮城に対して謎の信頼を置いている)。
作中の描写から見ると、宮城はものすごく兄を慕って懐いているような印象がある。
バスケを始めたきっかけも、きっと兄の影響なのだろう。
地域やチームによって違いはあるだろうが、私の知る限り、ミニバスチームに入団できるのは小学3年生からというのが一般的だ。
映画冒頭の宮城はまだチームに入ったばかりで(多分)、「レギュラーになる(=ユニフォームを取る)」との宣言は相当高いハードルだが、そのタイミングでないと6年生の兄と同じチームで一緒に試合に出られない、という事情もあったのだろう。
だからこそ、ソータも弟の気持ちを汲んで、本気で1on1の相手をしてあげた。
宮城視点で美化されているということもあるかも知れないが、本当に理想の兄である。

カオルは、バスケそのものには興味がなく、息子たちが夢中になっているという理由でバスケットボールが好きだったのだろう。
IH前日の深夜、カオルはひとりで昔のホームビデオを観ている。
キャプテンの長男が1試合で20得点するのを嬉しそうに見つめる次男が、「お兄ちゃんみたいになりたいの?」と一緒に観戦していた誰かに訊かれ、「なれるわよ。いっぱい練習すればね」とカオルが言葉を継ぎ、次男は目を輝かせる。
だからこそ、ミニバスの試合中に不調に陥って、「兄貴とは違うな」「兄貴の代わりにはなれないさ」と評価される次男を見て、不憫になったのだと思う。
そこから、「別にソータと同じ道を歩む必要はない」と告げるつもりでの「兄弟だからって、別に同じ番号でなくていいよねえ。変えてもらおうよ」という台詞が導かれた。
もしかしたらカオル自身、次男を焚きつけた責任を感じたのかも知れない。
余談だが、長男が大活躍する試合中にもかかわらず、カオルは迷わず「やったあソーちゃん」とつぶやく次男にカメラを向けている。
宮城は、海辺の洞窟で「ソーちゃんがいれば……」と兄に語りかけているので、本心から「生きているのが俺ですみません」と思っているのだろうが、母親は平等に子供たちを愛している描写である。

カオルが理解できていなかったのは、宮城が兄の存在とはまた別に、バスケットボール自体を愛していたことだろう。
カオルの心象風景で、ミニバスの試合で転倒した宮城に駆け寄ろうとするも、フェンスに阻まれて辿りつけないというシーンがある。
それがバスケットを愛している者とそうでない者を隔てるフェンスで、カオルが見守ることしかできない中、幼い宮城は涙を拭って立ち上がり、ソータの教えどおりドリブルの練習を始め、成長していく。
カオルの知らないところで、湘北バスケ部という「大切な場所」で居場所と仲間を見つける。
「ソーちゃんがいない世界で、オレにとって、バスケだけが生きる支えでした」「続けさせてくれてありがとう」という率直な言葉で、初めてそのことについて理解したのだと思う。

本編中のカオルは、エピローグの海岸での場面を除き、暗い顔をしていることが多い。
ただ、ホームビデオでの音声を聞くと、きっと素の性格はよく笑う明るい女性なんだと思う。
試合だけでなく、道端でドリブルの練習をする息子の姿もビデオ撮影し、明るく「頑張れ!」と声をかける母親だ。
そして、宮城のミニバスの試合を観戦に来たとき、他の保護者から「よく来たね、待ってたよ」と声をかけられていることや、「ミニバスの試合を観にきてくれて嬉しかった」と宮城が手紙に記していることから考えると、ソータの事故後はほぼミニバスの試合に顔を出すことはなかったのではないか。
原作でもテレビアニメでも映画でも、『SLAM DUNK』では高校の部活動に保護者が協力する場面は見られないので「作品の本質にかかわらない部分なので漫画的表現として省略されている」と思っているが、現実の、特に運動部では保護者の果たす役割は大きい。
一方、ミニバスチームでは比較的現実に沿っているのか、チームカラーである黄色のおそろいのシャツやグッズを身につけた保護者たちが試合の応援に駆けつけているし、応援席に記録用のビデオカメラも設置されている。
カオルはそのあたりのミニバスチームの保護者としての雑務を一切免除されていたのだろう。
夫や長男に不幸があったから、という家庭の事情にも配慮されているのだろうが、もともとカオル(そしてソータとリョータの兄弟)が保護者たちに好かれていたというのもあるんじゃないかと思う。
カオルが観戦に来たミニバスの試合が宮城が小学5~6年生のころの話だと仮定して、ソータの事故後初めての試合観戦だとすると、2~3年は試合に顔を出していないことになる。
何年もミニバスの試合での雑務を免除されていながら、試合会場に足を運んだことを大歓迎され、デリカシーなくソータのことを話題にする男性たちを、保護者席ではみんな一様に抗議するような目で見つめている(まあファイターズの父兄でも何でもない私も、多分いつも同じような顔をして観ているが)。
帰省した宮城に声をかけたおばあのことなども併せて考えると、もともとカオル含む宮城家全員が近隣住民と良好な人間関係を築いていたんだと思う。
あの三兄妹の母親なのだから、思いも寄らない不幸さえ続かなければ、素顔はコミュニケーション能力が高い明るい女性だったのだろう。

お守りと呪い

宮城が主人公を務め、映画全編がほぼ宮城視点で語られているせいもあろうが、ソータは本当にできた兄、大人びた兄として描かれている。
小学生時代の3歳差はとても大きいが、それにしたって小学6年生とは思えない器の大きさである。
弟に対してはよく褒めて長所を伸ばしてあげる感じで、優しいけれど、無条件に溺愛するという感じではない。
前述のように弟の気持ちを汲んで手加減なし(とはいえアドバイスはしているが)で1on1の相手をして結果的に何度も転ばせるし、駄々をこねられても「まだ早い」と断固として海釣りに連れていかない。

「怖いか? 勇気いるよな。オレだってそうよ。いつも心臓バクバク。だから、めいっぱい平気なふりをする」という1on1中のソータの教えは、その後の宮城に相当大きな影響を与えたお守りのような言葉だ。
その兄弟の1on1中に回想がはさまれる。
父の遺影の前で泣き崩れる母の肩を抱いて、自分と違って尻込みせずに「オレがこの家のキャプテンになるよ、母ちゃん」と宣言するソータだったが、そのあと兄を探して海辺の洞窟へ向かう宮城は、洞窟内で兄がひとり泣いているのを目撃する(兄弟とも喪服っぽい服のままなので、同じ日のできごとだと推測される)。
宮城が兄を探していたときにはまだ空が青かったけれど、兄弟並んで帰るときは夕暮れだったので、きっと兄が泣きやんで洞窟から出てくるまでの時間、宮城は外で待っていたのだろうと思う。
小学生くらいの年齢なら「見てはいけないものを見てしまった」ということを理解できるし、そんなときには見なかったふりを選択できるものだ。
まして宮城リョータならば、幼くてもそのあたりの感覚は鋭いはずだ(私は宮城に対して謎の信頼を置いている)。
母を真っ先に励ました(=自分にはできなかったことをした)兄が、実際には平気ではなく、「めいっぱい平気なふり」をしていたことを目撃して知っていたからこそ、その教えは宮城の中に深く刻みこまれることになったのだろう。

しかし、バスケットの競技中においてはともかく、日常生活においては兄の教えは宮城への呪いにもなっていたように思う。
緊張や恐怖、弱みを表に出せていれば、回避できたトラブルも多々あったはずだ。
中学の自己紹介のときに極端に不愛想になって特に意味もなく絡まれて殴られたのもそうだし、対三井グループのときだってそうだ。
桜木のような別格に喧嘩の強い人間ならともかく、普通は1対5の喧嘩(というかリンチ)で敵うはずがないのだから、うまくやり過ごせばいいのに、震える手を隠して「めいっぱい平気なふり」をしたせいで、一矢報いはしても結局損をしたのは宮城側だった(そもそも、宮城は三井たちに対して進んで攻撃したいと思っていない。仮に無傷で勝っていたとしても、宮城には何の得もない諍いだ)。
カオルの回想の中で、部屋で倒れている宮城を発見したアンナが「お母さん大変!」と呼ぶシーンがあるが、私はこれは三井グループにリンチされて帰宅したあと体調不良で倒れたのだと解釈している(※ただの妄想です)。
雪が降るような天候の中、雪除けもない屋上で、一切の防寒具がないうえに上半身は半分衣服がめくれたような状態で放置されていたのだ。
宮城が自力で家まで辿りつけたから良かったものの、動けもせず助けも呼べない状態だったら下手したら肺炎コースである(鍵当番の教師が発見してくれると信じるので、凍死はないだろう……)。
カオルからしてみたら、大怪我して帰ってきても何も言わない→発熱して倒れるまで我慢する(※妄想です)→怪我が良くなったと思ったらバイクで大事故を起こし、目が覚めた第一声(ではないが)が笑って「沖縄が見えたぜ」では、「何考えてんの、あんた!」と言いたくもなるというものだ。
沖縄に帰省したとき、海辺の洞窟で「何でかな。オレ、母ちゃんを怒らせてばっかりだ。ソーちゃんだったら……」とつぶやく宮城は痛々しい。
兄の教えに沿ったはずの行動が、母親の息子を心配する気持ちとまったく噛み合っていない。

話が前後するが、事故後に沖縄に帰省したとき、海辺の洞窟に戻ってきた宮城は、劣化したショルダーバッグから兄の思い出の品を取り出す。
表紙にソータの文字が書かれた月刊バスケットボールを見ることで、宮城は洞窟内で沖縄代表として打倒山王を宣言するソータの姿を脳裏に思い浮かべる。
このときの兄弟の服装が映画冒頭の1on1のときと同じなので、恐らく事故当日のやり取りだったのではないだろうか。
海辺の洞窟で打倒山王の話をする(足元はバッシュではなくサンダル)→1on1→ソータ釣りへ、という時系列らしい。
ショルダーバッグの中から出てくるしぼんだボール、山王が表紙の月刊バスケットボール、赤いリストバンドは、すべてソータの最期の日の思い出につながる遺品だ。
誰も入らないような洞窟の、さらに看板の陰にひとまとめにして隠して沖縄を去った小学生時代の宮城の気持ちを思うと胸が痛む。
しかし、カオルの心象風景で、倒れて泣いていた幼い宮城が涙を拭って立ち上がりドリブルを始めるのと同様に、洞窟で号泣する宮城を立ち直らせたのは結局のところバスケットボールだった。
「ソーちゃんがいない世界で、オレにとって、バスケだけが生きる支えでした」なのだ。

話は変わるが、「宮城の映画での新規エピソードは『リアル』に影響を受けている」というようなネット記事などを結構見かけて、私としては結構意外に思った。
もちろん、感じ方は人それぞれだから否定する意図は一切ない。
宮城と兄との関係については『ピアス』が下敷きになっていて、『ピアス』は『リアル』の連載前に描かれていることから、新規エピソードとは恐らく母親との親子関係とか、そのあたりを指しているのだろう。
原作でも、選手たちの親がひとりのキャラクターとしてはっきりと描かれているのは沢北哲治と河田まきこくらいで、そのふたりにしても特に掘り下げはされていない。
カオルの存在は、確かに原作の家族の描かれ方を考えると異質かも知れない。

原作で描いた価値観はすごくシンプルなものだけど、今の自分が関わる以上は、原作以降に獲得した「価値観はひとつじゃないし、いくつもその人なりの正解があっていい」という視点はいれずにいられませんでした。

『THE FIRST SLAM DUNK』パンフレット

そもそも作者がこう語っているのだから、当然それは真実だと思う。
ただ、同じ人間でも年を重ねれば考え方は変わって当然だが、突然180度違った考え方に辿りつくケースというのは稀だろう。
現に、過去のインタビューではこんなふうに語っている。

スラムダンクやそのあとの「リアル」なんかでもそうですが、勝負にこだわるということを、しつこく肯定してるんですよ、僕の場合(笑)

月刊バスケットボール9月号臨時増刊『部活ガンバロ!』2003年 日本文化出版

長いファンがついていると、何か過去の発言まで掘り起こされて著名人って大変だな……と思う。
面倒なファンで申し訳ない。

作者に限って言えば、上記『部活ガンバロ!』のインタビューで、「勝負にこだわることを肯定している」点を『SLAM DUNK』と『リアル』の共通点として語っていることからも、『SLAM DUNK』の連載終了後にいきなり180度価値観が転換したわけではないのだろう。
しかし、個人的には『SLAM DUNK』の連載中から価値観が変わっていく傾向は見て取れる。
具体的に言えば、IH県予選までは基本的にはバスケットボールという競技の勝負にこだわり勝つということの喜び(=すごくシンプルな価値観)をまっすぐに描いていたと思う。
しかし、それ以降は必ずしもそうとは言えないような設定などが見え隠れするようになる。
安西先生と矢沢龍二の過去は恐らく作中で1番重い設定で、「うまくなりたい」という上昇志向の一心でアメリカ留学する矢沢のことを否定的に描いている(留学そのものを否定しているわけではないことは、流川や沢北の描写を見てもわかる)。
続く対豊玉戦では、豊玉高校の理事長・選手たちそれぞれの勝利至上主義によって内部崩壊するチームが描かれる。
さらに対山王戦では、赤木と元チームメイトたちの過去の不和が明らかにされる。
赤木の全国制覇という目標については、赤木の人望も相まって、クラスメイトたちからも男女問わず「今年こそいい線いけるわよ、きっと」「全国に行けたらいいな、バスケ部…」などと好意的に応援されていた描写が多く、それまでは「単に厳しい練習についていけなかった部員が退部していった」という設定なのだと疑うこともなかった。

ここは神奈川県立湘北高校だぜ
とりたてて何のとりえもない……フツーの高校生が集まるところさ
おまえだってでかいだけでヘタだから海南にも翔陽にも行けなかったんじゃねーか
海南だってはるか雲の上なんだ
強要するなよ 全国制覇なんて
おまえとバスケやるの息苦しいよ

『SLAM DUNK』#30 #266 原点

だから、上記の回想での赤木と元チームメイト・西川らとのやり取りは、赤木の目指す全国制覇に明白に反発する生徒がいる、ということが衝撃だった。
当初は赤木に感情移入していたけれど、20代以降になってから読むと西川の言い分も理屈が通っていると納得できてしまう(嘘の理由でサボって悪口を言うのは良くないと思うが)。
赤木のように「勝負にこだわる」ことを肯定している一方で、そうではない価値観を抱く存在を描くだけでなく、そこに一定の理解を示してもいる。
教師の激務や部活動のあり方が問題になっている令和では、どちらかと言えば西川らの方に感情移入する若い読者も多いのではないだろうか。
どんな分野であれ、ガチ勢とエンジョイ勢が同じフィールドで活動するのは難しいのだ。
そして、何より桜木である。

こんな風に誰かに必要とされ
期待されるのは初めてだったから…

『SLAM DUNK』#27 #242 切り札参上

私は子供のころから桜木と流川が別格で好きで、どの試合でも桜木が活躍するのを楽しみにしていたし、期待もしていた。
対海南戦で神奈川No.1の牧を吹っ飛ばしたとき、決勝リーグの対陵南戦で最終的に「陵南の不安要素」になったときなどは、手に汗握って応援していた。
私は作品の外にいる読者だからそんな気持ちが桜木に届かないのは当然だけど、「桜木はずっとそんなふうに思ってたんだ……」と驚いたのを覚えている。
対海南戦敗北後の流川の「監督や主将がどのくらいの期待をしてお前を出したと思う。こんなもんだ。まーせいぜいこんなとこだな」という言葉が効いていたのかも知れないし、表向きは認めていないだけで最初から周囲の自分への評価に気づいていたのかも知れない。
大人になってから読むと、15年と少しの人生でそんなふうに思ってしまう桜木が切ないし、桜木の最大の理解者である桜木軍団、そしてどんなときでも一貫して桜木を信じて応援してきた晴子の気持ちを思うと、それも切ない。
原作の主人公であるにもかかわらず、例のごとく桜木の生い立ちや家族構成はほとんど語られていないが、何ひとつ不自由ない環境で育ったわけではないことだけは察せられるモノローグだ。

『SLAM DUNK』と『リアル』との作風の違いは、『SLAM DUNK』ではこれらの重い要素はすべてバスケットを通して昇華されるということだと思う。
矢沢に懸けた夢を失って宙ぶらりんになったままバスケット人生にピリオドを打てないでいる安西先生は、対山王戦で躍動する桜木と流川を見て、「おい……見てるか矢沢……お前を超える逸材がここにいるのだ……!! それも……二人も同時にだ………矢沢……」と語りかける。
豊玉の選手たちは恩師・北野に再会したことで「いつの間にかオレは大前提を忘れとった。北野さんがいつも言うてはった、バスケットは好きか…? ゲームそのものを楽しむことを……もうずっと忘れとった気がする」と気づき、「勝った方が百倍楽しいもんな」と勝利至上主義から抜け出して原点に立ち返る。
その問題児っぷりにものすごく手を焼かされながらも、自分と意志を同じくする仲間を見つけた赤木は、心の中で「このチームは……最高だ……」と言い、問題児たちには「ありがとよ」とだけ告げる。
そして、桜木は人生で初めて必要とされ、期待された想いに応えるようにして、怪我を負っても「オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本のときか? オレは………オレは今なんだよ!!」「やっとできたぜ、オヤジの言ってたのが…やっと……ダンコたる決意ってのができたよ」と言って最後までコートに立ち続け、結果的に満点を超える活躍でその期待に応える。
そして、湘北-山王を締める最後の台詞は原作でも映画でも山王の堂本監督の、「はいあがろう。『負けたことがある』というのが、いつか大きな財産になる」だ。
緒戦で敗北した王者・山王に対しても、暖かい目を向ける大人(=作者)の視線が描かれている。
現に、『あれから10日後――』にて、敗北した沢北は予定どおりアメリカ留学に旅立つし、映画ではもっとはっきりと沢北のその後が描かれる。

映画では、ミニバスの試合中に男性が宮城を評価した「兄貴の代わりにはなれないさ」という言葉が繰り返される。
そしてソータは、ホームビデオ内でドリブルの練習をする弟に「腰高いんど、もうへばったか? こうだ、こう」とドリブルの指導をする。
ホームビデオだけでなく、過去の回想の1on1中や別れ際など、宮城のドリブルに関してソータが何度も繰り返しアドバイスする場面が描かれている。
もしかしたら、弟の1番の素質はそこにあると見抜いていたのかも知れない。
そして、その回想開けに、宮城の最大の名場面「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」が待っている。
兄の代わりに家のキャプテンになろうとして失敗し続けていた宮城だが、ミニバス会場にいた男性の言ったように、良くも悪くも「兄貴の代わりにはなれない」のだ。
小学6年生の時点で高校2年の宮城と同じ168cmの身長だったソータは、順調に成長すれば今の宮城より相当背が高くなっていただろう。
「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」は、原作同様に「こんなでけーの(=深津・沢北)に阻まれてどーする」に呼応する言葉でもあり、大柄だった兄とは違う道を進むという示唆でもあるように思う。
ここからの、残り時間約1分30秒、宮城は自らハドルを要求し、主将である赤木とエース・流川に指示を出すなど、映画で描き足された場面では明らかに鬱屈から解放されて堂々と振る舞っている。
兄の呪縛から解放されたかのように。

そして試合後、広島から帰った宮城は、母に「山王ってどうだった?」と訊かれ、バスケットの試合中はともかく日常で「平気なふり」をするのをやめて、「強かった。……怖かった」と率直に答える。
宮城が母と向き合う場面では、海からの風が吹いている。
『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』によれば、宮城の夜のランニングの場面にてソータの存在を風で表現しているらしいので、この海岸の場面でも同様の演出意図があるのだろう。
宮城が兄の影を追いかけるのをやめたことで、親子関係もぎこちないながらも元に戻りつつある……というシーンで、エピローグは山王サイドへと移る。
結局のところ『SLAM DUNK』は、バスケットボールを通して悩みも苦しみも昇華して、青春を輝かせる物語なのだ。

ソータの遺体は、8年経っても見つかっていないのだと思う。
『ピアス』がそうだから、というのもあるし、アンナの「ソーちゃんの写真飾ろうよ。顔忘れちゃう」との台詞がそんなふうに想像させる。
遺体が見つかれば葬儀をしないということはないと思うので、恐らく神奈川での宮城家には父親の写真(=遺影)しか飾っていなかったのだ。
多分、船に乗って遠ざかる兄に「もう帰ってくるな!」と言ったことを、宮城は生涯誰にも明かさないだろうし、遺体すら帰ってこないことを思い出すたびに、ずっと後悔はし続けるだろう。
でも、仮にカオルがそれを知ったとしても、リョータを遺してくれたソータに感謝するだけだと思うよ。
そしてソータも、「リョータを連れてこなかった自分は正しかった」と思ってると思うよ。

5 ポイントガードを主人公にする意義

繰り返しになるが、原作の湘北5で1番印象が薄いのは宮城だろう。
だからこそ、井上さんの中で「描き足りない」と思うことになったはずだ。
原作はおおむね桜木視点で、映画で見ると明らかだが、本来の主人公である桜木のところには極端にパスが回らない。
原作では桜木が主人公だからこそ、誰にでもわかりやすい得点シーンや、彼の大きな見せ場であるリバウンドやディフェンスなどがフォーカスされ、「パス回し」「セットプレイ」などのある程度経験が必要とされるプレイはあまり印象に残る描かれ方をしていない。

そして植草!!
宮城のような派手さはないがミスが少なくバスケットをよく知っているPGだ!!

『SLAM DUNK』#17 #150 湘北と陵南

陵南・田岡監督の植草評だが、むしろ「宮城が派手」というのが子供のころはよく理解できなかった。
他の湘北面子に比べて活躍シーンが限られていたからだ。
しかし、映画を観ると確かに「これは派手だ……」と理解できた。
ノールックパスや、2年時の赤木曰く「かっこつけたパス(=ビハインドパス)などは映像になると途端に見映えがするし、確かに植草はあまり多用はしないプレイだろうな……と思う。
ノールックパスは、むしろ同じ陵南の仙道の代名詞のようなプレイであり、原作でも仙道は「華がある」と評価されている。

とはいえ、映画で原作から宮城の得点シーンが増えているなどという改変は行われていない。
それでもなお宮城を主人公に据えた意義というのは、やはりPGというポジションの特性だろう。
試合のオフェンス中、宮城は、湘北チームの中でボールを触っている時間が明らかに長く、コート上を見回してパスできる相手を探している。
フル出場して1番ボールを長くキープし、チームメイトをよく見ている立場だからこそ、比較的容易に他の4人にもスポットを当てることができる。
今回の映画内のストーリー面で、湘北5の中で1番印象が薄いのは恐らく流川、次いで桜木だろう。
それでも、赤木が「対河田意識過剰状態」に陥り、三井がスタミナ切れ、桜木は対河田美紀男はともかく対野辺将広ではオフェンスに参加するのは心もとない……という状態で、最後にパスを出すのはたとえ沢北にマークされていたとしても、いつも流川だ。

しっかりしろォ!!
流れは自分たちで持ってくるもんだろがよ!!

『SLAM DUNK』#28 #244 HEART OF TEAM

上記の台詞は映画でもカットされずに残されていたが、映画だと原作よりも明白に、精彩を欠いている3年生ふたりに向けて投げかけられた言葉だとわかる演出になっている。
後半開始から10分近い間、崩壊しかかったチームを何とか持ちこたえさせていたのは宮城であり、その宮城が頼ったのはオフェンス面では流川、ディフェンス面では桜木という1年生コンビだった(安西先生からリバウンドの指示をされ桜木がコートに戻ってきたとき、宮城は明らかにほっとしている)。
ストーリー的な出番が少ない流川のことも、桜木のことも、宮城は細かいところでよく見て目線を送っている。
湘北の他メンバーが主役だと、対山王戦を1本の2時間映画として再編成するとしたら、試合中にスポットが当たる選手がもっと偏っていたように思う。

また、映像で見ると宮城のパスの正確さがよくわかる。
相手の要求するところにピタリ、相手が走りこんだところにピタリ、という感じだ。
特にすごいな、と思ったのは、1回目のプレス突破での流川へのビハインドパス、トラベリング前の赤木の左手へのパス、桜木がリバウンドの指示をもらってコートに復帰したあとの流川へのバウンドパスだ(残念ながらどれも得点には結びつかないが)。
映画のオリジナルで、「これが日本一のガード、日本中のガードが心を折られた……」と深津を評する宮城の台詞がある。
宮城は常に湘北の攻撃の起点であり、平凡なチームならともかく、対戦相手が王者・山王ほどのチームであるなら、宮城の心が折れたらそこで湘北というチームが崩壊してしまう。
現に、1回目のゾーンプレス中に宮城から出された何本ものパスは、前述のパスの精度と比較するまでもなく、ただの苦しまぎれでしかなかった。

これにかかるとまず「平常心」が奪われ…冷静な「判断力」を失くす
そして「自信」を見失い…最後に「攻撃意欲」も消え失せる
それが日本一走れるチーム山王工業の…伝家の宝刀ゾーンプレスだ

『SLAM DUNK』#27 #235 ゾーンプレス

原作の海南大附属・高頭監督の台詞を借りるなら、「平常心」と冷静な「判断力」を失った状態だ。
そこで即座にタイムアウトを取って宮城のフォローを試みた安西先生の意図と、マネージャーとしての彩子の有能さが、映画を併せて観るとより明確になる。
2回目のタイムアウトがなすすべなく終わって、桜木を交代させてまでオフェンスリバウンドを指示して(実質3回目のタイムアウト)、桜木が再投入された直後、宮城は折れかけた心を自分で立て直している。

後半のスコアは26-2…しかしそこまでの力の差はねえ!!
絶対にもう1度ウチに流れがくる!!
その時を10点差くらいで迎えられたらまだ追いつくチャンスはある!!

『SLAM DUNK』#28 #244 HEART OF TEAM

王者・山王に20点差以上離されている状態で、平常心も判断力も自信も攻撃意欲も失われていない。
「THE BACKUP PLAYER IS WHAT MAKES A TEAM STRONG. 」ではないけれど、対山王戦はベンチ含むメンバー全員の勝利だ。
そして、その起点がPGというポジションだったのは確かだ。

宮城のパスの中で目立って「ズレた」のは、最後の三井の4点プレイのときのものだ。
スタミナ切れの状態でも走りこんでいた三井は、左手を伸ばしてパスを受け取る。
構えたところにピタリ、とは言えないパスだ。
これは本当にただの妄想なのだが、その前の映画オリジナルシーン「走れるっすか?」「もう腕上がんね」「オッケー、パス出すっすよ」という宮城と三井のやり取りがベースにあって、宮城の想像以上に頑張って走りすぎちゃって、さらに頑張って腕を上げてボールを受け取った三井パターンだったら微笑ましい。
我ながら考えすぎな気がする。

あと、これはすごく個人的な話なのだけれど、以前書いた記事にて、対豊玉戦での流川と宮城のやり取りが好きだと言った。

宮城「おしい!!」
流川「ジツは強いパスとりづらいんす」
宮城「………!!」
流川「ワンバウンドさせてくれるとありがたいっす」
宮城「…わかった」

『SLAM DUNK』#24 #209 合宿シュート

宮城「極端に狭い視野でプレイしてるんだ。消耗の度合いもハンパじゃねーだろ。交代するか?」
流川「イヤ…今のいい流れを壊したくない。交代はなし。今勝ちをつかみかけてるとこでしょ」
宮城「おう」

『SLAM DUNK』#24 #211 内部崩壊

繰り返しになるが、めちゃくちゃ信頼関係のあるシーンだ。
原作の対山王戦中に「信頼…!? 湘北にそんな言葉があったか!? いや!!」と、海南の面々がざわざわしているが、もともとあったのである(1試合対戦しただけの海南の面々が知らないのは当然だが)。
というか、確かに流川は、三井の言葉を借りれば「普段はクソ生意気でにくたらしくて無口で不愛想で生意気で無口な野郎」かも知れないが、バスケットに真剣な人間をないがしろにすることはないし、実力を認めれば信頼だってする。
流川親衛隊については一切黙殺しているにもかかわらず、富ヶ丘中学時代の後輩が応援に来たときは「おおあいつら…」と反応しているし、南烈の謝罪も遺恨なく受け入れている(流川にしてみれば、故意ではなく単なる試合中の接触事故という認識なのかも知れない)。
対海南戦では、「だから流川は強引に行ったんだ!! 赤木のリバウンドを信頼して!!」と赤木に対する信頼を見せる。
オールラウンダーに近いという点で、恐らくチームで1番タイプの似ている実力者である三井に「1ON1の…相手してほしいんすけど」と頼んだこともある(このとき三井は「めずらしいな、こいつが話しかけるなんて…」と思っているので、普段が「無口で不愛想」というのは本当なのだろう)。

宮城に対しては、宮城の部活復帰初日、安田との1on1でのプレイには瞠目しているが、その後の桜木とのやり取りを経て、最初の認識は桜木とまとめて「どあほうが二人に…」扱いだった。
その後の三井グループの体育館襲撃事件でも宮城の制止には一切耳を貸さなかったにもかかわらず、同じ中学出身の彩子の制止の声には耳を傾けている。
そして、三井復帰後のIH県予選緒戦の対三浦台戦で、桜木と三井とまとめて「どあほうが3人に…」扱いと、しばらくの間、本気で先輩を先輩とも思っていないような態度だった。
その後も、プレイ中などに多少言葉を交わしたり得点後にハイタッチしたりするシーンはあるが、しっかりとした会話をするのは対豊玉戦の上記のひとつ目の引用台詞が最初である。
「…わかった」のあと、一コマを使い宮城が「………」と何かしら思考している場面が描かれている。
何を考えているかは想像するしかないが、個人的には流川にそんなふうに言われたことに驚いているような気がする。
三井が思っているように、流川が他人に進んで話しかけるのは相当珍しいのだろう。

前置きが長くなりすぎたが、富ヶ丘中時代の流川は「ポジションは別に決まってなかった」「ポジションは一人で全部やってた」というほどのオールラウンダーだったそうだ。
富ヶ丘中は、四中(晴子の母校)相手の練習試合では連戦連勝だったらしいが、流川が中学MVPになったというような話題はないし、富ヶ丘中についても県制覇とか準優勝したとかいう設定は語られていないので、そこまでの強豪校ではないのだと思う。
IH県予選緒戦の対三浦台戦の時点で「ウワサ以上だぜ…!! あ…あれが…あれが富ヶ丘中の…流川楓……!!」と言われているので、知名度的に県大会くらいには出場していそうではある。
それでも、「ポジションは一人で全部やってた」と言われるくらいだから、相当のワンマンチームだったのだろう。
実際に作中でも、流川はパスでもドリブルでもディフェンスでもリバウンドでも、高いレベルのプレイを見せている。
しかし、彼の本質からして、1番性に合っているのはやはりオフェンス、得点だろう。
そして、映画で宮城の精度の高いパスを目の当たりにしてしまうと、これは流川が信頼するのもわかる……と思った。
中学時代ワンマンチームだっただろう流川は、チームメイトからのこのレベルのパスを受けるのは恐らく初めてのことだ。
赤木のリバウンドや三井のスリーポイントシュートも同様だろうが、パスはそのまま自分のシュートに直結する。

桜木(ボールは)やんねーよ!!」
流川「いらねーよ。自分でとる」

『SLAM DUNK』#5 #37 ゴリのいぬ間に

流川「攻め気を忘れないように」
桜木「てめーにそんなこと言われると攻め気がなくなるんだよ!!」
流川「別にてめーにゃいってねー。攻められない奴にいうもんかってんだ」

『SLAM DUNK』#20 #177 点取り屋

流川は「できない」と思った相手には何も期待しない。
だからこそ、対山王戦での最後のプレイが最高の名場面となって今も燦然と輝くのだ。
そして、そんな流川の性格を考慮すると、宮城には相当に信頼を置いていることがうかがえる。

対海南戦では、流川は無言の「パスくれパスくれパスくれ…」という視線で宮城に圧をかけ、びくっとしながらも宮城はパスを回している。
その後の対陵南戦、流川がジェスチャーでボールを要求したときには、「すげー自信…わかってるよ…そうせかすな」と、宮城はすでに流川の意を汲んでいる。
極上のパスを供給してくれる上に、「コート上の監督」という自身の裁量で好きにやらせてくれる先輩である。
そりゃあ、素直に「ワンバウンドさせて欲しい」とも言うよね……言葉で意思疎通図ろうとするよね……と、別に原作を疑問に思っていたわけではないけれど、長年の好きな場面に理屈をつけられた気がした。
ちなみに、対豊玉戦を経たその後の対山王戦では、「パスくれパスくれパスくれ…」のときには慣れたのか「そうだ、やられっぱなしはよくねーよな流川」と平然とパスを回し、流川がパスに目覚めた後半には「流川がいよいよのってきてる…しかも今までのあいつとはちょっと違う。いいぜ…存分にやれ流川!!」と映画よりもはっきりとアイコンタクトを交わしている。

「山王もどこまでも沢北の1on1にこだわるな!!」
「やりすぎでは!?」
「しかし先輩である深津・河田が何も言わないのは…!?」

相田「信頼です、エースとしての」

『SLAM DUNK』#30 #263 一理ある

上記の、そのまま湘北バージョンである。
流川は、映画単体で見ればストーリー的な出番は少ないが、主役かつPGの宮城視点だと、ストーリー以外の部分で信頼関係が感じられるようになっていていいなと思う。
赤木・木暮引退後、鬼キャプテンにならなくても、多分宮城が思っている以上に結構うまくやっていけると思うよ。

6 おわりに

もともと、「どこかで宮城についてどうしても語りたい!」「山王戦の宮城が世界で1番格好いいと叫びたい!」と思っていたが、まさか映画がつくられるとは思わず、映画要素も込み込みで書いたら引くレベルの長さになってしまった。
まあ、でも、誰であっても語ろうと思えばいくらでも熱く語れるところが『SLAM DUNK』の偉大なところだと思う。
興行収入100億円突破、おめでとうございます。
微力ながら、その一助になれたのなら一ファンとして嬉しいです。

#SLAMDUNK #スラムダンク #THEFIRSTSLAMDUNK #映画SLAMDUNK

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