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『THE FIRST SLAM DUNK』についての考察という名の妄想。

1 はじめに

2022年12月3日(土)、映画『SLAM DUNK』こと『THE FIRST SLAM DUNK』の公開初日を迎えた。
念入りに情報統制が敷かれた中、公開2週間が過ぎたとはいえ、大々的なネタバレをするのは気が引けるため、まとめて長文のネタバレ感想を書こうと思い立った。
こちらの記事はすべて、一ファンの考察という名の妄想であり、感想文である。
また、私はエンタメ業界に1ミリもかかわりのないただの一般人だ。
実在の人物、団体、企業とは一切関係がないことをあらかじめ記載しておきたい。

※以下、原作『SLAM DUNK』及びそれに伴う各メディアミックス、『あれから10日後――』、『THE FIRST SLAM DUNK』および同作パンフレット、その他過去のインタビュー記事などのネタバレが含まれます。ご了承ください
※『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』は未読の状態です
 (追記)読みました。


2 『THE FIRST SLAM DUNK』は原作とは別時空の物語

『THE FIRST SLAM DUNK』については、原作漫画との違いについて、時には肯定的に時には否定的に、各所で言及されている。

  • 主人公が桜木花道ではなく、宮城リョータに変更されている

  • 原作で語られていなかった宮城の生い立ちが描かれている

  • 原作の名場面や名台詞が何か所もカットされている

上記をはじめ大なり小なりの違いはたくさんあるが、もっとも大きな違いは、原作とは微妙に別時空になっていることだと思う。

  • 赤木剛憲が2年生の夏のインターハイ神奈川県予選大会で、湘北高校と陵南高校が対戦していない

1年前のあの試合でオレと赤木の評価は逆転した

『SLAM DUNK』#20 #173 集中力

なんでも試合は100点ゲームで陵南のボロ勝ちやったそうや…
けど魚住さんだけは湘北の赤木さんに完全に抑えられて…

『SLAM DUNK』#3 #23 ただ者じゃない男

IH神奈川県予選・決勝リーグの試合中の魚住純の回想や相田彦一の話などから推察すると、1年前のIH県予選の1回戦で湘北と陵南が対戦し、陵南が100点ゲームで勝利したと考えられる。
だが、映画の竹中先輩の引退試合の対戦相手は陵南ではなく江川工だし、100点ゲームで大敗したわけでもない。
竹中の態度から見るに、赤木が主将に就任する新体制の部に残るとは考えにくいので、竹中は冬の選抜大会(現・ウィンターカップ)まで引退を延ばしたと深読みする必要もないだろう。
赤木の背番号も10番のままだし。

(追記)江川工との試合会場である体育館入口の看板に「神奈川県高等学校総合体育大会」と書かれているので、IH予選で確定である。

ちなみに、登場場面はごく短いが映画にも陵南は存在し、湘北との練習試合が行われたことが明示されている。
魚住と仙道彰は桜木の回想シーンにはっきりと登場しているし、顔がしっかり描かれていないので推測だが魚住らしき人物が観客席で湘北-山王の試合を観戦している(後半戦、湘北のタイムアウト~桜木がベンチに下がらされている間は湘北ベンチ側の最前列にあぐらを組んで座っているし、その後は移動して観客席の中段で立ち上がっている場面が描かれている)。
竹中の出番の意義を鑑みるに、別に対戦相手が陵南だったとしてもストーリーに大きな支障が出るわけではないと思う。

イヤ でも湘北はそんな弱くないっすよ
センター赤木の存在だけでベスト8くらいの力はあると思うけど…

『SLAM DUNK』#4 #32 危険人物

上記の仙道の台詞がどこまで真実を突いているかはわかりかねるが、つまり湘北はこれまでくじ運にも恵まれていなかったわけで(1年前に仙道の入学した陵南に1回戦で当たってしまったように)、対戦相手に恵まれさえすれば1~2回は勝っていても不思議ではなかったのだろう。
まして、1年とはいえポイントガードとして宮城が出場していたら、それなりに勝ち進んでいたとしても不思議ではない。
原作では、赤木・宮城を擁しておきながら昨年1回戦負けしたのは対戦相手が強豪の陵南だったから、という理由がつく。
ここは、後述のようにあえて原作から対戦校を変更したと考えるべきだろう。

  • IH後、宮城がアメリカに留学している

映画で1番驚いたシーンである。
留学のタイミングがいつか、という点だが、沢北栄治のインタビューで山王工業高校の先輩・河田雅史の名前を挙げていることから、IH後それほど時間が経っているようには思えない。
神社のシーンでの沢北の決意を見ても、沢北は原作どおり夏のIH終了後に渡米し、9月の新年度から正式に留学したということだろう。
宮城もそれと同時期に留学したことになる。
原作では、IH終了後に宮城は湘北バスケ部の新主将に就任している。
原作の宮城がその後即渡米するとは考えにくいので、これについては明らかに映画のオリジナル設定だろう。

井上雄彦さんは、小説版『SLAM DUNK』のあとがきで、1994年当時のメディアミックスについて次のように述べている。

自分にとってはあくまで漫画「SLAM DUNK」が血を分けた息子であり、それ以外の「SLAM DUNK」は親戚の子というような感じはありますが(言うまでもなく親戚の子もかわいいもの)、漫画は色と光、それに音でアニメーションに劣り、紙面の面積あたりの情報量で小説に劣ることもあります。

『SLAM DUNK』井上雄彦・菅良幸

また、『THE FIRST SLAM DUNK』のパンフレットでは、以下のように語っている。

漫画は漫画としてあって、TVアニメも変わらず見ることができるし、映画は映画で「新しいひとつの命」として作った作品です。根っこはすべて同じものですが(以下略)

『THE FIRST SLAM DUNK』パンフレット

これらの発言から考えると、『SLAM DUNK』という作品の根っこは同じでも、媒体が違えば別作品と捉える解釈を許している、というふうに受け取れる。
私個人の感想だと、映画が原作の流れにそのまま組みこまれてしまうのはちょっときつい(宮城が1度主将を引き受けたうえで即渡米、というのが嫌だ……)のだが、「新しいひとつの命」としての作品ならば「原作とは別時空の物語」と素直に納得できる。
映画で宮城が新主将に就任したという話が一切登場しないのが大きな理由だ。

3 主人公・宮城リョータ

最初に紹介された声優が宮城役の仲村宗悟さんだったこと、井上さん描き下ろしのメインビジュアルで宮城が中心・最前にいることなどから、公開前から一部では「主人公は宮城なのでは?」と語られていたが、的を射た推測だったことになる。
これについては賛否両論どちらも見受けられるが、井上さんのインタビューをいくつか引用したい。

(『あれから10日後』を描いて、『SLAM DUNK』の連載をもっと続ければ良かったと思いませんでしたか? というような問いに対して)
いや、それはないですね、まったく。あれはあれでもう、「ひとつの終わり」ですから。悔しいとか、やり残したとか、そういうことはあの中ではぜんぜんないですね。すごくさっぱりしてます。

『SWITCH』第2号 2005年

漫画は映画になったりゲームになったりと広がっていきますが、それは結果でしかない。漫画そのものに強さがあるからそうなった。だからジャンプには、漫画の力を信じていてほしい。漫画って、全部を含むことができる媒体ですよね。動いているようにも見せられるし、色も感じさせられるし音も感じさせられる。可能性は、いくらでもある。

創刊50周年記念『週刊少年ジャンプ展 VOL.2』公式図録

(映画の制作の始まりについて訊かれ)
オファーは10年以上前からいただいていました。そのときにパイロットフィルムを作ってきてくださったんですけど、僕が思うものとは違うなと思って、お断りしていたんです。

『THE FIRST SLAM DUNK』パンフレット

前述の小説版『SLAM DUNK』のあとがきでの発言も考慮すると、以下のことが読み取れる。

  • 井上さんはご自身が漫画家ということもあり、漫画という媒体を全肯定している

  • 現時点では、漫画『SLAM DUNK』でやり残したことはなく、あれで完結している

  • 井上さんはメディアミックスについてさほど積極的ではないが、必ずしも否定もしていない

原作のIH以降の試合は、20年以上もメディアミックス化されないまま『THE FIRST SLAM DUNK』公開に至っていた。
それだけ原作ファンの期待も大きかったことは想像に難くない。
「原作を省略せず、余計な描写も入れず、忠実に再現してくれればそれで良かったのに」という声も相当数見かける。
しかし、井上さんが漫画家で、漫画という媒体について「動いているようにも見せられるし、色も感じさせられるし音も感じさせられる」と評価し、「漫画『SLAM DUNK』ではやり残したことは全然ない」とまで言っている以上、忠実な原作再現で原作漫画を超えることは不可能だと判断するのも当然だ。
原作ファンの中にも、とりわけ山王戦のラストについては、あの無音の演出の中で、動きも音も色も確かに感じた私のような人間は少なくないだろう。
漫画という媒体だから、あの表現ができたのだし、山王戦はあれで完成しているのだ。

原作をただなぞって同じものを作ることに、僕はあまりそそられなくて。

『THE FIRST SLAM DUNK』パンフレット

媒体が変わる以上、表現の仕方も変わるわけで、それであれば原作とは違った切り口で、という考えの一環が主人公変更だったのだろう。
井上さんはパンフレットでも「宮城をもう少し描きたかった」と言っているが、過去のインタビューでも「宮城は描き足りなかった」と語っているのを読んだことがある。
(スクラップを探してもぱっと見つからなかったので、見つかったら追記しようと思う)

ちなみに、「宮城を描きたかった」と「『SLAM DUNK』でやり残したことはない」は矛盾しない。

(『SLAM DUNK』の登場人物で番外編のような物語を持てるのは桜木以外では誰か、というような問いに対して)
実際には誰であっても作れるような気はします。読み切りのエピソードなら、どのキャラクターでも描けると思いますよ。沢北とか、強いキャラクターなら、ある種のシリーズさえできるでしょうね。

『SWITCH』第2号 2005年

今作の主人公である宮城についての新エピソードは随所に挿入されているが、山王戦の試合の流れ・展開が大きく変わったところはない。
「試合については山王戦が最高潮で、そこで終わらせたかった」というようなことは何度も井上さんから語られているが、試合としてはやりきっていたけれど、各登場人物にフォーカスを当てることはできる、ということで今回は宮城にスポットが当たることになったのだろう。

宮城の生い立ち

『SLAM DUNK』には魅力的な登場人物が数多いが、原作では意外なほど生い立ちや家族構成が語られない。
主要登場人物である湘北5ですら、例外的なのは赤木と妹の晴子の関係だけで、それ以外だと桜木の父親が自宅で倒れたことがある(その後の病状等は不明)、赤木の両親は健在で家族仲は良好っぽい、三井寿の親は息子の不良時代の素行を引きずっているらしい……あたりの描写しかない。
流川楓や宮城に至ってはまったくの謎だ。
そんな中、『THE FIRST SLAM DUNK』にて明かされた宮城の生い立ちについて、井上さんの読み切り作品『ピアス』を思い浮かべた観客も少なからずいるだろう。

『ピアス』は、映画公開時点ではコミックスなどに一切収録されていなかったが、12月15日(木)発売の『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』に収録されることが発表された。
初出は1998年なので未読の方も多かったろうが、これでずいぶんと読みやすくなることだろうと思う。
あらすじを簡潔にまとめると、兄を海で亡くした少年「りょうた」と、両親の再婚で親に確執を抱えている少女「あやこ」の出会いの物語である。
この物語が=『SLAM DUNK』の「リョータ」と「彩子」かどうかは、私の知る限り明言されていないので何とも言えない。
想像にお任せします、という感じだろうか。
2000年代の井上さんの公式サイトでは読者の交流用の掲示板が設置されていて、私もよく覗いていたが、掲示板でも「『ピアス』は『SLAM DUNK』の前日譚か否か」というのは、かなり意見が割れていた記憶がある。
個人的には、過去にこれだけ印象的な出会いをしていたら、宮城が彩子について忘れて「高校に入って一目惚れした」と語ることはないと思うので、『リアル』に「長」野満が登場するようなスターシステムの一種だと思っている。

(追記)『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』にて、井上さんから『ピアス』は『SLAM DUNK』のパラレルな話だと明かされた。

『THE FIRST SLAM DUNK』と『ピアス』も、また別の物語だ。
『THE FIRST SLAM DUNK』には、何より「あやこ」が登場しない。
しかし、「りょうた」が兄を亡くす展開は『THE FIRST SLAM DUNK』にほぼ踏襲されているし、『THE FIRST SLAM DUNK』で宮城にとってキーになる場面で何度も描かれる海辺の洞窟は、『ピアス』においても重要な位置づけで登場する。

ただ、『THE FIRST SLAM DUNK』で宮城が神奈川県に引っ越してからの展開は、『ピアス』にもない映画オリジナルだ。

宮城・中学1年生

宮城は中学1年生で引っ越すが、転入生として扱われているので、入学と同時ではなく少し遅れたタイミングでの引っ越しになったのだろう。
理由は特に明かされていないので、現時点では想像するしかない。
また、引っ越した直後は言葉数も少なく、一匹狼的な少年で、特に不良でもないのに「気に食わない」という理由で同級生と思われる男子たちにボコボコにされている。
このときの宮城が反撃したかは不明だが、何となくそんな気力はなさそうに見える。
ちなみに、原作の宮城は「問題児」と評されることはあっても、桜木や三井と違い「(元)不良」と言われたことはない。
彩子関連(それに伴う初期の対桜木関連)を除けば、相手に攻撃されない限り自分から手を出すシーンもない(湘北-豊玉の試合中の対板倉大二朗のときは危うかったが……)。
運動神経や思い切りの良さで喧嘩が強くはあるけれど、踏んだ場数が少ないというのには納得できる。

中学1年の宮城は、ひとりで公園でバスケの練習をしているときに中学MVPに輝く前の三井と出会っている。
宮城の留学が判明した場面の次に驚いたシーンだった。
宮城と三井は1on1を始めるが、宮城が三井に兄の影を見てしまい勝負は中断、三井の友人が呼びにきてそのまま別れることになる。
これは原作にまったく存在しないシーンで、後述するが「原作の一部を尺の都合でカットするにあたり、説明のために代替として加えた(と思われる)場面」ではない。
「過去に主要登場人物同士が出会っていた」というのは非常に大きな設定で、あえて新しくその場面を挿入したというのは原作者の何かしらの意図があってのことだと思う。
原作で、仙道と沢北が過去に1度だけ試合をしていた(そして、天才・仙道すら勝てなかった相手であると明かされる)ように。

宮城と三井の過去の邂逅はいろいろと象徴的だと思う。
三井との1on1で、宮城は三井に兄の影を見る。
宮城が小柄なことを考慮しても、兄・ソータは小学生とは思えないくらいに体が大きく、プレイヤーとしても将来性が抜群だったらしい。
兄が早逝してしまったこともあり、宮城の中の兄はバスケット選手として非常に大きな地位を占め続けていただろう。
映画内で「三井が元中学MVPである」とは語られないが、宮城の脳裏に兄がオーバーラップするという演出で、中学2年当時の三井の選手としての格がうかがえる。
宮城の中で三井がソータと重なるという影響もあってか、三井も原作よりだいぶ大人っぽい性格に描かれているように見える。
髪型が復帰後の短髪に準じているのは尺の都合だろうが(同様に、晴子も入学当初からボブカットだった)、映画の三井はほぼ初対面の相手を「ゴリラ」と言って煽るような性格には全然見えない。
同学年であることがはっきりしていた赤木と違い、相手を小学生だと思い、年長者というスタンスでいるからかも知れないけれど……。

上述のように、宮城の脳裏に三井と兄が重なって見える演出があるが、それ以外にも三井とソータの共通点は多い。
態度の悪い宮城に対し、兄も三井も腹を立てることなく、バスケのアドバイスをして、次の約束をし、去っていく。
ふたりが去っていく理由は、ともに約束があった友人ふたりが呼びに来たからだ。

原作では、宮城は「中学時代はバスケ部に所属していた」と本人の口から語られていて、ガードとしての評価は高く陵南・田岡監督からリクルートも受けている。
映画だとそのあたりのことは触れられないが、あまりに協調性がないPGを田岡監督がスカウトするかというと微妙な気がする。
また、中学1年時点の宮城には、安西先生にあこがれる要素も少しもない。
さらに、原作の宮城とヤスこと安田靖春は同じ中学らしく、また安田の口から「宮城は小学校からPG」だと語られていたので、何となく「宮城と安田は小学校から一緒か、小学校時代にミニバス等の試合で安田が宮城のことを見知っていた」と考えていたが、映画での関係はどうなっているのかは想像に委ねられているのだろう。
映画の宮城だと、引っ越し前の小学生のころのことを他人に語るようには見えないけれど、それは一観客である私の視点であり、裏では雑談の中で安田に明かすこともあったかも知れない。
安田が宮城をよく理解しているというのは、原作でも映画でも変わらない。
バスケットへ向き合う姿勢や安西先生を慕っている設定などは、映画と原作で若干変えているということかも知れない。
後述の高校1年時の宮城は、原作に比べるとバスケットに対して引き気味に見えるからだ。

宮城・高校1年生

いずれ神奈川No.1ガードと呼ばせてみせる
今はただのグッドプレイヤーすけどね

『SLAM DUNK』#21 #183 メガネ君

原作で宮城の過去が描かれる場面はごく少ない。
三井グループに囲まれる場面、田岡監督がリクルートを断られる場面、そして上記の湘北バスケ部入部当初のワンシーンだ。
入部当初の場面はわずか1ページだが、私が思う宮城らしさが満載でとても好きなシーンだ。
今はただのグッドプレイヤー」と、謙遜しているようでそうでもないところがとても宮城っぽい。
ふてぶてしいのにコミュニケーション能力の高さがうかがえる。
原作の宮城は、少なくとも入部当初から「神奈川No.1ガード」を目指しているが、映画の宮城はそのへん微妙である。
そもそも、「日本No.1ガード」というならともかく、神奈川にそこまでこだわっているかどうかが謎である。
湘北に進学した宮城はバスケ部に入部するが、2年の赤木とも3年の竹中ともうまくやれていない。
No.1ガードを目指すのなら、少なくともコート上ではコミュニケーション能力は必須だろうが、映画の宮城にはあまりそういう気が見えない。
とはいえ、これは原作と比べた場合の話であって、映画に上記の入部場面は存在しない。
それに、映画で描かれた宮城の生い立ちを考慮すると、いきなり屈託なく神奈川No.1ガードを目指すのも微妙な気がする。

対彩子の関係も同様だ。

オレは中学んときバスケ部だったが高校でも続けるかどうか迷ってたんだ 最初な
それで練習を見にいった体育館で…
初めて見たんだ 彼女を
もうホレてたよ…
速攻で入部した
バスケに命かけることに決めた
オレがチームを強くして…試合に勝って…
それで彼女が笑ってくれれば最高さ

『SLAM DUNK』#7 #54 やな奴だけど

原作の宮城はわかりやすく彩子に恋しているが、映画ではそのあたりのわかりやすい関係は省略されている。
彩子のことを「アヤちゃん」と呼ぶこともない(何て呼んでいるんだろう?)。
ただ、上記の繰り返しになるが、あの生い立ちで原作のように屈託なく恋愛できるか? という疑問もあるので、映画を1本の完結したストーリーとして構築するなら正解かも知れない。
映画にて、彩子の方は宮城の良き理解者という感じだ。

宮城と三井は、宮城が湘北に進学した高校1年の恐らく春(衣替え前)に正門近くで再会している。
中学のときの出会いに続き、これも映画オリジナルの場面だ。
このとき、三井は宮城に気づいたそぶりはない。
三井は中学1年の宮城のことを小学生だと思っていたし、あのときの宮城は無口でおとなしい少年で、声変わりもまだだった。
ただ、宮城は三井に気づいていたと考えて支障ないはずだ。
映画全般に表情とか台詞とかに含みを持たせすぎないように、という指示があったらしいので明確には判断できないが、三井にぶつかって顔をあげたときの宮城は一瞬はっとする。
この驚きが、「ぶつかってしまったのが絵に描いたような不良だったから」なのか、「中1のときに出会ったバスケのうまい奴の変わり果てた姿だったから」なのか、どちらに受け取っても間違いではないのだろうけれど……場面が変わって山王との試合中、三井がスタミナ切れを起こしながらも連続スリーポイントシュートを決めた際に、ふたりの過去の1on1のときの三井の姿がカットインする場面がある。
中学時代の宮城と三井の1on1は、ふたりしか知らない出来事だ。
三井にとっては気まぐれで相手をした「小学生」を回想する場面ではないので、宮城があのときの三井を脳裏に思い浮かべた(=宮城の方は三井の変貌に気づいていた)、と推測するのが妥当だろう。
そう思えば、「そのサラサラのロン毛が気に食わねえ」という台詞にも別の意味が込められている気がする。
宮城が三井と再会したときに「あのときの相手だ」と気づいていたとすると、宮城にとってはあまりに酷だろうと思う。
「また明日な」と言った兄は帰らぬ人になり、兄を彷彿とさせた人は「またやろうぜ」と言って別れたのに不良になったうえに自分に敵意を向け、「ひとりじゃテクニックがもったいない」とアドバイスをくれたはずが、バスケ部の一員になった宮城を否定する……。

映画の宮城は、1年の冬に三井グループに襲撃を受け、その後バイクの事故で入院、新年度の復帰後に再び三井と喧嘩をし(宮城と三井には真新しいあざや怪我があるが、三井復帰時の湘北バスケ部の面々に怪我が見当たらないので、原作と同じ形の襲撃事件があったかは不明)、再度復帰するという時系列らしい。

(追記)三井復帰時、体育館奥でドリブル練習中の桜木は顔に怪我をしていたので、映画時空でも襲撃事件はあった可能性がある。

宮城のバイク事故は、宮城の留学、宮城と三井の出会いの次に驚いた場面だった。
宮城が長らく入院していたのはバイク事故のせいということになっているが、原作では三井グループとの喧嘩が原因なので、これもオリジナル設定だ。
とはいえ、1997年の描き下ろしカレンダー(現在は画集『INOUE TAKEHIKO ILLUSTRATIONS』に収録)にて、宮城がスクーターで彩子とふたり乗りするイラストがあるので、「ここから持ってきたのか!」という驚きはあった。
今であれば「ノーヘル、ダメ、絶対」でNGになりそうなイラストだが、ちょうど四半世紀前の作品なので、そのあたりは目をつぶりたい……。

上記のように、宮城の生い立ちを新しく描いたため、それに合わせて原作とは設定などが変更されている。
原作と丁寧に比較すると違和感を覚えるような部分もあるかも知れないが、映画のストーリーとしては矛盾がないように組み立てられていると思う。

4 その他、映画の変更点

「こんな『SLAM DUNK』は初めて観たな」と思ってもらえるように制作された映画ということで、宮城関連以外でも原作からの変更点は多い。

大きな違いとしては、やはり映画における試合のスピード感だろう。
漫画では、1秒をいくらでも長く描けるし、長いモノローグを現実時間での数秒間で終えることも可能だ。
それが井上さんの語る漫画の強みの一部でもあるだろう。
しかし、実際に時が流れる映画(アニメーション)で原作のすべての要素を忠実に再現してしまうと、どうしても秒の勝負になるバスケットボールでは現実味が薄れてしまう。
スローモーションなどを多用すれば解決できても(事実、映画でもここぞという場面などではスローモーション処理などがなされている)、それはあくまで決めの場面だけであり、全編でそれを通すと間延びしてしまう。
台詞や回想などが大胆にカットされているのはそのためで、それをカットしたからこその試合シーンのスピード感なのだろう。

宮城の過去以外で原作から付け足しされている場面や台詞は、軒並み映画でカットした場面を説明するための代替シーンだ。
試合場面冒頭の、観客席で行われる晴子や桜木軍団の自己紹介などは、まさに山王戦より前のエピソードを削除したことによる代替台詞だろう。
その他にも、試合のテンポを損なうような長台詞は一部あるいは全部をカットするなど、主役である宮城を除き、原作よりも主要登場人物の台詞はかなり減っているように思う。

それ以外での大きい変更箇所は、原作にて、対河田で自分を失った赤木が、コートに乱入してかつら剥きを披露する魚住によって自らを立て直すシーンだ。
高校生であり、板前の修業を始めたばかりで忙しいはずの魚住が、わざわざ神奈川から広島までやってきて、ふがいないライバルを見て、自分の経験をもって自分なりのやり方で活を入れ覚醒させる、名場面だ。
しかし、現実的に考えて2mもある長身男性が刃物を持ってコートに乱入するなど警備の視点からいっても不可能だろうし、実際それをやってしまったら退場では済まないだろう。
上記の場面は、単行本の話間の1コマのように、シリアスとギャグを1コマで行き来できる漫画ならではの強みで、その緩急のつけ方が漫画『SLAM DUNK』の絶妙な部分である。
また、上記の場面で感動するには魚住の説明をする必要があり、魚住を説明するためにはIH予選の陵南戦を説明する必要があり、IH予選の陵南戦を説明するためには練習試合の陵南戦を説明する必要があり……と、延々遡っていく必要がある。
そのため、やむなくカットという形になったのだと推測できる。

赤木覚醒の代替シーンは、気を失っている最中の赤木の脳内で竹中が赤木に嫌味を言う中、目が覚めた赤木をメンバー4人が覗きこんでいる。
かつてコート上に信頼できる仲間がいなかったが、今は仲間に恵まれている……と気づくことで赤木は自分を取り戻す。
原作のもう少しあとのタイムアウトのところで、「赤木がチームメイトに理解されなかった自分の過去を思い出し、頼もしい仲間ができたことに涙する」場面をアレンジしてここに持ってきたのだろう。
2で記載した、あえて前年のIH予選での負け試合を対陵南戦から変更した理由は、ライバルとなる魚住との対戦を描かないことによって赤木の孤独をより強める意図があったのかも知れない(魚住は赤木の実力を誰よりも評価していた)。
目が覚めた赤木を真っ先に三井が助け起こそうとし、起こしきれず自分も倒れこんでしまい、桜木と宮城がふたりがかりで立ち上がらせる……というのは、原作とは違うけれど素敵なシーンだったと思う。
誰も何も声をかけないし、モノローグもないけれど、裏に隠れている気持ちを想像してじーんとしてしまった。
流川はひとりだけ何もしていないけれど、彼が近くまで寄って他の3人と一緒に赤木を覗きこんでいるというだけで、このチームは信頼関係が築けているんだなとちゃんと感じさせてくれた。

流川に沢北のことを伝えた豊玉高校・南烈や、アドバイスをした仙道の場面も一切カットされている。
仙道についても魚住同様、陵南との練習試合まで遡る必要があるのでそのまま挿入するには無理があるエピソードだったのだろう。
同じく、南についても豊玉戦を描く尺の余裕はないはずだ。
その代替として挿入されたシーンは、流川と宮城が恐らくIH会場にて会話する場面だ。
沢北が起用されたポスターに拳をぶつける流川、それを見て「こいつの悔しがる顔が見てえ」と言う宮城に流川は同意する。
流川が「日本一と言われるバスケット選手である沢北にライバル心を抱いている」のを観客に伝える場面だ。
個人的に、ここで流川の話し相手(というほど言葉を交わしているわけではないが)に宮城が選ばれたのは、いろいろと感慨深い。
宮城がこの映画の主役だから、という事情もあろうが、原作での流川と宮城のやり取りがとても好きなのだ。

宮城「おしい!!」
流川「ジツは強いパスとりづらいんす」
宮城「………!!」
流川「ワンバウンドさせてくれるとありがたいっす」
宮城「…わかった」

『SLAM DUNK』#24 #209 合宿シュート

宮城「極端に狭い視野でプレイしてるんだ。消耗の度合いもハンパじゃねーだろ。交代するか?」
流川「イヤ…今のいい流れを壊したくない。交代はなし。今勝ちをつかみかけてるとこでしょ」
宮城「おう」

『SLAM DUNK』#24 #211 内部崩壊

対豊玉戦の試合の一幕だが、昔からすごく好きなやり取りだし、流川と宮城の信頼関係がはっきりとわかって改めて読むと意外な気さえした。
片目がふさがっていても一歩も引かずダンクシュートを決めるような流川が宮城には「強いパスが取りづらい」と率直に言い、前半あれだけ頭に血が上っていた宮城が真っ先に(正確には彩子の次に)流川を気遣っているというのが、とてもいい。
特に、後者の場面は無口な流川がきちんと言葉で意思疎通をしようとしている。
ちゃんとした先輩・後輩関係だと思うし、中間管理職的な2年生の唯一のスタメンとして宮城がチームの潤滑剤の役割を担っているのがよくわかる。
この場面まで、流川と宮城が一対一で会話するシーンはほとんどないのだが、だからこそ私にとって印象的だったのだろう。
このシーンの印象が強かったから、映画で沢北への対抗心を明かす場面に宮城が居合わせるのは、私にとっては自然だった。
ちなみに、映画での宮城と流川は沢北のポスターを前にするまで一対一で話したことがないらしいので、原作の時間軸に組みこむとするなら前述の会話が行われる豊玉戦前ということになる。
IHで山王戦より前に豊玉戦が行われたことは桜木の回想から確実だが、試合展開が原作に沿っているかは不明なので、必ずしも上記が確定するわけではないが。

試合中には、上記以外でも原作にないシーンがいくつかあるが、それはほとんどすべて宮城がかかわっている。
宮城はベンチメンバーの期待を背負って再びコートに立つ桜木に「待ってたぜ、問題児」と告げ、山王のタイムアウト中に「もう腕上がんね」と言う三井に「オッケー、パス出すっすよ」と宣言し、怪我を負った桜木がコートに復帰したときに円陣を組むよう促し、流川に「そのまま行けるなら行っちゃえ」、赤木に「流川を見てて」と指示を出す。
これらの声掛けや指示はどれも、その後の試合展開を象徴するような内容だ。
スピードが速く、説明台詞を極力排除している脚本のため、『SLAM DUNK』に触れたことのない観客に対して、試合展開を理解する一助になるよう設けられた新規台詞なのかも知れない。
そして、残念ながら映画には宮城のことを「PGとしてだいぶ成長した」と評価してくれる海南大附属高校・牧紳一は登場しないが(海南らしき観客はいるし、山王戦のビデオの中ではそれらしき人影はあるが)、その代わりのように、1年のころの態度からは信じられないような司令塔としての成長ぶりがわかりやすく形になった場面でもある。
個人的には、流川に対する「そのまま行けるなら行っちゃえ」という台詞は宮城独特の言い回しっぽさがあってとても良かった。

また、上でも少し語っているが、原作『SLAM DUNK』はシリアスの中に時折登場するデフォルメパートが絶妙である。
映画では、そのあたりが軒並みカットされているのも賛否両論が起こる理由だろう。

(前略)原作の細かいギャグなんかはどうしても入らなかったです。漫画だと細かいギャグは、小さいコマや字でこそっと入れられるじゃないですか。でも映画はスクリーンの大きさがずっと一定で、その隅っこに小さくギャグを入れても気付かれませんし、大画面でやるのも違うので。そこの違いは大きかったですね。

『THE FIRST SLAM DUNK』パンフレット

アニメ『SLAM DUNK』では、原作のデフォルメパートもほぼ忠実に再現していた。
というか、むしろギャグパートの台詞などは増やされていたような記憶もある。
同じアニメーションでも、手描きのセル画での作画と3DCGでは手法も変わるし、今回の映画が試合のスピード感を大切にするのなら、細かなギャグシーンをすべて拾うのは難しいということだろう。
また、大画面・大音響で観ることが前提になっている映画と、当時は自宅のブラウン管で観るのが当たり前だったアニメとでは、得意な表現が異なって当然だ。

とはいえ、まったくギャグシーンが残されていないわけでもない。
試合後半、ベンチに下がった桜木が安西先生の教えを受けてリバウンドに目覚める場面の手書き風デフォルメ背景などは非常にわかりやすいが、他にも原作ファン向けにいくつか用意されている。
原作の28巻『#247 譲れない』にて、桜木と赤木がロータッチしたあと、桜木の右手がいかにもギャグ的に腫れ上がっている場面がある。
井上さんが上記インタビューで語ったように、この場面の桜木は宮城の背景にデフォルメ絵で小さく描かれている。
映画での同じ場面では、桜木と赤木のタッチのあとカメラが切り替わり、フォーカスの当たっていない桜木が画面奥を走っていくのだが、その右手が漫画同様のギャグテイストで腫れ上がっている。
また、宮城が深津とのマッチアップを知り夜道をランニングする場面で、山王のビデオを観ている自分たちを回想するのだが、その短い回想では桜木がおなじみのデフォルメ絵柄でビデオを観ていたりもする。
どちらもほんの一瞬のシーンで、本筋にはかかわらない「気づいた人だけ楽しめる」オマケとして描かれている。
注意して鑑賞すればもっとあるのかも知れない。
漫画的な「小さいコマや字」は映画ではこういうふうに表現されるんだ、とパンフレットを読んだあとに鑑賞した際に少し感動した。

5 宮城と沢北

原作の湘北5の中で、客観的に見て1番活躍する場面が少ないのは恐らく宮城だ。
井上さんが「もう少し描きたかった」と思うのも、同様の理由ではないだろうか。
ジャンプショットが苦手なうえ、背が低いという明確な弱点があり、湘北の他メンバーがオフェンス力に優れていることから目立つ得点シーンが少ない……などが理由だと思う。
そして、はっきりとしたライバルがいないというのも印象が弱い理由のひとつだろう。
原作でも宮城本人が語っているが、宮城のマッチアップの相手は藤真健司・牧・深津一成と彼より10cm以上背の高い格上の相手ばかりで、お互いに意識しあっているような対戦相手はいない。
あえて言うなら豊玉の板倉が同学年・同ポジションだが、あまりライバルという感じがしないのは、お互いに再戦を希望していそうにないからだろうか……。
IH予選決勝リーグの陵南戦で仙道がPGを担当していれば、もしかしたら宮城視点ではバチバチのライバルになっていたかも知れない。
そうすると仙道は、湘北では流川、桜木に続いて3人目のライバルが生まれてしまうが。

沢北は、原作の連載終盤に登場した対戦チームの選手にもかかわらず、登場人物の誰よりも生い立ちや家族構成が明確に描かれている。
映画ではそのあたりは一切描かれていないので、彼が同様の人生を送ってきたのかはわからないが、原作読者視点だとどうしても彼と宮城の人生を対照させてしまう。
原作の沢北も、映画の宮城も、幼いころから「自分より圧倒的に体格が大きくバスケットがうまい年長の家族(父と兄)」にバスケで挑んでいて、それが技術のベースになっている。
中学で「生意気だ」という理由でボコボコにされるのも、涙を見せる場面が多い(原作でも宮城は桜木との「意地の張り合い」で涙ぐんでいるし、沢北は深津に「すぐ泣く」と評されている)のも、何となく共通点として見てしまった。
しかし、原作では宮城と沢北が個人的にやり取りする場面などはなかったたため、映画初見のときに試合中のモノローグで「同い年にこんな奴がいるんだな。17年間ずっとバスケのことだけ考えてきたんだろうな」と語っているのに驚いた。
さらにその後、上記の流川と一緒に沢北のポスターを眺める場面で、「オレと同じ2年だぜ、まだ」と、沢北をはっきりと「同い年のプレイヤー」として意識しているように描かれている。
映画では、宮城は1度目に三井グループにボコボコにされたときにバスケットシューズを段ボールにしまいこんでバスケをやめようと思った節があるし、事故で入院もしているので、沢北と比べたらバスケットに一途ではいられなかったのは間違いない。
宮城も沢北もチーム唯一の2年生スタメンだが、原作にはない沢北の神社のシーンからもうかがえるように、バスケットに邁進し続ける人生を送ってきた沢北と、回り道ばかりの宮城が映画では明確に対照的に描かれているからこそ、あのラストシーンにつながっているのだろうと思う。
余談だが、手詰まりになった宮城が流川にパスしようと視線を送った際、流川をマークしている沢北が宮城に向かって不敵に笑いながら首を横に振るシーンが最高に沢北らしくて良かった。
原作の宮城はマッチアップする対深津の場面が印象的だが、映画では宮城と沢北の関わるシーンが増えている。

さらなる余談だが、深津に関して言えば、宮城が夜道をランニングする場面で彩子に出会い、「深津は山王で1年のときからレギュラーだった」と語る場面が印象深い。
王者・山王で1年からレギュラーを獲得した深津と、弱小の湘北でさえ試合に出られなかった自分とを比較して卑屈になっているような印象を受けた。
1年時の宮城が試合に出る描写がなかったのは、赤木の孤独を表現するとともに、深津の偉大さやそんな相手に抱く恐怖心を鮮明にするためだったのかも知れない。

知ってる? 桜木君
日本人初のNBA選手がうまれたって
ほとんどの人が日本人にはムリって思ってたらしいわ
だけど…
ムリだっていうのはいつだってチャレンジしてない奴よね

『SLAM DUNK あれから10日後――』

『あれから10日後――』の最後の方のエピソードで、桜木を担当しているらしき医師が桜木に告げた台詞だ。
この場面について、井上さんは下記のように語っている。

やっぱりどこかで「現在」との接点を持たせたかったんですよね。見にくる人たちは「今」に生きているわけですから。あそこで「今」とのつながりを出してみたんです。

『SWITCH』第2号 2005年

『あれから10日後――』が発表された『SLAM DUNK』1億冊イベントが行われたのは、井上さんのTwitterでも言及があったが2004年12月3日~5日の3日間で、田臥勇太選手が日本人初のNBA選手になったのも2004年である。
そして、その10年後の2014年、高校からアメリカ留学をした富樫勇樹選手がNBAのチームと契約まで果たした。
2022年現在、NBAで活躍している渡邊雄太選手と八村塁選手はともに身長2mを超えるが、富樫選手は167cmと決して身長が高い選手ではない。
「走れる2m選手」だった矢沢がアメリカでまったく通用せず哀しい末路を辿った原作の時代では、日本人のNBA選手が誕生するのはもちろん、160cm台の日本人選手がNBAで契約まで辿りつくなど夢物語だったに違いない。
原作連載当時の常識では、日本の高校バスケット界で図抜けている運動能力を持つ日本一の選手・沢北だからこそ、アメリカ留学を実現させられたのだろう。
流川ですら安西先生に止められるのだから、当時ならきっと宮城のアメリカ挑戦など論外だったはずだ。
2004年の「今」が日本人初のNBA選手の登場、そして2022年の「今」が160cm台の日本人でもアメリカにバスケ留学して活躍できる、ということを象徴したラストシーンが、宮城と沢北のアメリカでの対峙なのかも知れない。

映画製作が始まっていただろう2017年4月27日、朝日新聞にて井上さんと富樫選手の対談が掲載された(現在は週刊朝日MOOK『B'』に収録)。
詳細を記すのは控えるが、対談で語られた富樫選手の言葉はアメリカでの宮城のプレイヤーとしての方向性を示唆するものなのではないかと想像する。

6 おわりに

2022年12月15日時点で、『THE FIRST SLAM DUNK』の感想は賛否両論という感じだと思う。
最後に、現時点での私の個人的な感想を書き留めておく。
初見で書けたら1番良かったのかも知れないけれど、公開から2週間ほど経っている間に気づいたら何度も映画館で鑑賞してしまっていたし、『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』も発売してしまっていた。
これを書き終えて早く読みたい。

私は「『SLAM DUNK』で誰が好き?」と訊かれたら「湘北5と神奈川PGトリオ(宮城・藤真・牧)」と答えるようにしていて、「その中でひとり選ぶなら?」と訊かれたら「桜木と流川」(ひとりじゃないし)と答えるようにしているので、「宮城が1番好き」とは言えない立場だ。
だけど、私は昔から「山王戦の宮城は世界一格好いい」「海南戦はもちろんだけど、山王戦の宮城も影の殊勲者だと思う」と言い続けてきた痛い宮城ファンだ。
また、私はアニメその他のメディアミックスも楽しんでいるけれど、基本的には原作漫画の『SLAM DUNK』のファンである。
メディアミックスの出来の善し悪しは関係なく、もうこれは思い入れなのでしょうがない。
私の中で原作漫画が揺らぐことはないので、仮に映画が私にとって期待外れであっても、多分ショックは受けなかったと思う。
逆に、どんなに素晴らしい出来でも原作漫画を超えるほど好きになることもない。
しかし、山王戦最終盤の「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」の場面、沢北を押しのけるようにして進む宮城のあのプレイの映像は、音楽の演出との相乗効果も相まって初見のときに心をつかまれて、今はあの場面は「原作より好きだ」と思っている。
宮城が主役の場面でなくても、体格に恵まれない宮城が何とか深津に押し負けないよう常に動いているのが目に入るたび、「やっぱり山王戦の宮城は影の殊勲者だ」と実感できた。
今でも相変わらず痛いファンである。
山王戦の世界一格好いい宮城を、こんなに素晴らしい形でアニメ化してくれたことに、今は心から感謝している。

映画がバスケットシーンのリアルさにこだわってくれたことで、桜木のところに極端にボールが渡らない理由が、解説がなくてもよく伝わってきた。
それ以外にも、赤木がフリースローの担当で、桜木がベンチに下がっていると、湘北のリバウンダーには流川と三井が入らざるを得ない。
リバウンドについては原作にも同様の描写があるのだが、そこからの試合展開で、桜木がコートに復帰するまで完全にスタミナ切れしている三井が河田とマッチアップしていて、初見のときはリアルタイムであせった。
三井と河田のマッチアップの場面は、桜木と安西先生の会話場面を描いている漫画にはない試合風景で、映画を観て初めて絶望した。
流川が沢北を、赤木が河田美紀男をマークしているので、三井が河田のディフェンスに回らざるを得ないというチーム事情の厳しさが明確になっていた。
桜木が怪我でベンチに下がっていたのは試合の時計では15秒ほどだと思うが、桜木が戻らなかったら勝てなかった……というのが嫌でも実感できたりと、漫画では深く意識していなかった部分を新しい気持ちで観ることができた。
オープニングの手書き風湘北5が、楽器やヴォーカルが重なるごとにひとりずつ完成していって動き出し、そのまま試合に突入する場面も初見のときに心をつかまれたし、原作でも無音で描かれる試合のラストシーンも、漫画を彷彿とさせるような効果線やモノクロとカラーが入り混じった映像などを駆使して表現され、息を呑んで見入ってしまった。

(『あれから10日後――』の漫画について)山王工業のあの連中の会話なんて、ほんとにどうでもいいような、くだらないものだと思いますけど、でも彼らにとっての日常はああいう日々なんですよね。漫画で描かれているような「激闘」が毎日々々あるわけじゃない。朝起きて、学校行って、勉強して、部活があって、帰ってメシ食って、寝る。僕らと同じような日々を過ごしているはずなんですよね。

『SWITCH』第2号 2005年

3でも少し述べたが、原作の『SLAM DUNK』は全編通してバスケットの試合や練習の場面がほとんどで、いわゆる生い立ちや家族の話、日常の話は極端に少なく、それも井上さんは自覚されているらしい。
私は湘北5や神奈川PGトリオに限らず、『SLAM DUNK』の登場人物には思い入れに多少の差はあれどみんなに愛着を持っているが、バスケットボールという競技を通して見た彼らのこと以外はほとんど知らない。
今回の映画では、湘北と山王のメンバーがバスケット選手としてリアルに描かれていて、場合によっては日常をつぶさに書かれるよりもずっと、彼らに対する解像度が一気に鮮やかになった気がした。
宮城に限らず、試合中の彼らを、たとえボールを持っていないときでも本当に魅力的に描いてくれた映画には感謝ばかりだ。

不満……というほどでもないけれど、あえて言うなら、宮城が手紙を書くシーンの一人称が「俺」なのが意外だったことだろうか。
私は男子でも高校生でもないので何とも言えないのだが、男子高校生は文字で一人称を書くとき漢字の「俺」を遣うのだろうか。
具体的に想像していたわけではないが、宮城なら「オレ」と書くようなイメージがあった(原作漫画の一人称は、基本みんな片仮名の「オレ」で統一されている)。
あと、桜木がコートに復帰する契機になる流川のファウルの際、手書き文字で小さくだが「ワリイ」と沢北に謝っているので、ごく短いその台詞はぜひ入れて欲しかったなーと思っている。
流川はちゃんと謝れる子なんですよ……。

初見のときは、最後の宮城の留学場面で驚きばかりだったのだけれど、何度か観返すうちに違った感想を抱くようになった。
5で引用した『あれから10日後――』の医師の台詞で、「ムリだっていうのはいつだってチャレンジしてない奴よね」というものがあるが、原作にそれと呼応するような台詞がある。

チャレンジこそ奴の人生なんです……

『SLAM DUNK』#29 #256 チャレンジ

沢北の父・哲治が息子を指して言った台詞である。
桜木は山王戦で「自分の栄光時代は今だ」と言っているが、映画で主人公に据えられている宮城の後半ラスト1分40秒も同様だろう。
1度目のゾーンプレス突破が赤木のアシストあってのものだとしたら(もちろんそれでも十分な偉業である)、最後のゾーンプレス、深津・沢北のダブルチームは完全に自力、個人技で突破している。
そして、三井に宣言したように完全にスタミナ切れしている彼にパスを回して4点プレイにつなげた。
さらに、逆転を懸けたラスト10秒で、ボールを出しあぐねた赤木は宮城のアイコンタクトで走ってくる流川に気づいて、彼にパスを出しボールを運んでもらう。
これも、4でも触れたがあらかじめ宮城がふたりに指示を出していたとおりだ(原作も宮城のポジショニングは同じだが、明確な赤木とのアイコンタクトの描写はない)。
劇的な逆転勝利含め、PGとしての栄光をすべて極めたような試合展開だ。
だけど、それにおごらず、新たな環境に身を置く決断をした宮城は、「背が低いからムリ」などと思わず、沢北同様に「チャレンジする人生」を送ったことになる。
井上さんの「根っこはすべて同じ」という言葉を信じれば、原作の時間軸の宮城も、将来的に渡米するかどうかは置いておくとして、きっと背の低さを言い訳にしないで限界を超えるまでバスケットに挑戦していくことだろうし、それを信じられる演出だったと思う。
宮城の、そして『SLAM DUNK』に登場するみんなの未来に栄光がありますように……とただ願うばかりだ。

漫画の楽しみ方というのは千差万別で、『SLAM DUNK』もいろいろな読み方があると思うが、私にとっては桜木や流川に自己投影するわけでも、湘北の一員になりたいと思うわけでもなく、観客席のひとりとしてコートのみんなに声援を送るような立場で読んでいる。
私が『SLAM DUNK』に出会ったころは、バスケットボールというスポーツ自体を知らないような子供で、漫画を読んだりアニメを観たりしても今思えばどこまでルールを把握していたのかは定かでない。
でも、作中で描かれる試合に幼心にどきどきして、夢中で原作を何度も読み返したのを今も覚えている。
その後、成長して「偶然テレビなどで目に入ったスポーツで、ろくにルールもわからないのに魅力的なプレイ、魅力的な選手とたまたま出会い、競技のファンになった」経験が何度かあるが、その原体験は間違いなく『SLAM DUNK』だった。
私はファン歴が長すぎて、この映画を原作やアニメに触れていない人が観たらどう感じるかまったく想像できないのだが、最高に魅力的な湘北や山王の選手たちがつくりあげる、最高に魅力的な試合を目にして、ルールや登場人物やこれまでのストーリーがわからなくても目を奪われてしまうような内容になっていたらいいな、と思う。

そんなスタンスの私だから、『SLAM DUNK』1億冊イベントの特設サイトの演出は、本当に嬉しかった。
書籍版『あれから10日後――』にて特設サイトを断片的に見ることができるが、知らない方のために簡単に説明すると、何種類か用意されたキャラクター(モブキャラ)から自分の好きな容姿を選んで、『SLAM DUNK』への応援メッセージを入力すると、そのメッセージがボールになって別の人にパスを送るような演出がなされる。
そして画面が切り替わり、観客席の中に自分が選んだキャラクターが登場し、コートに立っている湘北5に声援(入力されたメッセージ)を送っている……という、作中の観客のひとりになれるサイトだった。
自分だけでなく、他の観客はみんな実際のファンで、自分以外のファンの入力した応援メッセージも見られた。
あのとき、私や、私以外の大勢のファンがみんな同じ気持ちで観客として湘北5に声援を送っていた。

今回の映画で、時に心の中で夢中で声援を送り、時に固唾を呑んで見守りながら漫画を読んだことや、約20年近く前の特設サイトで何度もメッセージという名前のパスを送って、コートの中のひとりになって湘北を応援したことを思い出した。
令和の時代に、新しく湘北を応援できる体験をさせてくれて、本当にありがとうございました。
平成の『SLAM DUNK』はもちろん、令和の『SLAM DUNK』も大好きです。
サクラでもなく、もちろん嘘でもないです。

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