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祖母
僕は母、祖母の3人で生活していてその中でもヒエラルキーのトップに君臨してたのが祖母である。
そんな身分制度なのでリモコンの所有権は僕に回ってくることはなかった。
大人になって周りとそれぞれの祖母の話をしていると僕の祖母はかなり変わった人だったのだなと思うことが多々ある。
まず生活リズムである。
祖母は夜中2時くらいまでテレビを見てダラダラと過ごし10時過ぎに起床するのである。
大学生の友人の生活リズムの話を聞いたときに祖母と同じじゃんと思ったことからおかしいことに気づいた。
普通年寄りは早寝早起き散歩がベーシックコースであるがうちの祖母はというと遅寝遅起き昼ごはんだった。
僕が小学生のころには、何かがきっかけで口論になった。
そもそも巷の「おばあちゃん」は孫に優しく、まず口論になんか発展しないイメージだが、僕の場合は違う。
なにかととってつけてケチをつけてきてよく揉めていた。
口論もヒートアップし、かなり盛り上がったところで事件は起きた。
祖母が持っていたあずきバーで孫の頭を叩いたのである。
コツーンという音が僕の脳内に響き、それを追っかけるようにして痛みが走った。
これが世で初めて武器としてあずきバーを使ったお年寄りの誕生日である。
あずきバーを知らない人に説明すると、サファイアよりも硬いのでは?という釣り記事が検索欄に溢れるほどである。
叩いた後の祖母をみるとニヤニヤとしていたように感じた。
僕自身も初めてお年寄りにあずきバーで頭を叩かれた若者になったわけでそのことを考えると次第に怒りも収まってその場を離れた。
今思い返してみてもお年寄りが武器としてあずきバーを使うという判断に笑けてくる。
そんな祖母も僕が20歳になる前に他界した。
最後に話しかけると、僕の顔を認識したらしく名前を呼んでくれた。
こんなドラ孫でも走馬灯の一つに出演できたのなら良かったのかなと勝手な想像をした。
生前、死期を悟ってか周囲の友人家族に手紙を書いていたらしい。他界した直後にみんなに配られていたので僕にもあるのかなぁと勝手な期待をよそに僕の手に手紙がくることはなかった。
何ヶ月か経って遺品整理をしていると僕宛の手紙が出てきてそこにしっかりと変わった祖母らしくメッセージが書かれてあった。
僕は大人になった今もなぜか肌身離さず持っている。
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