#0 生きるのが下手
どうやらわたしは、生きるのがめちゃくちゃ下手らしい。
そんなことに気が付いたのは、本当に最近、大学に進み一人暮らしをしてからのことになる。年齢でいうと20を超えたころ。逆に言うと、20歳までは私は普通に生きているような気がしていた。
何かがおかしいぞ、と気が付いたのは、今の職場に身を置いてから。
誰かが自宅の写真をインスタグラムに投稿している。きれいな、整然とした机が映っている。誰かが玄関の写真をツイッターに投稿している。砂埃の気配がない。
「最近雨続きだから洗濯が三日もできていなくて」「毎朝掃除してるのに抜け毛が気になる」「お弁当は朝詰めてるよ」「洗面台のタオルは毎日交換してください」などなど、などなど。
多分、大抵の人はこのあたりの事象に疑問なんて抱かないだろう。抱いたとしてもどれか一つ二つだろう。これが多分、「普通の感覚」だ。そう気が付いた時、私はぎょっとした。
まず、汚れる前に掃除という感覚がわからない。汚れたところを掃除するんじゃないのだろうか。着る服がなくなってから洗濯をするから、せいぜい週に一回しかしていない。お弁当なんて月に一回すら作らないし、朝にそんな時間を作れるほど早起きはできない。タオルなんて目に見える汚れさえなければ変えなくてもよくない?せめて一週間くらいは……。
そんなことを思ってしまうのはどうやら異常らしい。それはわかったから、私は自分の生活の話をあまり、しなくなった。
ズボラ。面倒くさがり。そうかもしれない、いや、それに分類はされるのだろう。だろうけれど、それだけでは済ませられない圧倒的な生活能力のなさを感じた。ヒトとはあまりに違う生き方をしているような気がした。
食事は一日一食食べればいいほう、お腹が空かなければ食べられない。寝る時間も起きる時間もまちまちで、一日の半分くらい寝ているときもある。普通の人が普通の生活をするための習慣が、ほとんど何も、身につかない。
それは恥ずかしいこととも言える。けれど、それらを身に着けようとしても、きっと全部は、無理だ。あんまりにも生きるのが下手だから。
だから少し。
少しだけ、私の生活の話をしようと思った。同じように生きるのが下手な人が、なんとなく共感して安心できるように。普通の生きるのが上手な人が、そういう生き物もいるのかと思えるように。
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