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目の前の事と、その向こう

世の中はもうコロナ!危険!大変!という話一色ですが、皆さん大丈夫ですか?私は、超インドア派なことと、たまたま今、仕事がてんやわんやで外に出られないという事情もあり、コロナのせいで困っていることは特にありません。それなのに何となく気持ちが塞いでいるのは何なんだという感じ…。

そんな中、先日、社会や生活について話す会(?)にzoomで参加してきました。そこで話しているうちに、自分が塞いでいる理由がわかった気がしたのです。
それは視野の狭さでした。

頭をやわらかくしよう

自分がなんとなく思っていることや、他の人のそれについて、ざっくばらんに話していると、自分の考えている事がはっきりするし、それに対して違う見方があると発見できます。
そこだけ抜き出すと「ネットや本でもわかるじゃん」って話なんですが、いや、そうじゃないんだ…。

コミュニケーションって、話の結論へ至るまでの表情や、間(ま)、言葉につまったり、流暢に話せたり、そういう細かい部分を含めたものだと思うのです。その中で「私の意見ってどうだろう?」と自問自答していくことから、考え方の幅や柔軟さって生まれるんですよね。
そしてそれは、人生の豊かさや日々の満足感に直結している。

冒頭に書いたように「困ってないけどなんとなく塞いでいる」というのがまさにこれ。日々たまっていくモヤモヤを自分の中だけで考えていたからなんだな、と、この日気づきました。
まさに「塞いでいる」という感じ。出してあげればいいんだね。それで誰かから少し拝借して、風通しを良くする事。

やわらかくなくても困らないけど…

ただ、そういった考え方って、正直なくてもあんまり困らないんですよね。
考え方が狭くても、とりあえず日々の家事や目の前の仕事はこなせるし、理屈だけで言えばそれで全然困らない。
その事で自分が失っているものや、他人に与えている影響とかって、あまり気づかないのです。だから怖い!
個人的には、その無遠慮で無自覚に他人を傷つけたりするのが怖いので、やあ、気がつけてよかったよかった。

もちろん、優先すべきは、自分自身が日々を安心して過ごせる事です。
でも、特に困ってないなと思ったときほど「本当かな?」「周りは困っていないかな?」「この先もこれで良いのかな?」と足を止めてみても良いのかもしれません。

追記

しかし私が日々「困っていない」と思えるのは、最近ヒプノシスマイクという二次元音楽コンテンツ(?)に、異常にハマっているからなんじゃないかとも思います。
この殺伐としたコロナ禍で新しい趣味を見つけられるのも、柔軟な姿勢ゆえですね。

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全然似ませんでした。

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