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空想上のときめき

作業の遅れという現実に向き合いたくなくて日記を止めてしまいました。相変わらず延々と音楽を聴きながら作業をしています。そんな中、ラブソングが流れるたびに地味に思うことがあります。それは「やはり十代は恋愛をしておくべきだったんじゃないか」という事です。

というのも、私は中学、高校共に女子校だったんですね。学校生活は楽しかったのですが、そこに、いわゆる「青春時代における、異性への恋愛」のエッセンスはありませんでした。その為、10代の初々しい恋愛を描いた音楽や漫画は、私にとってはだいぶファンタジーなのです。

高校を出てからはいろいろな人と会う機会が増え、普通に恋愛もしましたが、ちがうんですよ!10代のときめきは10代じゃないと感じられないと思うんです。(空想です)
あるじゃないですか、帰り道が一緒になるとかどうとか、わざと好きな人のものを借りるとか、冬服が夏服に代わってドキッ…とか、そういう…漫画に出てくる景色…。(空想です)

しかし自分の人生にはそれが欠落している。「そういう恋愛モードにならなかった」ではなくて、異性がいない以上、女子校では体験し得なかった。そこなんです。(「同性でもいいじゃないか」とかはまた別の話ね)

別に恋愛がしたかったとか、恋人が欲しかったというわけではなく「10代のうちに漫画に出てくるみたいな恋愛キュンキュンに触れていたら、少女漫画やあいみょんなど多くの人に支持されているものに共感出来たんじゃないか?と、思う訳です。私の場合、そういうものを見聞きしても「そういう人もいるって噂には聞いたことがある」という感覚なので…。

そんなわけで、ピュアなラブソングが流れてくるたびに「共学で恋愛をしていたらこういう気持ちになったんだろうか」「だとしたら今頃、この曲を「懐かしい」と思うのだろうか」と、“空想の空想の予想”のようなことを試みては「やっぱ今からじゃよくわからないな」という結論に落ち着いています。

今も、人生における恋愛の重要度がかなり低いんですが、それも、一番多感な時期に恋愛をインストールしなかったからなんじゃないかと…。(想像です)

でも、学外に恋愛を求めなかったあたり、恋愛へのモチベーションが低かったんでしょうし、そのようにして他校の文化祭へ行く人を「チャラい」と感じていたので、共学だったとしても恋愛と無縁だった可能性が高いです。(空想です)

夏の終わりの ひまわり

ちなみに夫に「共学は違かったでしょ?やっぱりときめきがあったでしょ?」と訊ねたら「共学でも恋愛ができる人とそうでない人がいる」と言われました。
真っ当な意見だと思います。


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空想で補う人


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