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「当然の理解」とは?

本、全体の微調整や修正など…。

自分は当事者なので「こんな感じにしたいです!ドヤ」という感じでラフとか提案を作るんだけど、当然、当事者じゃない読者にも伝わるようにしないといけない。このあんばいが結構難しくて、ずっとうんうん言っている。
う〜ん。

本や障害の話をする時いつも「伝えたい」「理解を促したい」って、具体的にどういうことなんだろう。と考えてしまう。

例えば、私はすごく背が低いんだけど、背が低いから届かない所がある、背が低いから見えない場所があるというのを、責められた事はないんですよね。そして私自身も「(高いところにあるものを)届かないから取ってほしい」とか言える。
それは「背が低いと届かない場所がある」というのを誰でも理解してるから、そう在れているんだと思う。
するとやっぱり、精神障害についても、「その症状があると何に困るかを知ってもらう」というのが、理想的な“理解”の形になるのかな。

ただ、私は精神障害(というか解離性障害)についてはあんまり理解を求めていない気がするんですよね…。否定したり克服を促したりされなければそれで良いというか。
でもそれも「本当はわかって欲しいけど諦めてるだけ」と言われればその通りな気もする。
まあ、「当事者はこう思っています!」なんてのはなくて、個人個人で望む理解の形は違いますよ、って事なんだけど、それはわかるんだけど、本を…作っているので…なんか、こう、良い着地点はどこかな、って…。

以上、いい感じのオチも結論もなく、作業に戻ります。
今日のおやつはゴーフルでした。私は、ゴーフルと鯛焼きがお菓子の中で一番好きです!


今日の絵

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