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記憶の補完

今日も漫画。

自分の経験談とか考えたことを漫画に描いていると、記憶って他者と共有する事で意味が変わったり強化されたりするのだなぁとよく感じる。というのも、まんがなどで他者に語るエピソードが増えるにつれ、語っていないエピソードとの違いがあからさまになっていくからだ。

小学校の頃、ピアノを習っていた。
近所にピアノ教室があって、割と長く通っていたし、年に一回くらいの発表会にも参加していたのだが、いつ頃何を弾いていたのかとか、何年習っていかというのをほとんど思い出せない。
マンツーマンの指導で、同じ教室に通う友達がいたわけでもなく、その後、ピアノのスキルを活かす機会も、ピアノの話をする機会もなかったので、自然と記憶が遠のいたのだと思う。

楽器は他にも色々やったけど、ピアノ以外はバンドを組んだり人と演奏したりした分、ピアノに比べると遥かに記憶の濃度が濃い。

ただ、振り返る機会がなかったぶん、ピアノの思い出は何となく柔らかな記憶として鮮度を保っている。鮮度を保ったまま、濃度だけ薄くなっているので、すごくリアルな夢みたいでもあり、思い出すとなんとなく優しい気持ちになれるのだ。不思議。

いわば「可もなく不可もない思い出」ってことなんだけど「不可がない」というのが、案外?結構?…かなり、大事なんだろう。
今でも、ピアノが入った曲を聴くとすこしほっとする。
私を作る大きな屋台骨…ではない、けれども血肉になっているもの。よく見えないけど確実にそこにあった、排除する必要のない記憶。
それを持っているという、安心感。

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