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その箱に入れるのは誰

こういうご時世だからなのか、ネットでもリアルでも、意見が自分と全く違う人に出会う事が増えた。自分が、それに共感出来ないなと思う時私はいつも、なんでそういう思考に至るのか?というのを考える。
そういう時一番最初に考えてしまうのは「○○な人は、だいたい××なんだろうな」ということだ。
例えば、出身地だったり、職業だったり、いろいろ。わかりやすい例でいえば「女って噂話が好きなもんだよ」「ああいう職種は大体××な人ばっかだよね」なんていう感じだ。

本当のことを言えば、そうして決めつけることが一番早いし納得することができる。それは大体、経験則から来ているからだ。自分の見聞きしている範囲から結論を出せば、そりゃ納得できる。ただ、可能な限りそれをやりたくないなと思っている。

そういうのは、人といる時にも起こりがちで「○○な人って何でそう思うのかなあ」なんて言うと「そりゃ××だからでしょ」と結論を出して話を終わらせそうになる場面がよくある。
なるべく「いや、そうじゃない人もいるよね」と言うようにしているんだけど、あんまり面白いことにはならない。大抵「ま、そうだけど、皆がそうだと言ってるわけではなくてさ〜…」という感じになり、場の空気を少し、壊す。

それに対して内心、気まずい気持ちはあるんだけど、その場でなんとなく「だよね〜」なんて言って、「○○な人は、だいたい××」説を強力にする事になるべく加担したくないのだ。
それは時に、その決めつけに当てはまらない人を異端とみなして排除することになると思うし、実際「○○な人は、だいたい××」に当てはまる人の詳細を無視することにもなると考えている。
しかし!その結果「まあ人それぞれだよね」なんて言って考えるのをやめようと思ってしまうことも多く…知らないことに思いを馳せるのは難しい。
まあ、知らないことは知らないんだから、当然かあ。

自分と違う人、自分の発想や経験が及ばない背景というのは無限にあるというのをなるべく忘れたくない。「人それぞれ」と言って、他者と自分をしれっと分断したくもない。なるべく相手と話したい。
それは全然簡単なことではないし、これまでだってきっと、相手と静かに疎遠になる、という、見えない形で失敗しているだろう。単純に、そこまで考えている余裕がないことだってよくある。
ただ、それを許してしまうのは先述したように他者と自分を分ける行為であるし、自分が世界を知る機会を逸することにもつながっているはず。
なるべく、でもいい。心がけだけでもいい。不用意な分断で、世界に目を瞑りたくない。


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