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視界百景

人と話していてなんとなく「まあ、そこそことはいえ元気ならよかった」と言ったら「元気じゃなくても、たまに笑ったり出来ることがあれば、まあね」と返される。
自分は「前向きじゃなくてもいい」みたいな事をよく言っているのに、それでも、元気を強要するような事をさらっと言ってしまうもんなんだな。これはほとんど、相手を想ってというより自分が安心したいから言った気がするな、と思った。

最近読んだ本の中でかなりきつい状況の人が「前には希望がないし上向きにはなれない。下を向いてゲームやってるとその時は楽しいからずっと下向いてる」と話す一説があって、切ないような納得するような、心が乱れるような、すごい気持ちになった。
そういう状況って、ある。

連想的にトモフスキーの「うしろむきでOK!」という曲にある「僕にはうしろ向きって自覚症状がない 長い目でみたら本当はこっちが前かもよ」というのも一緒に思い出して、こっちは少しクスっとなる。
そうだな。いい言葉だな。

(トモフ若いな〜!)

同じ昔話ばかりする人に「その話聞いた!」って思う事もあったけど、楽しい話なら、何度も話したくなるような思い出があるのは幸せなことだよな、と最近感じるようになった。
今が気に入ってないから昔の話ばかりする、というケースもあるだろうけども、何にもコメントしたくない事もあるわけだし、人生は…。

気紛らわしでも根拠のない励ましでもなく、生きてれば立派、もう立ってるだけで立派だよ。誰も彼も!
そこからどっち向いて何するか、向上心を持つか、みたいなのって、その次の話で、やれる状況になったらやればいい。「立ってるだけで立派」みたいな人を嗤う権利なんか誰にもどこにもないんだわ。
そしてちょっと自分に余裕が出たとき「立つだけで精一杯の人」に、少し、手を差し出せたらさらにいいね。


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