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気持ちの肺活量

■感情の話
カウンセリング。
最近思ったいろんな事や、それについて「あんなふうに言って“しまった”」「思って“しまった”」…みたいな話をしたら「感情がわかってきたんですね!」と言われてびっくりした。が、それについて夫に話したところ「俺も先生と同じ意見だわ」と返され、さらにびっくりした。

そこまで頑なに気持ちを閉じているつもりはないけど、感情の発露について蛇口を調節するようにいつも操作しているという自覚はある。
たぶん蛇口を捻る為の体力を、いちいち消耗している。

うちのバラの鉢です
我が家のバラ。順調です

■たのしい話
コロナ禍にハマり三年ほど経過…ようやく、ヒプノシスマイクのライブに行けた。ずーっと家の中で気持ちをぐつぐつ煮えたぎらせていたので、念願叶って喜びが大爆発。
遠かったので演者さんたちは小さ〜くしか見えなかったけど、心の中はワイドビジョン。後日いろんなサイトにアップされてたライブレポートは全然見ていない。自分が見たリアル会場の熱気を…まだ咀嚼していたいから…もぐもぐ…。

一人での写真しかないが…!

 ■かなしい話
外出先で、岸田首相の襲撃事件の速報を見る。帰ってから詳細を見て、なんだかすごく悲しくなってしまった。
岸田さんは無事だったようで良かったけど、安倍さんの事件の時もこれと同じような気持ちになった。同情ではなくて、事件の背景に個人的な事情とは別の大きな問題背景が見えると、さめざめと悲しくなってしまうのだ。

背景の重さと、それと同じ社会に自分が生きていることへの不安感、緊張感、危機感、「自分はそこについて何か考えてきただろうか?」という後ろめたさとか…が、ごちゃごちゃになった結果の「悲しい」なんだと思う。

夜の木蓮

■戻って、感情の話
たぶん、喜怒哀楽のバランスが悪い。
「喜」「楽」はともかく、「哀」の大きさに対して「怒」がずいぶん小さい気がする。無いわけじゃないけど、好きじゃないから避けて、無理やり「喜」「哀」「楽」のいずれかに変形させている感覚がある。

心を大事に…と、他人には思うけど自分にはあんまり思えない。どう操作すればどうなるかなんとなくわかってるから、そのようにしてしまう。
しかし時々それがうまくいかずに、どこかでバグを起こす。
破裂しそうな感情なんであれば、バグの方が正しいんだろう。


今日の絵

砂時計
変わり目かな

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