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働き方:対価と贈与のポートフォリオ

先日、「贈与」に関するセッションを聞きながら、最近の自分の働き方を振り返っていた。

書籍「世界は贈与でできている」も読んで、考えを深めている。

今の自分の働き方について、「対価」と「贈与」をどうバランスしながらポートフォリオを組んでいるのか、整理してみたい。

新卒~社会人15年目まで

新卒として初めて社会に出た時、外資系の大企業に入社し、馬車馬のように働いた。終電やタクシー帰りが当たり前、金曜日は始発まで、クライアントとの月例MTGの前日はカプセルホテルで仮眠。体重が5㎏減って、フェードアウトした。貯金が猛烈に溜まった。

2社目のソーシャルベンチャー(今の言葉で言うとまさに)では、残業を22時までに抑え、夜は英語の勉強に費やした。休日は仕事はせずに、仕事の関連本のインプットや勉強に時間を割いた。1社目と同じ水準の給料は、自分にとっては十分だった。

3団体目、初めてのNPO職員。有期雇用契約(3ヶ月、6ヶ月、1年と徐々に延びる)と言えども、サラリーが毎月振り込まれる。給与明細見て、前職の3分の1になった金額に愕然としながら、容赦ない住民税を呪いながら、赤字スレスレの生活だった。仕事に使命を感じ、没頭して働いた。

4団体目、有償ボランティア契約という、毎月給与は入るけれど、ボランティア?としてがっつり働く。途上国に赴任したので、朝から晩までその国に浸り、学び、遊び、仕事した。プロジェクトを成功させることに全力を費やし、時間が出来れば仕事し、その国を味わい、それが毎日幸せだった。

5団体目、日本で週3日のパート勤務。時給制だったので納税できないくらいの年収水準。並行して、プロボノとして無償でソーシャルベンチャーを支援し始めた。お金を払ってでもソーシャルベンチャーに関わらせてもらうことで、起業家のスタンスに刺激を受け、多くを学んだ。プロボノを通じて社会へ貢献する。毎週10時間くらいはプロボノに費やした。

6団体目、プロボノとして関わっていた組織に週4日のフルタイムとして参画。今行っている作業が、給料をもらっている仕事なのか、自主的なプロボノなのか、いちおう切り分けて仕事するようになる。仕事はきっちりやる。プロボノは一所懸命やる。給料を受け取る以上の義務は果たすけれど、プロボノの働き方と給与をもらっている仕事のパフォーマンスに、大きな違いがあるわけでない。

徐々に副業を始め、他の組織からも業務委託でお仕事をもらうパラレルワーカーに。月極のアドバイザー契約や、プロジェクト毎の業務委託など、形態は様々。並行して、様々なNPOやソーシャルベンチャーにプロボノとして関わる。

以上の経験を経て、フリーランスとして独立。
社会に出てから15年が経過していた。

フリーランスとしての働き方

フリーランスのお仕事は、だいたい業務委託か月極契約になり、毎日複数の仕事を進めていく。色んなチームで、個人で、クライアントと、楽しく働いている。

仕事になる前の種まきステージ、受注待ちの案件もいくつかある。自主的なプロジェクトもある。スキルアップを目指して、もしくは趣味で、色んな勉強やセミナーやカンファレンスに参加する。並行して、プロボノや社会人インターンもする。無償の仕事と有償の仕事。金額の大きい仕事と小さい仕事。どれもパフォーマンスに大きな差はない(はず)。

元々やりたい仕事を中心にキャリアを選んできたけれど、フリーランスになってから、「やりたい!人生の時間を費やす価値がある!」と思った仕事しか手掛けないようになった。報酬を受け取っているので、もちろん対価があるワケですが、「なぜこの仕事をやるのか?」は、それだけでは説明がつかない部分も多い。つい、対価をはみ出たところまで手を伸ばす。

そして、プロボノや社会人インターンを、なぜ私は好んで続けるのか?もはや、相手からの感謝がほしいわけでも、学びやスキルアップのためだけでもない。それでも、自分の働き方の一部になっている。

等価交換か贈与か

今の社会は資本主義である。働いて、対価をもらう。対価は概ね貨幣(金銭)です。

「等価交換経済」

「貨幣経済」

「贈与経済」

正社員であれば、毎月定められた時間に勤務を行い、定められた給与を受け取る。残業すれば、残業手当を追加で受け取る。業績が良い場合や仕事のパフォーマンスが秀でていた場合には、賞与を追加で受け取る。
会社へ奉仕した分を、金銭的な対価で受け取る。

フリーランスであれば、契約に従ってパフォーマンスを出して、報酬という金銭的な対価を受け取る。プロジェクト単位や月極などあるけれど、XXに対してXX円と予め決めた報酬を受け取る。

「等価交換経済」であり、「貨幣経済」である。

非金銭的報酬/物々交換という経済

等価で受け取るものが、貨幣でない場合もある。

会社の中では、「金銭報酬」に対して「非金銭的報酬」と呼ばれることもある。
例えば、社内で営業成績1位だった場合には「表彰」という栄誉を与えられる、好きな部署へ移動できる、グループ会社のリゾート施設に宿泊できる等、賞与という金銭ではない方法で、営業社員の奉仕に報いるやり方である。

最近、フリーランスである私の働き方では、「物々交換」という交渉が成り立つようになってきた。
「この仕事をちょっと手伝うから、今度、あの件について教えてね」
「宿泊させてもらう変わりに、この仕事を手伝います」

飲食店に時折りある、「皿洗い30分で定食無料」というサービスも同じ。貨幣ではなく、労働という対価によって支払う。

もしボランティアを、「感謝をもらうため」と捉えれば、等価交換になる。
自分のスキルアップや機会獲得・学びの場として捉えれば、投資という等価交換になる。

贈与という働き方

贈与とは
自分の財産を無償で相手方に贈るという意思表示をして、相手方がこれを承諾することによって成立する、一種の契約行為。

贈与とは、自分の持っているものを、無償で相手に送る行為。見返りを期待した時点で、それは対価交換になるので贈与ではない。感謝も相手の行動も期待せず、ただ差し出す。
差し出したものは、水の流れに乗って相手方へ流れていき、私の手元には何も戻って来ない。それが贈与。

多くの医師や弁護士は、対価として報酬を受け取っているけれど、それ以上に志を持って仕事にあたっている。プロフェッショナルとして、目の前の困っている人を救おうと全力を尽くす。感謝や報酬がほしいというよりは、その仕事に使命を感じているからだろう。

多くの研究者も、好奇心だけでなく、使命感に駆られて研究を推し進める。その研究が人類の更なる発展につながることを願って。

私がこのソーシャル分野で仕事をするのは、加えてプロボノや社会人インターンをするのは、私にとっての贈与なのかも知れない。「恩送り」とも言う。自分が持っていて、余っているものを、社会に貢献していきたいと思っている。
仕事として担っている部分もあるので、相応の金銭的報酬は得るけれど、非金銭的報酬で等価交換する場合もあるけれど、贈与として担う部分も多い。

私には子どもがいない。その分時間がある。以前どこかの記事で、「子どもがいる人は次世代を育てる。子どもがいない人は社会を育てる。両方必要」という文章を読んで、腹落ちした。「そうか、自分の子どもを育てることがなくても、この社会を育てるために自分の時間を使えば良いのね。私の生き方はそうかも知れない」

ある人は次世代を育てる方法で、社会へ贈与する。
私は働き方で、社会へ贈与する。

相手が社会だと贈与が成り立たないかも知れないけど、それに気づいた人(見つけた人)がいたら、”社会への贈与”は成立しそうです。

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働き方において、貨幣経済として等価交換の報酬を受け取っていく。
時には、等価交換だけれども、双方に持っているリソースを物々交換する。
そして、社会や時代に贈与することもある。

ポートフォリオを上手く組んで、社会と関り、自分の心のバランスを見ながら、働き方を更新し続けていく。
そんな働き方が、今楽しいです。

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