『虎に翼』があまりに良すぎて走り書き。

現在NHKで放送中の朝ドラ『虎に翼』に夢中だ。あまりにも良い。あまりにも良くて録画機能付きのテレビを買った。仕事や都合で見逃したくなかったからだ。元々家にテレビはあったけれども録画機能のついていないテレビだった。この10年テレビを見るのは1クールに1本のドラマくらい。それもTVerで追っかけで観ることも多かったのでほぼ活躍する機会がなかった。それがどうしても見逃したくなくて録画機能付きのテレビを買った。で、本日家にテレビが届いた。外付けハードディスクと共に。

『虎に翼』、舞台は昭和6年。日本史上初めて女性弁護士になった三淵嘉子さんをモデルにしたドラマ。これが本当にいい。ようやく、やっと、女性が主人公のドラマが登場したように思えた。フィクション故の、あえてないことにして描かずにいることやドラマ文法のお約束を使わずにまっとうに生身の人間の生き方や肉体のことを描く。故に、ひとりひとり違った苦悩の中に生きていることを鮮明に映し出す。

例えば、僕が見れていない回なのだが、主人公寅子は生理痛がひどく数日寝込む。女性によって寝込む人がいることは知っているのにフィクションの中の女性はいつ何時も活発に行動できている(ことが多いように思う)。こういう肉体の不思議は生理ではなくても、例えば病人や数日食事を取っていない主人公がその状態で敵に勝つなどの物語にも言える。フィクションだから、カタルシスに軸を置くことを否定しているわけではないが、どこか絵空事として楽しみきってしまうのは、生身の肉体と乖離して観ているからかもしれない。また、寅子の同窓のよねの過去を他の人が語ろうとするのを寅子たちが止める場面がある。回想などでドラマの文法としてよく使用される〝これはドラマだから〟を立ち止まらせる。他者の物語は勝手に語ってはいけないのだ。そこに、日常の中で鵜呑みにしてきたモヤモヤに「はて?」と視聴者を立ち止まらせる力が宿る。今後のドラマやフィクションが『虎に翼』以前と以降で変わるくらいの脚本の力を感じる。

まだ3週目。他にも良すぎると思う描き方はいくつもある。弁護士を目指す寅子たちだが、それぞれに事情を抱える。姉が親によって女郎屋に売られ、自分も売られるのを避けるために女を捨てて男装してカフェー(現在のカフェではなく女給が男性に接待する店)のホールで働くよね。男性客が「女は楽に稼げていいな」ということに「楽なものか!」と啖呵を切る。僕自身、ストリップ劇場で冗談を装って女性に性的嫌がらせを言う男性に、冗談を装いその場を取り繕ろうとする踊り子さんを何度も見てきた。多くの男性が、女性を反撃しない可愛いものとして舐めてきているのを見てきている。そのしんどさを、同じ女性もが〝女にも非がある〟〝男はそういうもの仕方がない〟と言う人がいることも知っている。それが、嫌なんだ。こういう仕事のしんどさを「楽なものか!」と啖呵を切ってくれたことが僕はとてもありがたかった。 書くと切りがない。

ただ、『虎に翼』は分断を呼ぼうとしない。弁護士を目指すその女性たち、そうではない寅子の母や嫁いできた花江を分断させることがない。よねに過去や思いがあるように、名家の涼子にはその家に産まれた女らしさを強いられる苦しさがある。寅子の母にも母の歴史がある。どの女性にもそれぞれの事情がある。その大小を比較せず、自分の苦しさを矛に女性同士がいがみ合うような構造を作ろうとしない。全て受け止めきれないときに無理に共感を育もうとしない。共感出来なくても見放さない。その良さがある。自分自身を一人の人間であったことを思い出させてくれる。そして、そのことは、他人も漏れなく一人の人間であることに気付かさせてくれる。ドラマが、絵空事が、現実に生きる人を突き動かす力を感じる。見ていて自分自身も、「はて?」と立ち止まり、怒ることを思い出させてくれる力がある。そういうドラマでたまらなく良い。

※「はて?」は寅子の口癖。あと、寅子の兄直道のコメディっぷりがめりゃくちゃいい。顔、動きともに最高。

※この文章は17日に書いたものなんだけど、18日の直道さんカッコよかったですね。上川周作さんめちゃくちゃ良いですね。めちゃくちゃ いい。


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