ああ、大道芸 寅さんを生んだ世界(六)

第六章 粋だネー、関東の啖呵売

 江戸時代になると香具師の職業も多様化し、七色唐辛子、ガマの油、アメ売りなどがそれぞれの売る商品に合わせ独特の口上をつけて売るようになってゆきました。貨幣経済が浸透してくると人の注目をより集めるために口上にも工夫が必要となります。語呂合わせのよいしり取りや数え歌のように順序に妙をえたもの、下世話な下ネタ的のものなどが作られました。

また、当時流行の地口や芝居の口上の一部を取り入れたコンパクトな江戸弁で啖呵として創り、うまく商品の販売に繋げるものが出て来ました。ここまで進化が進むと単なる物売りの口上でなくひとつの芸としての領域に入って来きます。

テレビのCMも最初はそうでした。放送が始まった頃のCMは、商品をブラウン管一杯に表示して機能を正確に説明するものが多かったようです。それが時と共に進化してノリのよいCMソング、さりげなく美女が手にして微笑むものから、最近は暗示的にイメージ感覚のみを表現しているため、感度の鈍い者には何のCMか分からないものまで進化しています。視聴者の感度も問われる時代です。

話を戻して、江戸の町なかで香具師は庶民の興を得、その波紋は静謐な湖面に石を投じるがごとく周囲の関八州にも広まって行きました。しかし、江戸へ行くことが容易でなかった農村部で、それを身近に感じさせてくれるのは村の鎮守で行われる祭礼でした。そこで旅回りの芸人が神社の境内で興行する田舎芝居。それは当時、江戸で最新の人気演目をダイジェストで見せてくれました。それに魅了されて篤志家を通じて衣装や小道具を整え、受継がれてきた芝居や踊りが今日、各地で地域の無形文化財として指定されています。

「あれが今、江戸で流行りの団十郎の○○か」、それへの思い、憧れは幾多の質素倹約の縛りをアメのごとく融かし人々に甘い夢を与え、戦乱を超えて残ってきたものです。

このような感動は狭い芝居小屋に入れない人、小屋の周辺に集まっていた人にも広まったようです。それが啖呵売で、祭りの路上で最も身近に江戸の香りを伝えてくれる、ポピュラーなものでした。横笛、太鼓の囃子に載せての皿廻し、猿廻しも人気でしたが啖呵売は、抑揚の付いた節に載せて江戸っ子の気風よさを示しました。それは当時、奢侈を戒めた寺の説法や触れに慣れた耳には妖しげであるが故に魅了する異質なもの、を感じさせるものでした。

この歯切れのよい啖呵を添えることで一つ一つの商品に付加価値を付けました。ここに江戸弁による粋でいなせな関東流啖呵売の源流を見ることができます。


第七章へ続く

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