22.江戸~明治期の大道芸を復興に向け

  日本人は、小柄で身体能力はないが、手先が器用・勤勉だとかねて言われていました。その例として近世では繊細で精密な織物、蒔絵、陶芸、彫金等を生み、近代でも製鉄、造船、電機、自動車などの産業を支え経済大国となりました。そこには、経験と勤勉に支えられた高度な技能や熟練した職人による職人芸があり多くの伝統工芸品や精密な機械部品を造って来ました。同じようなことは芸能や祭祀の分野にも見られ、ハード面では能面や祭りの山車・屋台などに質の高い製作技法が残され、ソフト面を見ると能・歌舞伎・踊りなどでは各家元の流派として多くの技芸が残されています。しかし、私がテーマとしている江戸時代の大道芸については、その実態が良く分かっていません。その要因は大きく3つあります。第一は苦労して習得した技芸は、家や流派に門外不出・奥技秘伝として限られた者の間で口伝で教えるものが通例で、大道芸にはそのような流派ありませんでした。第二は大道芸に地域性、宗教性が薄く伝承する機運がなく、大半が大衆芸能として時代の移ろいと共に演じられなくなったという点です。第三は非人(注1)の芸は低俗で下品な物、後世に残し伝承する価値はないとした風潮です。しかし喝采をあびた技芸から、いくら底辺の身分であってもその仕事に対する熱意と技芸に自信を持った職人肌の大道芸人は江戸時代にもいたはずです。
  これらの技芸を現代に復活させるにはわずかに残された資料と明治期に隆盛を見た技芸を遡ることで推測することしかできません。しかし、たとえ復活させても、当時のスタイルのままでは、現代流行の音響、ダイナミックなパフォーマンスを見慣れた若者には退屈な見世物になるでしょう。そこで必要なものは普遍的な価値を持つトリッキーでジーミックな当時の「わざ」の掘起こしと、現代人にも共感できるような脚本の書換えが必要と考えます。近年、今まで製造法がわからなかった陶芸や刀剣の製造過程がわかってきました。これは、ハードとしての茶碗や日本刀が残ており、それを解析する技術とAIの進歩があったからこそです。ソフト面でも踊念仏の絵図から踊りの様子がわかる場合もあります。しかし、視覚に表せない仕組みや「わざ」はデータとして記録できないためAIでの再現は難しいと思います。これが難しければ、かつて流行した大道芸はその存在すらも否定され、まさに絶滅の瀬戸際と思います。
  この「わざ」を掘起こすことで、若い人に日本文化の持つ技芸への誇りと外国への観光立国へのアピールの一つになればと思い、出来ることをやっております。
  (注1):「士農工商」以下の身分 
さらに興味のある方  Twitter:闇太郎、 YouTube:夢宮闇太郎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?