32.失われた和風大道芸の復活② (スキルとキャリアのみか)

 金メダリストの内村航平選手が引退時の会見で「美しくなれば体操は曲芸と変わらない」と言いました。私は言葉の一部を切り取って批判する訳でなく、彼の言葉を肯定的受止めますが、大道芸を語る者としてこの場合の「曲芸」を考えてみました。彼のいう体操とは、究極の美とスキルを追求するため、体力の限界を出し尽くし、厳しい自己犠牲が求められるとの趣旨と思います。それと対比して「曲芸」とは、アマで楽しみながらするものや客受けするスキルを観せて収入を得る演技と思います。
 そこでは、体操のように体力の限界を常の使っていたらボロボロになるので客受けするスキルを安定的に観せることが課題でしょう。この興行面を重要視した曲芸が一般化され、自治体が支援する地域活性化のイベントで大道芸を公募する際も、スキル、キャラクタ、キャリアのみが審査の対象のようです。しかしこれだけでは民間の芸能事務所の審査であり、銭を取れて受ける芸人選びになり、究極の美や地域創生の戦略的観点など多様な視点がなくなります。結果として次回のイベントも、報酬コストが高い芸人、事務所の繋がりが深まります。税金を使い地域創生を目的とするからには、行政は芸能関係者の審査を丸投げすることなく、地域の風土や慣習を考慮した長期的目線に立った応募審査が重要と思います。それでは、風土を考慮した長期的目線とは何かを次に説明します。

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