6. 今に役立つ HOW・TO 言い伝え「守破離と風姿花伝」

 日本の芸能は、古代の祈りや奈良時代の散楽に起源を持ち時代を経る毎に重層、変化を繰返し今日に至っています。そこには、今の大道芸にも通用する芸能理論も生み出されました。 ここでは、能楽を生み出した世阿弥と江戸に茶道を広めた川上不白を紹介します。
川上不白*1は、「不白筆記」の中で、「守破離は、守って型に着き、破って型へ出て、離れて型を生む」と言っています。含蓄のある言葉なので、説明すると型とは、芸のすがた、かたちを指して、その究極を述べたことです。
守:師ハ弟子ニ型ヲ伝エ正シク守ラセ候。
破:弟子ハ型ヲ守リ習尽シ、能成候ヘバ、身合セ破ルベシ。
離:両ヲ合ワセ離レテ見レバ、両ヲ守ル事コレ成。
「守」は分かると思いますが、「破」は稽古を重ね型を身に着けるだけではダメ。工夫し自分に合ったものに破り切拓き自在に操ると言うことです。
「離」は世阿弥*2の説いた「離見の見(りけんのけん)」です。博識の不白は芸能、とりわけ能楽に精通していました。世阿弥は「風姿花伝」で、能を拓いた者は、慢心に陥る。慢心した者を戒める師はいない。これを戒めるためには、自己の姿を左右前後から良く見なければならぬ。見所同見(けんしょどうけん)と言って、見所(客席)より観客の目線で自己を見直せ。さすれば、自己の芸が如何ほどのものかわかると言うことです。
今はビデオがあるから再生すれば?とは違うようです。再生しても慢心していれば何も見えない。客観的に見る目、目前心後(もくぜんしんご)と言うことも世阿弥は言っています。
このことを踏まえ、不白はこの「離」を持って「守破離」を唱えたと思います。 個人技芸の強かった猿楽を能楽に纏めた世阿弥、茶道の門弟組織をハイカルチャーに育てた不白の言葉は、狭い実績と虚ろいやすいファンの熱狂に慢心する現代の大道芸人への箴言かもしれません。
 
*1川上不白(かわかみふはく):別号:宗雪。享保3年(1719年)生、紀伊新宮藩水野家家臣、15才で京の表千家の内弟子となる。千家7代家元、如心斎宗左に認められ茶事はもとより、稽古法、門弟組織を学び、32才で茶道奥義を伝授され江戸へ下向、老中田沼意次に既知を得、諸大名、旗本、豪商の多くを集め江戸千家を創設、江戸に茶の湯の文化を広めた。 俳諧、書道、作陶、武芸にも精通し、当代一の文化人として重きをなした。89才没
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