41.魔剣開運透視術③

(5)マジな易学を離れて、娯楽としての大道占い
 お話してきたように日本には古くから憑き物、お祓い、厄落しが身近のものであり、巫女の祈祷などスピリチュアル(霊的)なものへの信仰が根強くありました。文明開化された明治以降でもこの傾向は強く天理教の教祖、中山みき、大本教の出口なお(注2)は、その霊的なカリスマ性もあって、その信徒数は、右肩上がりに増し巨大組織となっていた時代です。これを背景に符牒を使ったスピリチュアルな辻占いは人気がありました。一方、このような憑き物や占いを否定する見方もありました。高島嘉右衛門(注3)が四柱推命を元に作られた高島易断では、「占いは売らない、易学は、学問であり、人を救う道である」とし、易は真摯に四柱推命を探求し、人を迷いから救うものである。詐欺紛いのいかさまでの「人寄せ」はご法度とし、常に姿勢を正し、緊張感をもってお客を迎え接することを旨としました。
 米騒動、関東大震災、昭和恐慌、日中戦争と時代が暗くなるにつれ、私はどうなるのだろうの将来への不安から、大道の辻占いも気軽におみくじを配る娯楽的なものから、真摯な易が支持されるようになりました。真摯な道から外れ享楽的な芸能で人を集めることを禁止することは、その前にもありました。浄土真宗の寺で読経の後の法話で絵解きと言われる掛軸の絵を見せながら僧侶が語り言葉で法話を語る説教節がありました。その歴史は、古く14世紀に遡る古典芸能ですが、長らく中断していたこの芸を行なったことから、本山から破門されたという話です。理由は神聖な法話の場で信者に媚びを売るような大衆芸を行なったということです。易学の話も説教節の話も大道芸は、低俗的で大衆の遊興心を煽り品位を下げるとの理由だったようです。今では、全くみることの出来なくなった透視術を、人目を欺く詐欺的行為としたら、マジックはすべて詐欺になります。大衆娯楽の価値を認めて見直すと符牒の技芸などに意外とDX(デジタルフォーメーション)のヒントがあるかもしれませんね
(注1)福来友吉:1869生―1952没、岐阜県高山市出身、心理学者、東京帝国大学哲学科卒、高野山大学教授、明治43年(1910年)念写実験を発表、後に念写(千里眼)事件となる。大正3年(1914年)東大追放。これにより彼の主張は否定されましたが、真言宗など一部で探求が続けられた。世界的にもテレパシーや人体のバイオリズムの研究は続けられ、1970代の冷戦時代、米国のCIAが、ソ連の軍事基地の倉庫を偵察衛星で撮り、格納されているミサイルを透視するため、超能力者を集めたプロジェクトチームがあった話は有名です。迷信に満ちた従来の透視を学術的な方法論で証明しようと福来博士の執念は今も高野山に残っています。 
(注2)出口なお:1837生―1918没、京都・福知山出身、幼い頃より霊的な才能を見せたという。56才の時、神憑りが憑いたと称し、大本教を開く。彼女の死後、娘婿の出口仁三郎の活躍もあり、巨大教団になった。信徒に改革派若手将校が多かった等により、昭和10年、不敬罪等により特高警察の大弾圧を受ける。戦後、新興宗教の布教の手本となった教団の開祖。
(注3)高島嘉右衛門(たかしまかえもん):1832生~1914没、材木商として頭角を現わす。安政の大地震を予知して材木を買占め財をなす。貿易の重要性を予知して横浜の開港、埋立てに尽力、横浜開港の父と言われ、市の中心部に「高島町」の名を残し顕彰されている。一方、易学を集大成、高島易断とし、易聖ともよばれ、政財界人の信頼も厚かった。伊藤博文のハルピン行きの卦を立てながら引き止められなかったのを悔やんでいたという。  完


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