31.失われた和風大道芸の復活① (すたれしものは、消えるのみ)

昭和30年頃までの社会、テレビ・映画のないこの時代、ラジオで聴く講談、浪曲は、まさにエンターテーメントの華でした。祭礼でセリフにフシやコブシをつける語りの芸である辻講釈(大道芸)なども名調子と喜ばれていました。日本語特有の抑揚を付けた語り言葉はその後、退屈でつまらないとされ話し言葉に置き換わりました。小沢昭一氏は「大衆芸能は時代とともにある。その時代に共感を与えない芸をあえて残そうとは思わない」といっています。流行で成立つ大衆芸能では一部の人が感傷的ノスタルジアから、こんな芸があったと懐かしがっても、他の多くの人にはつまらない、ダサイと見られればすたれ消えてゆくは道理でしょう。 しかし、移ろいやすい大衆は、時を経て捨て去ったものを見直すことがありますが、復元できるものとできないものがあります。近年、リバースエンジニアリングの研究が進み製造法がわからなくなった古い陶器や刀剣の成分を調べ製造法がわかる場合があります。これは、多くハードの場合でソフトになるとその復元は難しいものです。例えば、古い祝詞の資料が発見されても、そのフシまわしや振付は、同様の祝詞が同時代に継承されていないと再現は難しいからです。寄席の色物・図案からわかる軽業、手妻、綾取りなどは比較的容易ですが、奇術と語り言葉を組み合わせた芸の再現は難しいのです。古い演目の中には、工夫を凝らした絡繰り(からくり;仕掛け)がありますがこれらはどうなるのでしょうか。
アーノンクール(注1)は、古すぎて顧みられなかったルネサンス・バロック期の楽曲を当時の楽器で演奏し、現代人にも感銘を与え評価を得ました。そして、「古典をきちんと学び、アプローチすれば、現代の人にも往時の人が受けた感動を伝えることができる」としました。これはクラッシクだけでなく和の大道芸にも通じることと思います。短絡的に集客と収益のみにこだわり大音響を響かせジャグリングやディアボロの一発芸のみが大道芸ではないはずです。今にも忘れ去れようとしている100年以上も前の大道芸を掘起こし、現代でも共感を呼べるものに再生できればと思います。
 具体的には江戸時代の乞胸十二種に、殺陣・忍法・花魁・踊念仏・説教節・神楽・東西屋の所作を加え、現代の人に感動を与え、かつ地方創生に役立てればと思います。
(注1)ニコラウス・アーノンクール:1929生-2016没、オーストリア。ベルリンフィル、ウィーンフィル等で指揮、チェリスト、古楽演奏家、エラスムス賞、京都賞(芸術部門)受賞

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