ああ、大道芸 寅さんを生んだ世界(五)

第五章 何分、古い話で細かなことは分ネンデー

 さて、寅さんが吟じていた啖呵売はいつ頃誕生したのでしょうか。寺社などで人の集まり市が立つ状態を高市(たかまち)といい、高市の成立と共に香具師が生まれたと思われます。

高市の歴史は古く「あまの高市」という名が日本書紀あります。この頃、つまり奈良時代以前より香具師は存在していたことになりますが、その詳しい実態はよくわかっていません。ただ言えることは初期の段階では、物を売るためには人の注意を引かなければなりません。そのためには大きな声を出すことだったようです。はじめは、単に「安いよ安い」とか「これは良いものだよ」と連呼するものだったようです。しかし、それでは単純過ぎて人に飽きられ、買い手がつきません。そこで考えられたことは、声に抑揚の利いた節(ふし)を付け道行く人に注意を喚起することだったようです。

室町時代になると香具師の実態が、かなりわかるような資料が残されています。「国盗り物語」に描かれる松波庄九郎(後の斎藤道三)の油売りとしての人寄せパフォーマンスをご存知の方もおられるかと思います。この時代、油売りの外、香具師が数多く売っていたものに薬草があります。薬草は少量でも高く売れ携帯が便利で利鞘が多いことがその理由です。本来、薬はそれがどの病に対してどのように服用するかがわからなければ意味がありません。当時の薬は現在と違い買った後も、薬草を刻(きざ)む、擂(す)る、煎(い)る、練(ね)るなど調合をお客自身が行っていました。当時の民衆は、大半が文盲で医者の数も少ない時代です。香具師の発する巧みな薬の効能や処方の口上が病気を治す唯一の手段であったといっても過言ではありません。それに当時は、薬事法のような厚労省の許認可もないため、どんな薬草も香具師の口先ひとつで値段がついたと考えられます。

香具師の発する口上も手練手管を駆使する巧みなものとなってゆきました。

第六章へ続く

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