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佐内的な態度で撮る写真は

朝書くといろいろと忘れてしまいそうで、ざっくり夜書いてみる。書き方を色々試しているけど、夜と朝では文章のムードが異なるかもしれない。小説家や物書きを生業としている人の話しを聞いても、夜のほうが進むという人と、朝でなければならないという人が両方いる。そのあたりにはきっと生活習慣の違いや個人差があるのだろう。

朝から5キロを走ったが間隔が開いたせいか今日はすごくきつかった。睡眠不足もあるかもしれない。とにかく走ったり動いたりしてみると、自分の体調がよく分かる。日中は電話とオンラインでのミーティングを1本づつ、その後はひたすらデータ関係の仕事をしていた。PCの前に座りっぱなしだから動ける時に動いておく必要がある。そうしないと精神的にも病んでくる。ひとりで仕事をしていて毎日決まって行くような場所も無いので、定食屋とカフェと酒場が職場みたいなもの。たまにスタジオやコーワーキングのオープンスペースも使う。職場というよりはコミュニケーションの場という方が近いか。

スマホでどんな写真でも撮れる時代に大きなカメラを持ち歩くことは、写真をとるポーズをファッションとして纏うと同時に、写真の人だという役割をラベルとして貼られることである。毎日知らない人と会う時に、あるいは何度か顔を合わせる度に「いつもカメラ持ってる人」で通ることになる。そこには僕という実存は無く、カメラだけが僕として在る。

カメラを持ち歩くのか、持ち歩かないのかについては色々と書いてきたけれど、今は持ち歩くモードであることは確かだ。それはもちろんこの日記のせい。写真を始めたばかりの頃は、持ち歩くモードが長く続いた。それはSandy Kimや佐内正史などの持ち歩く系写真家の姿を自らに投影していたからだと言える。持ち歩く系のヒーローが多い。何周かまわってまた今こんなにも重いミラーレスカメラを持ち歩いてマニュアルフォーカスで構えてバシッととる感じは、なんとなく佐内的だと思う。カメラこそペンタックス67ではないけれど、SLには同じくらいの大きさと重さと気分がある。

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