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23/1260 身内の死(個人的な手記)

 今でもやっぱり泣けてくるんだけれども、それは甘やかな痛みを伴った、暖かく深いところからそのまま出てくる涙だから、今日書こうと思う。弟のこと。1月26日は彼の命日だ。

 2020年1月22日、私はオンラインで通訳に入っていた。場所は病院だ。デバイスを通して見る高齢のその男性(ひと)は、残り少ない人生を自ら終わらせる決断をしていた。アメリカの一部の州では『尊厳死』が合法だ。90歳を超えたとは信じられないくらい矍鑠(かくしゃく)とした立ち姿。落ち着いて静かに、でもはっきりと、主治医と付き添いの家族に、彼の意志が変わらないことを伝えた。中年女性の主治医もまた穏やかに「法的な条件がすべて満たされたので」と、彼の願いを受け入れた。そして何種類かの『薬』が処方された。

 突然話が変わるが、その25年前。世界で初めて、安楽死と自殺幇助が合法化された。オーストラリアのノーザンテリトリーでのことだ。私は当時、隣州南オーストラリアのホスピスで緩和ケアを学んでいた。結局連邦政府によってわずか半年足らずのうちに、その法律は覆されたのだけれど。2022年の今では、世界各地で認められていて、きちんと手順を踏めば、もう当たり前のことになっている。かつて「尊い命を自分から絶つのは正しくない」と、なかば自動的に、すがるように主張していた私のエゴ(IFS的には『パーツ』)は今ではずいぶん静かに、かすかな声でつぶやくくらいになった。経験を重ねるにつれて、すでに医療や社会環境によって十分に引き伸ばされてきた人生最後のたった数ヶ月を、永遠に分からない正しさの物差しで測るよりも、その人が生きている日々を祝えるように、自分にできることに専念しよう、そう思うようになっていた。

 コンピュータスクリーンの向こうでは、主治医が

「もし良かったら、今までのあなたの人生について、少しシェアしてくれませんか?こうしてお会いするのも、きっと最後でしょうから」

と、提案した。光栄だった。どうぞベストな仕事ができますように。

 でも、彼の口から訥々と出てくる日本語を追っていくうち、私の気持ちは通訳の範疇を大きく超えてしまった。彼の生い立ちや戦争体験が、私の母方の家族と大きく重なった、というか、ほぼ同じだったからだ。殺人や強奪を横目で見ながら命からがら大陸から逃げ帰ってきて、立派に家庭を築いても戦争の記憶は消えない。武士の末裔として最期は美しく(という表現だったかは、覚えていないけれど)逝きたいという、彼の思いが深く沁みた。主治医に許可をもらって、彼の話が、自分にとってとても特別なものだった、聞かせてくれてありがとうございます、とお礼を伝えた。一生に一度あるかないかの出会いだと感じて、手帳に書き留めたほどだ。


 3日後。


 弟が死んだ。


 母の住む実家に、一晩だけ里帰りをした夜のことだった。

 突然の訃報に信じられなくて、コロナの直後だったからアメリカから一人で飛んで帰って、顔を見てもまだまだ信じられなくて、彼のことを分かってあげられていなかった後悔や慢心や、怒りや不甲斐なさや、一人で発見から救命から、すべてをしなければならなかった母のちっちゃな体が痛々しくて、自分が代わりに逝けば良かったという言葉がやるせなくて、自分はのほほんと遠くに暮らしていたのが悔しくて、それでも実感が湧かなくて、夢を見ているようだった。

 虫の知らせ。

 通夜の夜、白人男性が会場に現れた。弟と家族ぐるみの知り合いで、息子さんが高校を卒業して引っ越してからは、もう何年も会っていなかったのだと言う。それがたまたま、息子さんがプロ野球選手になり初めての里帰りで、それなら先生に(弟は教師だった)ユニフォームを見せに行こう、もうサーフボードも使わないからそれもあげよう、となんとなく弟宅に寄ってみたら、道案内の看板が出ていて、びっくりしてここに来たのだと。

サーフィンが好きで、野球の監督をしてて、子ども好きで、強く言えない性格で、玉置浩二と野茂に似てると言われていて、高校時代のガールフレンドと私は一緒に服を選びに行って。ああ、ケラが好きだったんだよね。今のケラリーノサンドロビッチ。そうだそうだ。

最近の彼が浮かんでこないな。一緒にいた時間が少なすぎる。私は姉として一体彼の何を見てきたんだろう。

、、、ねえ、3日前のあれも、虫の知らせと言うのかな。どうやら君は、準備していた節があるものね。90歳の紳士と、君はどこかでつながっていたのだろうか。90歳の彼は、いつ薬を飲んだのだろう。最後に何を残していったのかな。

答えのない問いが たまに浮かんではぐるぐると渦に飲まれていく。

その後しばらく、良く虹を見た。弔問客の名簿を作っている最中に。帰りの飛行機の窓に。あちらとこちらの世界を隔てる薄いベールを、虹色の光は、簡単にまたがって、私たちと彼らとを、繋いでくれている。と、想っている。虹を見るたびに、贈り物を受け取っている。







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