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アイカツ! 10th STORYとMY STARWAYを読み解く -「未来」と「今」が出会うその日まで-

本記事は楽曲MY STARWAYと劇場作品アイカツ! 10th STORYを考えていく内容となる。MY STARWAYとはなんだったのか、そしてアイカツ! 10th STORYで描かれていた「未来のいちごちゃん達」と「卒業ライブをする今のいちごちゃん達」によってどんな物語が構成されていたのかを考えていく。

楽曲MY STARWAYに登場する2人のわたし

アイカツ! 10th STORYを読み解く前に、まずMY STARWAYの楽曲自体が持っている構造について考えてみることとする。それにあたり、しばらくアイカツ!の言葉を使わずに書いていくため少し退屈かもしれない。しかし、この楽曲を紐解くことがどうしても必要なのでしばらく付き合って頂けると幸いだ。

さて、MY STARWAYという楽曲は2人の登場人物が登場する。1人は「今のわたし」で、もう1人は「未来のわたし」だ。まずはこれらについて考えてみる。

今のわたし

「今のわたし」とは誰か。これは、次の歌詞で語られている部分と捉えている。

昨日の続きみたいに 手を振ったさり気なさで
今は誰も気づかないの トクベツになっていく予感
おしゃべりなわたしの夢 目の前に忙しくて
24時間話し足りないよ 全力で夢中なんだ​

MY STARWAY歌詞

ここで語られている「わたし」は歌詞にもあるように「全力で夢中なわたし」である。持っている夢に対して真っ直ぐに、目の前のことに進んでいる「全力なわたし」としてもいいだろう。

劇場作品輝きのエチュードを踏んだ表現にするなら「明日を素敵にするためにまず今日を素敵にしているわたし」としてもいいだろうか。

あるいは楽曲ならば、カレンダーガールでもいい。「カレンダーをめくりながら毎日をダッシュで坂道を駆け上がって、オトナが言う『何てコトない毎日がかけがえないこと』をいまいちピンときてないわたし」こそが「今のわたし」だ。「トクベツになっていく予感」に今は誰も気づかないと語っていることからも、同じと言えるだろう。

更に重ねるならSignalize!で描かれている「わたし」とも言えるだろうか。「憧れを持ってミライへ進む姿」を「今のわたし」としてもいい。

いくつか過去の楽曲になぞって表現したが、つまるところ「今のわたし」は毎日を全力で夢中で走り続ける「わたし」と言える。そして、「今のわたし」は未来から見たら「過去のわたし」でもある。
そして、「今」を走った先は憧れを持って進み続けた「未来」へと続いているということだ。これはSignalize!にもあるように「望む先はミライの輝きが合図」であるからだ。

未来のわたし

では「未来のわたし」とは誰か。
前節で述べたように「今のわたし」が進み続けた(=毎日を素敵にした)その先に「未来のわたし」がいる。

「未来のわたし」は突然現れるわけではない。憧れを持って進み始めた「今のわたし」が進んできたその先にいる存在だ。その道程は地続きであり、断続的なものではない。「今のわたし」が走ってきたその先にいる存在が「未来のわたし」だ。そして、本劇場版でフィーチャーされていたのがこの「未来のわたし」である。

振り返るわたしと見守るわたし

ここまでで「今のわたし」と「未来のわたし」について語ったが、ここからその2人の「わたし」がどのような関係であるか考えていく。

本楽曲で語られる「未来のわたし」とはどこかを考えると、やはり次の歌詞ではないだろうか。

いつか思い出す はじまりの日々は
もう迎えられているのかも
そっと振り返るわたしを 遠くで見守っていてね(行ってきます!)

時を越えて キミにまた会えた時に
見せてあげたい未来
まだ知らないどんな夢が待っていても
この道の先ならきっと大丈夫

MY STARWAY歌詞

この歌詞を読み解く前に1つ注釈を加える。
本楽曲で登場する「キミ」については解釈の余地があるが、ここでは基本的に「(未来・今の)わたし」として扱うこととし、もう1つの解釈については、記事の最後に付録として書き記している。
前者の解釈は純粋に作品の内在要素で完結するが、後者の解釈は作品自体の理解ではなく「アイカツ」という作品をどう受け止めるかの観点になってしまうためである。しかし、後者は後者で確実に込められていたメッセージであるため、付録として扱うこととした。

閑話休題。

この歌詞で描かれているのは「未来のわたし」は「キミ」に対して見せたい未来を持っていることがわかる。そして「キミ」とは誰か、と考えるとこれは「未来のわたし」が今まで走ってきた道の途中にいる「(未来から見た)過去のわたし」であり、それはつまりここまで語ってきた「今のわたし」でもある。

「未来のわたし」は「今のわたし」が歩いてきたずっとその先にいるからこそ、これから先なにがあるかわからない「今(=過去)のわたし」を振り返ったときに「大丈夫だよ」と言うことができる。なぜならば、今の自分は「見せたい未来」を持っているからである。つまるところ、「未来のわたし」は輝いている自分になれて、自信と勇気を持てる自分であると胸を張ることができるのだ。だからこそ、「今(=過去)のわたし」言えるセリフが「この道の先ならきっと大丈夫」に繋がるのである。

これが例えば悪い未来を迎えていた場合は、このセリフは伝えることはできない。しかし、悪い未来でないからこそ「あなたの未来はちゃんと明るいから安心してね」と伝えることができる。「過去のわたし」に対してこれからどんなことがあっても、わたしが好きなわたしでいることができたよと自信を持って伝えるメッセージこそがこの「この道の先ならきっと大丈夫」という歌詞となる。

そして、「未来のわたし」だからこそできるのが「過去(=今)のわたし」を振り返ることであり、その道が正しかったことの証明でもある。これこそが「振り返るわたし」である。そしてそれを「見守るわたし」こそが、未来までの道を全力で駆け出そうとする「今のわたし」である。

では「今のわたし」はなぜ「未来のわたし」を「見守る」必要があるのか。「未来のわたし」がこれまでの道は正しいから大丈夫だよと証明するだけで終わらないのが楽曲MY STARWAYの面白くもあり、素敵な部分である。
その理由を語っているのが、次の歌詞となる。

時を越えてキミにまた会いにいくね
なりたいわたし見てて
ここではないどんな場所に立っていても
この日々の先なら好きになれるはず

MY STARWAY歌詞

「なりたいわたし見てて」とあるように、これは「今のわたしから未来のわたしへのメッセージ」であり、これは「今のわたし」が全力であるからこそ出てくるメッセージだ。
未来の自分はどんな場所に立っているかわからないけど、今が全力で夢中であると自信をもって言うことができる。そんな自分の未来だったらきっと素敵な方向であり、納得ができる場所であるのだろうと信じきれる心境が感じられるのがこの歌詞だ。こんなに信じ切った言葉が出てくるのは、今を全力で駆け抜けている証左に他ならない。「今」を全力で駆け抜けているからこそ、その先にいる「未来のわたし」に「今まで頑張ってきたんだよ!」と勇気を与えてくれる存在が「見守るわたし」である。
輝きのエチュード-prototype-的に言えば、「未来のわたしへ1番傍でエールを送り続ける」姿とも表現できるだろう。

ここまで「振り返るわたし」と「見守るわたし」について考えてきた。「振り返るわたし」は「今(=過去)のわたし」が進む先が大丈夫だと安心して言える「未来のわたし」そのものであり、「見守るわたし」は全力で今を進んでいるからこそ「未来のわたし」を支えることができる「今のわたし」そのものである。しかし、まだこれだけではMY STARWAYの関係性は終わらない。

そこで考えたいのが次の歌詞だ。

そうやってかなえるたび 生まれる勇気があって
信じてあげよう大好きでいよう 自分こそがスターゲイザー
心は覚えているよ 怖がらなくても平気
泣きたい今日がいつかの笑顔に できることわかったから

MY STARWAY歌詞

「そうやってかなえるたび生まれる勇気があって」なんて歌詞から読み取れるように、ここではなにか1つの夢を叶えたその先が描かれている。そして、夢を1つ叶えるたびに「その先を進む勇気が生まれる」し、「自分を信じてあげられるようになる」し、「自分のことが好きになれる」と示しているのがこの歌詞である。つまり、これは「夢を叶えた瞬間」を描いている歌詞であると言えよう。

「夢を叶えた瞬間」とはなにか。それは夢に向かって走る「今のわたし」が「それを叶えた未来のわたし」に追いついた瞬間のことだ。今まで見ていた「未来」は夢を叶えた瞬間に「今」となる。

つまり、この「未来と今が出会う瞬間」こそがSTARWAYなのではないかと考えられる。
最初に、「今のわたし」は夢に向かって全力で走り続ける。でも、その中では泣き出したいことがあったり、不安や恐怖がある。それでも、今を全力で進むことで「未来」は大丈夫だと信じて進んでいく。そして、ここで走り抜けて夢を叶えた先で勇気や自信が生まれて「未来と今が出会う瞬間」となる。その瞬間にまた新しく「未来」が始まる。その連続こそがSTARWAYと考えている。

ここで登場するのが、本楽曲の最初のフレーズであるこの歌詞だ。

時を越えて きっと会えるその日まで
がんばる約束

MY STARWAY歌詞

なぜそんな不安や恐怖がある中でそこまで頑張ることができたのかという正体はこの歌詞で語られている。「なりたいわたし」、すなわち「未来の私」とその夢を叶えると「約束」したからだ。そして夢を叶えた瞬間に、約束したあの日から時を越えて「未来と今が出会う日」が訪れる。

そんな約束の瞬間はオリジナルスター☆彡の歌詞からも見出すことができる。オリジナルスター☆彡の表現を借りるなら、「自由自在にかかげたなりたいビジョンに向かって、いつか絶対なれるように自分との約束をしてオリジナルスターになれるように目指していこう」なんてところだろうか。
もちろん、オリジナルスター☆彡に限らず、カレンダーガールの「思い出は未来のなかに 探しに行くよ約束」としてもいいだろう。

今を積み重ねることが未来に繋がり、その未来の自分は今の自分ががんばることで、生まれる勇気ができて、自分を信じることができて、大好きでいられるのである。この道の先に存在する星(=オリジナルスター)を見つめるものこそが「スターゲイザー」として走ることができるのである。そして、「今のわたし」はいつか「未来のわたし」と出会う瞬間が訪れるのだ。この瞬間、「今のわたし」がいつの日か夢見ていた「未来のわたし」になることができる。すなわち、「今」を「未来」する行為であり、同時に「未来」を「今」にすることでもある。その関係性こそが、MY STARWAYなのではないだろうか。更に、その瞬間こそが「時を越えてきっと会えるその日」なのではないだろうか。あの日描いた「未来」に追いついた瞬間に「ここまで来れたよ」と約束を果たす瞬間でもあるし、いつか最初の一歩を踏み出した「過去(=今)」を振り返ったときに「ここまで来れたよ」と約束を果たす瞬間が「時を越えてきっと会えるその日」であるのだ。

だからこそ、「未来」を支える「今」があり、「今」を信じた先の「未来」がある。そして、「未来」にたどり着いた瞬間にまた次の「未来」に向かい、さっきまでの「今」がこれから自分が自分らしく進んでいける勇気と自信となるのだ。これこそが「振り返るわたし」と「見守るわたし」の関係性だと考えている。

アイカツ! 10th Storyに登場する3つの時間軸

さて、楽曲STARWAYの構造をもとに本劇場版で登場した3つの時間軸について考えてみる。

本劇場版の構成は「今」と「未来」に分かれている。この2軸はわかりやすい。「今」は卒業ライブをしているいちごちゃん達であり、「未来」は22歳になってそれぞれ違う活動をして輝いているいちごちゃん達だ。

それに加えて、もう1つ存在する時間軸こそが「これまでのアニメで描かれていたいちごちゃん達」だ。その姿は劇中でも昔を振り返る形として写真で登場している。

以下からそれぞれについて考えていく。

これまでアニメで描かれていた過去

この時間軸で描かれているのは、これまでを全力で駆け抜けてきた、かつての「今のわたし」である。すなわち、それは「未来から見たら過去のわたし」である。本劇場版から見たら過去であり、卒業ライブをしている「今」を支えてくれる姿こそがこの時間軸だ。

敢えてこの時間軸の言葉に合わせて書くならカレンダーガールやSignalize!で語られている姿ともを言えるだろうか。初めの一歩を踏み出したあの頃からずっと全力で駆け抜けてきたからこそ、今この瞬間に卒業ライブをやろうとしているいちごちゃん達を支えることができるし、自信をどんどんつけていく姿こそが当時の178話分のエピソードである。そして、この時間軸は本作品において明確に「見守るわたし」として存在している。178話を歩いてきたいちごちゃん達のその先にいるのがこの10thストーリーのいちごちゃん達であることは自明である。

大人時代の未来

そして次に22歳の大人時代の時間軸である。

この時間軸では、卒業ライブをしている「今」より先の「未来のわたし」について語られている。22歳の未来では、星宮いちごは全力でライブ活動を続け、霧矢あおいは海外に留学、紫吹蘭は演技の道に進んで活躍をしている。
そして、その中で悩む姿も描かれていた。その瞬間に卒業式の写真を見たり、ソレイユとして最後に歌ったMY STARWAYを聴く姿はまさに「振り返るわたし」と言えるだろう。

そして、「未来のわたし」も全力だからこそ、「今のわたし」に向けて「この道の先ならきっと大丈夫」と伝える構成になっていた。これは、MY STARWAYのライブシーンの後半から22歳になって頑張っているいちごちゃん達のシーンが描かれていたことからも明らかである。この「未来」は断続したものでなく、「今」を全力で駆け抜けたさきのいちごちゃん達である。そしてこの「未来」がいつか「今」となりうる先の姿がここで描かれていた。

卒業ライブをしている今

本劇場版で主に焦点にあたっている時間軸がこことなる。

この時間軸のいちごちゃん達を支えているのは、先述したように「これまでアニメで描かれていた過去」のいちごちゃん達だ。そして、「振り返るわたし」の描写として過去の写真を眺めるシーンが劇中で描かれる。特に星宮いちごと霧矢あおいの2人が入学したころの写真を見つめながら語る言葉はまさにこの構図だろう。そして、当時の2人から見たら未来の姿であるからこそ、この時間軸の2人は「この道の先なら大丈夫」と自信を持っていえる瞬間である。これも「時を越えてきっと会えたその日」であるとも言えるだろう。

そして、「大人時代の未来」である22歳のいちごちゃん達を支えているのが卒業ライブをしている今のいちごちゃん達だ。卒業ライブも全力でやって自分の道を進んでいるからこそ、未来の自分を勇気・自信という形で支えてあげることができる。これこそが「見守るわたし」である。

そして最後のMY STARWAYで未来のいちごちゃん達が活躍している姿が描かれていたように、またここから次の「未来」へとたどり着けるように全力を尽くしていく。それこそが「がんばる約束」だからだ。いつの日かどこかの「未来」に会えた瞬間に約束を果たしたと言えるように、今を素敵な日にするべく走り続けている。

つまるところ、「振り返るわたし」と「見守るわたし」の2つの立場を担っているのがこの時間軸なのであり、MY STARWAYを最も表現している時間軸ということでもある。あの頃描いていた「未来」は「今」になっていて、そんな「今」からまた新しい「未来」と約束して進んでいくのだ。

すなわち、MY STARWAYとは

MY STARWAYとは、今まで歩いてきた自分の道そのものでもあり、「なりたいわたし」へと進むこれからの道も含めてMY STARWAYなのだ。だから、「これこそがMY STARWAY」なんて決まった道は何ひとつない。それぞれの道の先に見える自分だけの星(=オリジナルスター)を目指して、スターゲイザーとして走り続けることこそがMY STARWAYである。

そんなMY STARWAYを走り続けることが大変なこともあるだろう。それでも、「未来のわたし」が「その道はきっと大丈夫だよ」と言ってくれる限りMY STARWAYは続いていく。そして、その「大丈夫だよ」と言ってくれる自分は間違いなく「今のわたし」のその先にいることを忘れてはいけない。「『未来のわたしが大丈夫と言ってくれる』と信じられる道」がMY STARWAYであり、「未来のわたし」が「大丈夫」と言ってくれる限りはずっと走ることができるのだ。
だからこそ、「今のいちごちゃん達」はそれぞれの「未来のわたし」と交わした約束を果たそうと全力でMY STARWAYを走っていく。これは誰かのストーリーではなく、いちごちゃん達が紡ぐ「わたしのストーリー」だからだ。

そして、同時にこのMY STARWAYでは明確にいちごちゃん達が"オトナ"になったことを示す歌詞で最後を飾る。

今わたしが歩いている  "かけがえない"  きらめくライン

MY STARWAY歌詞

カレンダーガールの頃では"いまいちピンとこなかった"いちごちゃん達が「かけがえない」ことに気づき、「今」が1話の頃から確実に進んだ「未来」であると示されることで、卒業ライブは終演を迎える。そして、それぞれのMY STARWAYに進んでいく姿を以て、「未来のわたし」にSHINING LINE*のバトンが渡され、アイカツ! 10th STORYの幕が閉じられる。

付録: わたしではない「キミ」へ

作品のテーマを考えると、むしろこちらが本編かもしれない。ここまではなるべく考察っぽく文章を書いたが、感想っぽい文章になる。

改めてだが、ここまでの本記事は歌詞に登場する「キミ」を「わたし」として解釈していた。これは、作品が持っている内在で完結するためである。作品自体について純粋に考える際には、この姿勢を貫くことが筆者にとっては正義と信じているからにほかならない。要はただのエゴだ。
しかし、どうしてもこの作品を受けた上でこの解釈を無視することはできなかったので、こうして付録として綴ることとした。

さて、では「キミ」とは誰だったのか。なんてもったいぶった文章を書くが、むしろほとんどの人間はこっちの意味として先に受け取っただろうと思う。なんなら自分も3回目までこの解釈を抜いて純粋に作品を見ることができなかった。
この「キミ」とは間違いなく、これまでアイカツと一緒に人生を進めてきた鑑賞者である我々のことだ。我々に向けて、いちごちゃんは「この道なら大丈夫」と語りかけてくれたのだ。だからこそなのか、歌唱パートもこの歌詞はいちごちゃんソロとなっている。

今の我々がアイカツと一緒に進んできた期間そのものがSTARWAYなのだ。その途中でいちごちゃんにも色々あったように、我々にも楽しいこと嬉しいこと、悲しいことがあったはずだ。そんな道を走り抜けて、今こうして生きていることこそがここで語られるMY STARWAYである。

10thストーリーではあるが、出会った期間が10年でなくてもいい。いちごちゃん達と初めて出会ったころに比べて「あの頃から自分も少しは変わったかもしれないな」と、この劇場版を見て思えたのなら、それはその人なりのMY STARWAYに違いないのだ。それが5年だろうと、2年だろうと1年だろうと、なんなら半年だろうと2ヶ月だろうと関係ない。いちごちゃん達と初めて出会って一緒に過ごして、アイカツという作品に元気をもらって過ごせたその期間こそがMY STARWAYなのだから。

もちろん、この解釈になったからといえ、MY STARWAYに決まった道筋はない。それぞれが違う形を持っているからだ。

もしかしたら人によっては「この先の星が見えなくてSTARWAYと信じられない」と思う人もいるかもしれない。そのときは劇中であおい姐さんが言っていた言葉を信じていければいいのだと思う。みんなが1人1人輝く力を持ってると、ほかでもないアイカツという作品が語りかけてくれる。であるのならば、仮に自分は信じられなくてもアイカツという作品なら信じられるのではないだろうか。「いつだって あこがれが最初の道しるべ」であるのだから。そして、そこで立ち上がることこそもまた、MY STARWAYである。どんな形であれ、いつか「輝ける未来」を信じて、進むことができるのならばそれは100%MY STARWAYなのだと、この作品から教えてもらうことができた。

敢えて、MY STARWAYをアイカツと離れた俗っぽい表現に落とし込むなら「最後に笑ったやつが勝ち」と捉えても悪くないかもしれない。自分が「笑える」と思った未来を目指し続けている限りはこのMY STARWAYは続いていく。そして、いつの日か昔を振り返った時に「見せてあげたい未来」を持つことができていれば、MY STARWAYを進んでいる証拠となる。未来のわたしが「大丈夫だよ」と言ってくれる限りMY STARWAYは続くし、未来のわたしがそう言ってくれる景色ってやつは結局そのとき笑えている景色だからである。だからこそ、「最後に笑ったやつが勝ち」は「輝いている未来の自分を信じて進む」MY STARWAYの精神性とある種似通っている部分がある。どんなに不安でも、そこで見た「未来」と出会えたときに、過去の自分を振り返って「この道の先ならきっと大丈夫」と言えるならばそれでいいのだ。

別記事でこの「キミ」の解釈で受け取ったときの自分の感情について、簡素ではあるが文章をしたためている。興味がある人がいれば、読んでもらえると少しだけ嬉しい。そして、僕も僕なりのMY STARWAYをこれからも走れるように頑張っていきたい。

さて、本劇場作品を鑑賞して、とにもかくにも本当にありがとうという言葉しかでない。アイカツと初めて出会った10年前の自分と比べたらずいぶん生きやすくなったし、自信も持てた。勇気も持てた。自分のことを好きになれた。コンプレックスも少し直った。そうして振り返った過去は確かにつらいことはあったけど、結果今が良いと言えるので僕は10年前の僕に対して「この道の先ならきっと大丈夫」と言うことができる。敢えて課題をあげるなら、まだ「この日々の先なら好きになれるはず」と自信を持って言えないことだが、これは僕が次に目指す「未来」としてこれから走っていければと思う。

こうして前に進んでこれたのはアイカツ!という作品が示してくれた道だからである。そして、本作品でいちごちゃん自身が見せてくれた「未来」と全力の「今」のおかげでもある。
だからこそ、この「約束」で本記事を終えることとする。

「アイカツ!は間違いなく僕の人生を支えてくれた作品です。本当にありがとうございました。きっとまた会えるその日まで、これからもわたしのストーリーを進んでいけるようにがんばって生きていきます。」


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