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ニューヨーキスト

今回のテーマ:これぞニューヨーカー

タイトル:ニューヨーキスト

by 河野 洋

辞書を見ると、ニューヨーカーとはニューヨーク州で生まれ、育った人と書いてある。でも、僕にとってニューヨーカーはハドソン川とイースト川にサンドイッチされたマンハッタン島に一瞬でも存在する人たちだと思っている。高層ビル群に見下ろされ、人の波に呑まれ、時に粋がって、時に怯えて、ストリートやアベニューを縦横無尽に闊歩することができる人たち。

だから、ニューヨーカーの定義なんて実は何もないと思う。ニューヨークに一歩足を踏み入れたら誰だってニューヨーカー。もちろん生まれも育ちも、そして、今もなおニューヨークに住むリアルな生粋のニューヨーカーは存在するが、大半は、1ヶ月程度の語学留学生、3年後には帰国が決まっている駐在員、市外に住み平日だけ市内で働く通勤族、短期間訪れる観光客ではないだろうか。それでも、ニューヨークは差別することなく、誰にでも、何かになれる、何かできる気にさせる、そういう瞬間を与えてくれるところ。

僕は街を歩きながら、公園のベンチに座りながら、地下鉄に揺られながら、ニューヨーカーたちを観察するのが大好きだ。誰もが先生で、誰もが生徒。常に挑戦者で居られる。ここには、失敗なんて言葉はない。マンハッタンは人を吸い込み、人を吐き出す。365日、24時間、絶え間なく、それを繰り返している。だから終わりがなくて、いつも新鮮。

以前にも書いたが、僕が最初に出会ったニューヨーカーはジョン・レノンだった。1979年のこと。そして、僕がニューヨークを初めて訪れたのは1989年7月。同年1月に今は亡きルー・リードが名作「NEW YORK」を発表した。これは偶然じゃないと思っている。

中学生の頃、愛聴したニューヨークのシンガーソングライター、ビリー・ジョエルなんかを聴き直してみると、当時も今も全く同じ気持ちで、ここニューヨークで45年前くらいに作られた音楽に、心をあるがままに泳がせていることに気がつく。子供だった頃の自分が、大人になった僕と肩を並べて聴いているかのように。

もともと、僕は日本にいる頃から、音楽を含め、ニューヨークのものが好きなのだったと思う。そして、ニューヨークはアメリカの都市の一つだが、長年住み、他の都市をたくさん見てまわるとここは一つの都市ではなく、一つの国だという結論に落ち着く。パスポートはいらないけれど、アメリカなのにアメリカじゃない、そんな摩訶不思議な街。

ということで、色々と思いを巡らせてみたけれど、これぞニューヨーカーというのは、なんだかんだ言っても、ここに生まれて、育って、根を生やした人のことなんだろう。そういう意味で僕は30年ここに住んでいるけれど、決してニューヨーカーとは言えない。生粋のニューヨーカーは、オーラがある。体に染み付いた何かがある。風格すらある。ニューヨーカーには憧れる。だから、ニューヨーカーと区別するために、そういう人たちのことを僕はニューヨーキストと呼びたい。ニューヨーカーは比較級、ニューヨーキストは最上級。

2022年3月26日
文:河野洋

[プロフィール]
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。現在はアートコラボで詩も手がける。

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