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さくらはチェリー、チェリーはさくら

今回のテーマ:桜
by 河野 洋

桜といえば、何と言ってもお花見。日本同様、ここニューヨークでも花見会は行われる。日本に居た時は花見というと、提灯に夜桜、屋台に焼き鳥とビール、飲めや、唄えの宴会というイメージだったが、ニューヨークでは公の場でのアルコールは禁止されているし、実に健全なものだ。
 
以前にも書いたが、私が代表を務めるNY愛知県人会は、年間行事の一つとして毎年4月にNY広島会と合同県人会のイベントとして花見ピクニックを開催する。会場はセントラルパーク内にあるGreat Lawnという、6つの野球グラウンドが見渡せる広々とした敷地。空を埋める青空キャンバスに、燦々と輝く太陽、その眩しい光を浴びながら、桜の木の下に腰をおろし、各自、持参したお弁当を広げ、おにぎりやサンドイッチを頬張り、同郷の仲間と会話を楽しむ。初対面の子供達も直ぐに打ち解け、仲良く元気に駆け回り、そんな姿を見て大人の我々は子供の頃を思い出し、目を細める。
 
新型コロナ感染拡大により、20年は中止、21年はオンラインで開催したので、今年の花見会は実に3年ぶりとなる念願の対人イベントとなった。参加は無料なので、気楽に誰でも参加できる。過去には参加者のヨガ・インストラクターがヨガを教えたり、シンガーソングライターが歌を披露したり、パフォーマーがダンスで場を盛り上げたりしたことがあった。今年もギターや沖縄三線の演奏あり、偶然通りかかった友人が加わったり、とても楽しいピクニックとなった。花見は楽しいのだ。
 
さて、エッセーはここで終わらない。ここから桜は形を変え、音楽の館へ貴方を導く。
 
桜は英語で言えばCherry Blossom。そして、Cherryと聞いて真っ先に思い出すのは、1975年にリリースされた「Cherry Bomb」だ。デビュー当時のメンバーの平均年齢は16歳だったという5人組の女性ロックバンド「The Runaways」のヒット曲だった。中でもリードボーカルのシェリー・カーリーは今で言うビクトリア・シークレットの広告に出てくるような下着姿がステージ衣装で、その挑発的なステージングは今見てもインパクトがある。

私が同曲を初めて耳にしたのは中学生の頃だったが、2、3歳年上のお姉さんたちがプロのバンドとして音楽ファンを熱狂させていたと考えると、アメリカは途轍もないロックという爆弾を僕に落としていったのだと、今になって思う。
 
ロックの虜になった私は、ほぼ30年後の2004年にリリースされたフランス出身のエレクトロポップ・デュオ「エール | Air」の「Cherry Blossom Girl」を耳にする。初めて聴いた時、リフレインされるタイトルとその旋律を頭から追い出せず、何度も聴き返したことを覚えている。一年を経て、つぼみが花を咲かせ、美しいピンクを帯び、やがて人生の幕を閉じるように枝を離れ、儚く地上へ舞い降りる。子供の頃になくした宝物をいつまでも探し求めるような淡い感覚を私はおぼえた。そして、この優しい歌声は女性だと信じきっていたのだが、後にメンバーのジャン=ブノワ・ダンケルと言う男性が歌っていたと知り、ひどく驚いたことを思い出す。この時、自分の感覚がいかにあてにならないかを知らされた。

桜だと思って眺めていた花は、実は桜じゃなかったのだ。花見とは、華を見ること。桜の木は誰にも打ち明けず、思いを秘め、一年をかけて春を待つ。いかに美しく咲き、いかに潔く散るか。花は散るから美しい。花は咲くからもどかしい。さくらはチェリー、チェリーはさくら。4月になると私は新しい春を見つける。

2022年4月22日
文:河野洋

[プロフィール]
河野洋、名古屋市出身、'92年にNYへ移住、'03年「Mar Creation」設立、'12年「New York Japan CineFest」'21年に「Chicago Japan Film Collective」という日本映画祭を設立。米国日系新聞などでエッセー、音楽、映画記事を執筆。現在はアートコラボで詩も手がける。

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