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[備忘録] 何がしたいかを明文化することの大切さ

今日同じ交換留学で建築を学んでいる友達と久しぶりにご飯にいった。
そこで話した内容が最近デザインの考え方でしっくりきていない自分の
ピースに少しハマった気がしたから、忘れないうちにここに書き残しておこうと思って
今日の日記は完全に俺個人向けのもの。



話した内容は「デザインのコンセプトのたて方」
コペンハーゲンにきてから既に3つ家具を制作する課題があって、
3つとも不満は感じていないけど自分の中で妙にしっくりきていない感じがあった。
それが何なのか、言葉で説明するのは難しい
それに今でも完璧に捉えきれているわけではない。

頑張って言葉にすると、
自分がデザインしたものなのに、何となく自分から遠いところに作ったものが存在しているような感じ。
どのデザインも個人的には目の付け所は面白いと感じていて、
完成物も悪くはないと思う。
けどなぜか自分の真ん中にあるようなものに感じられない
もやもやする。

なんとなく、自分の中でデザインするときの核みたいなものがしっかり通っていないような気がした。
コンセプトが少しずれている感覚

そして今日、友達と話して気づいたことは
最近の自分には何かアイデアやコンセプトの種になり得るものに気づいた時に、それに対する自分の中での深掘りが全然足りていない。
だから「このデザインでは〜がしたい」って具体的な何かがハッキリ明言できない。

あまりに抽象的過ぎて、あとで自分で振り返っても何の話かわからなくなりそうだから、最近の自分の考えを例にあげて考える。

エジプトの考古学博物館にいったときに見た椅子の一つに、日本とのシンパシーを感じるものがあった。

写真みたいなダブルカーブって呼ばれる、特徴的な座面の椅子が博物館に何点かあった。
この椅子になんとなく日本の雰囲気を感じた

自分なりに考えてみると、
このゆったりした膨らみは座布団の上に座ったときの座布団の凹み具合に近い。
それにカーブのかたちはお寺の屋根を連想させる。

このことに気づいて、面白い着眼点だと思った。
場所も遠く離れて、文化も全く異なるエジプトと日本にシンパシーを感じれたのは絶対にアイデアのネタになる。
ここまで深掘りした時点で、完全に満足していた
それになんとなくデザインの絵が頭に浮かんだ。
ゆったりしたかたちをもつ日本の要素を感じられる椅子。
畳や縁側に置いてあってしっくりくるような

日本の家屋の写真などを調べて、何枚かスケッチを描いてみて、良くなりそうな直感も十分にある。
けど、またしても同じような感覚になった
なにかが上手く自分の中で完全にはハマっていない。
アイデアは面白いはずなのに妙にモヤモヤする

それはまだまだ自分の中で深掘りが足りていない証拠なんだと今日気づいた

だから、自分はこのデザインで〜がしたいんですと具体的には答えられない
あえて今の段階で言うとすると、
「エジプトの椅子から見つけた日本的要素を元に、二つの文化を混ぜた椅子をつくりたいです。」みたいな感じになる
けど、自分でもハッキリこれはいけないとわかる。
曖昧すぎて結局何がしたいのかイマイチわからない
「良いものがつくりたいんです」みたいな漠然さがある。

もっと、じゃあその日本的要素はなんなのか。
もし座布団の膨らみと近いと感じたのなら、そこをもっと深掘りして
座布団の背景やその周囲との関係性
それらからわかる要素をより解像度をあげて探る。
その過程の中で「じゃあエジプトの椅子のこの部分を〜に用いれば面白くなるな」っていう更に深い気づきが得られる
そうして生まれた「このデザインでは〜がしたい」はさっきよりずっと、
具体的で解像度が高いものになっているはずだ。


最近はアイデアの種を見つけたら直ぐに、それをかたちに直結させようとする。
それになんとなく形のイメージも浮かんで、良さげなものが作れそうな予想がたつ
少し手馴れてきたからなのかもしれないけど、こんな「慣れ」は必要ない。

こうしてつくったデザインってたくさん時間をかけて、あれこれ考えているはずなのに驚くほど語れることが少ない。
解像度が低いから、上手くピントが合っていない状態なのに、
モノだけがそこにある状態。

そりゃあ自分から遠く離れたように感じるわけだ

色々考えていたら、二回生のときにした課題でのデザインを思い出した。
架空の会社の缶ジュースのパッケージと、その広告ポスターをつくる課題

あのときは何度も何度も自問自答を繰り返して、自分に納得がいくまで考え直した。
たくさんリサーチもしたし、そこから感じる自分の考えに更に自分で問い直し、修正してアイデアを深めていった

だから今思い返すと、デザイン自体は今なら思う改善点は山ほどあるけど、
コンセプトやアイデアに関しては素直に満足できている。

きっとそういうことだ

最初のほうはそのやり方で満足していたし、
上手くやれている自信も合ったけど、
途中から少しこれでいいのかな、と思うようになった。

ひとつアイデアを思い浮かべるために膨大な調査と思考の時間が必要になる
デザインの現場では、アイデアを考えるのにそんなに時間は与えてもらえないハズだ。
もっと上手く省略して、軽くアイデアに飛んでいけるように訓練する必要があるな

それにこのやり方では、ひとつずつ自分の中で疑問を潰していくような感覚があった。
それは堅苦しくて、生まれたアイデアもあんまりパッと目を引く面白さがない

そう感じて、自分なりにいろんな他の方法を試して、修正して今に至る。

けど今ならわかるけど、たぶん一番自分にしっくりくるのは二回生のときにやっていた方法だ。
もちろんさっき言った問題点はある。
時間がかかりすぎることと、アイデアの派手さがないこと

けど時間がかかることに関しては、自分の疑問を省略することで解決するのではなく、単純に数を重ねて自問自答の質とスピードを訓練するしかない。

アイデアの質に関して派手さがないと感じるのは、きっと逆に捉えると、
全てがクリアになって普通に感じるまで深掘りできている証拠だと思う。
それにアイデアやコンセプトに際立った面白さがないことと、実際のデザインの良し悪しはそんなに関係ないなって強く思う。

最近の自分のデザインはコンセプトがかたちを示していた。
それじゃあ良くない

それよりもどんなに平凡なコンセプトでも土台がしっかりしていて、その上に良いエクスキューションをもったモノができれば、文句なくそれは良いモノになる。



あ〜〜、なんかスッキリした
ここまで読んでくれた方がもしいたら、抽象的なことをベラベラと話してすいません
そんでありがとうございます

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