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2021/12/23

兵庫県尼崎市の職員がバイセクシャルであるという事を市民にカミングアウトをして「不快に思う市民がいる」との市民団体の指摘があったとして、「性的指向を市民に明かすことは公務員として不適切」と指導していたそうで、この指導により職員の男性は「社会の無理解を行政が容認した形でショックだった」として退職してしまったという事です。
最近ニュースになる事が多くなってきた所謂LGBTなどの性的なマイノリティーの問題のようですが、問題の発端は市民団体から届いた文章で男性が担当する公務に不満を示し、「性的発言があった」「男性から性的指向を打ち明けられて不快な思いをした市民がいる」という訴えがあったという事です。
この報道をした記事には市の対応が悪いようなニュアンスになっていますが、確かに指導する際の言葉は不適切な部分があったのかもしれませんし、実際にどういう指導が行われたのかはわかりませんが、記事に書かれている事のみで見れば、これが社会の無理解なのかというとそうなのかなという疑問があります。
近年はLGBTなどのカミングアウトについての記事が多く見かけるようになりましたが、そもそも、こういった事によってカミングアウトをする事が良い事という様な風潮は果たして良い事なのかっていう疑問があります。
それは、物凄くセンシティブな問題という事もありますし、こういうことはケースバイケースなのではと思います。
例えば男性だけど女性の心を持っているトランスジェンダーや性同一性障害のような方が女性として生活したいという場合はどうしても社会生活をするうえで周りの理解というものが必要になる為、カミングアウトしなければという部分があるのかもしれませんが、この神戸の件みたいな、性的志向という部分に関しては必ずしもカミングアウトが必要だとは思わないです。
性的マイノリティであっても偏見なく普通に扱うと考えるのならば、例えば同性が好きだとか、男性女性のどちらも好きだとかがあったとしてもそれは好きになった人に言うべき事で大っぴらにカミングアウトするものではないような気がします。
というか、偏見なく接するのであれば年上が好きとか年下が好きとかと同じ感覚じゃないかと思います。そう考えると、わざわざ市民にカミングアウトするものではないと思いますし、例えバイセクシャルではなく異性が好きな方が性的志向を市民に言ったとしても同じように苦情が来るのではないかと思います。
そう考えると性的志向を市民に明かすことは不適切といった市の指導も本当にそこまで叩かれることなのかなという気もします。
というか、性的マイノリティではない人でも性的志向を市民に明かしていいってわけではないでしょうし、同じように指導されると思いますし、そもそも市の職員が職務上性的志向を明かさなければならない場面が私は思い浮かばないです。
確かに、性的マイノリティの方への偏見はなくさなければならないとは思うのですが、性的マイノリティ関係なしに、偏見やいじめというものは存在しますし、なくしましょうで、すぐなくなるようなものではないと思います。
時間をかけて人々の意識を改革していかなければならないものだと思うのですが、最近のこの関係の報道は逆に扱いずらいんじゃないかと思われるような結果になってしまうようなものが多いような気がします。
偏見なく平等に扱うという事はその人たちを特別視したりという事ではないですし、こういう風に扱わなければならないと押し付けるようなものでもないと思います。
なんか、急いで変えようとしても逆効果になるような気もするんですよね。

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