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英語学習において「話す」という経験の異常な少なさに気づいた件

最近、十数年ぶりに英語学習を再開した。

といっても、そのためにたっぷり時間を取っているわけではない。
生活を圧迫しない程度にうまいこと潜り込ませている程度だ。

それでも毎日続ければ、いくらかの効果はあるのではと期待している。

内容はこんな感じ☟
寝る前に普段使っている手帳に、英語で数行の日記をつける。
わからない単語や言い回しは、すぐにスマホで調べる。
そこで学んだことは、日記の下のほうにちょこっとメモしておく。

余裕がある日はそこから音源付きの英文法の本を開いて、例文の意味とそれにまつわる文法等を理解し、翌朝その音源を車の中で流してその直後に自分でも口に出すシャドーイングをやっている。

マスクをしているおかげで、人目を気にすることなく思いっきり口を動かすことができるのがいい。

以上が私の英語学習の方法だ。
ここに、昨日から取り入れ出した学習法がある。
英語のアプリを使って英会話をするというものだ。

でもここで、1つのショックを受けた。

人のアニメーションに向かって学んだばかりの簡単な英文を言うだけなのに、緊張して少し言葉に詰まる自分がいたのだ。

相手は本物の人じゃなくてアニメーションなのに、なんで緊張する必要があるんだと、情けなくなった。

そのとき、英語学習において自分がいかに会話の練習をしてこなかったかに気がついた。

英検の面接試験の時にやったぐらいで、誰かと英語をつかって話した経験が極端に少ないのだ。

これは日本の教育を受けた人あるあるかもしれないが、単語や文法、リスニングに比べて、私の「会話」の学習量は、異常なほどに少ない。

だからアプリのアニメーション相手にすら緊張してしまうのだ。

今回の気づきも手伝って、私は会話の学習にも積極的に取り組んでいこうと決意することができた。

これまでも、大きな変化のきっかけが「はずかしい体験」だったことがあったので、この体験もその部類だと信じて、期待してみようと思う。


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