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ちがう星の人々 (5/29~6/4)

5月29日(月)

雨だったので、1日家で過ごした。
前日にやっとやっと髪を切れたので、鏡に映るたびに自分の髪が短いことを確認して嬉しい気持ちになっていた。

雨の日はだいたい眠くて頭がぼんやりしているし、
1日家にいる日は、どれだけ朝「1日頑張るぞ」と思っても、絶対にのんびりと過ごしてしまって、「今日も大して何もできなかった」という虚しさで1日を終える。
ただ、最近は、いいかげん1日のおわりを虚しさと共に迎えるのに嫌気がさしてきて、どうしようと考えた。
そして気が付いた。
「今日の私はきっと1日中頑張ってくれるはず」という自分への期待があるからこそ、思い通りにならなかった時の虚しさと無力感がやってくるのだと。

そこで、最近は雨の日と家にいる日は「やろうと思ってたことの30%くらいできたら上出来」くらいに思うようにして、自分に一切期待しないようにしている。
すると、1日の生産量はさほど変わらなくても、1日を終える時の気持ちが全く違う。
「まあ雨だしね、しょうがない」くらいの感じで、穏やかな気持ちで眠りにつけるようになった。進歩。

5月30日(火)

この日、何をしたのか全く思い出せない。
思い出せないけれど、最近は卒論くらいしかやることはないので、おそらく1日卒論を書いていたのだと思う。
その日の執筆ノルマを夕方くらいに超えることができて、夜は本を読んだり、絵を描いたりなどして、のんびりと過ごした記憶がある。
その日にやると決めたことが全て終わって、寝るまでの数時間、何に使おうかと考えるあの瞬間、とっても幸せだ。


5月31日(水)

朝、近所の公園をひとっ走りしてきた。
「わざわざ朝から走って心拍数をあげて、息を切らして、汗を流して、体を疲れさせる人の気が知れない」なんて、この間まで本気で思っていた徒歩専門の私が、朝たまーに(本当にたまーに)走り出したのにはわけがあって。

というのも、先月知り合いのお兄さんから「ランニングしたら人生が変わった」という話を聞いたから。
どのように変わったのかはここでは端折るけれど、その話に感銘を受けたとても単純な私は、走ったら人生が変わるんだという希望を胸に、話を聞いた翌々日くらいから走り出した。

ちなみに、今のところ、まだ特に人生に変化は起きていない。
一つ思い当たることがあるとすれば、ランニング初日にごみ収集ボックスの中から出られなくなっていた小鳥を発見して救出した、という出来事があったので、そのうち小鳥が恩返しをしに家へやってくるかもしれない、ということくらい。
人生が変わるまで、もう少し走り続けてみようとは思っている。

そして日中は卒論を書き、
夜はカレーを作り、
寝る前に玉ねぎの絵を描いた。

なかなか盛り沢山の1日だった。

あ、そうだ。
この日、図書館の飲食スペースみたいなところで、腹の底から声を出して蝉の鳴き真似をしながら、「これが日本の伝統芸能!」と声を張り上げている人がいて、その声量が本当に、あまりにも大きかったのでとても驚いた。
意図はよくわからないけれど、あれは間違いなく舞台の上とか、ホールとかで出す声量で、普通に生きていたら出せるような大きさではなかった。
人生をかけてもあんな大きな声を出せる自信がない。
だから「変な人がいるもんだ」と恐れながらも、腹の底から声出ててすごいななんて呑気に考えてしまった。
ちなみに、蝉の鳴き真似は、ミンミンゼミやツクツクボウシなど、いくつかバリエーションがあった。
一体なんだったんだろう。絵に描いたような"変な人"だった。


6月1日(木)

6月がやってきた。
まだ梅雨は来ていないみたいで安心する。
この日も卒論を書いていた。
6月はほぼ毎日「卒論」くらいしか予定がない。
朝からパソコンとにらめっこしていると、夕方くらいには目がしぱしぱしてきて限界を迎える。
こんな時いつも、ブルーライトの出ないパソコンが発売されたら、それなりに高くても頑張って貯金して絶対買うのに、ということを考える。

最近、毎日昼ごはんにおにぎりばかり食べていて、いよいよ飽きてきた。
白米は毎日食べていても飽きないのに、おにぎりは飽きることがある、というのは私にとってちょっとした発見だった。
明日のお昼ご飯はパンにしよう、と思った。

ちなみに、ヨーグルトと納豆も、白米同様、毎日食べていても飽きない。
パンと麺は飽きる。
なんなんだろう、この違いは。


6月2日(金)

今日ももちろん卒論。
この日は思っていたより進んだので、夜の自由時間がいつもより長かった。

なので、久しぶりに映画を見ようと思い立ち、Netflixで「ちひろさん」を見た。
とても好きな映画だった。
「人間はみんな宇宙人」の話が一番心に残った。

私は、基本的に雑で横着だけれど、細かいところは細かくて、他人の気にしないでもいいような一挙手一投足、一言一句をいちいち気にして勝手にストレスを溜め込んでいることがあるのだけれど、
「この人は違う星の人なんだなあ」
と思えばいいんだな、とちひろさんに教えてもらった。
ありがたい。

そう、この日は雨がものすごい日だった。
私は「雨」は嫌いだけど、「大雨」はそんなに嫌いではない。
むしろどちらかというと好きかもしれない。
傘をさしていても、何もかもびちょびちょになるから、諦めがつくし、傘に雨粒が当たって、「ぼたぼた」と豪快な音を立てているのを聞くと、少し楽しくなってくる。
この日も、大学の図書館から「ぼたぼた」を楽しみながら、家路についた。


6月3日(土)

午前中、バイト。
昼前くらいに行列ができた。
3番目くらいに並んでいたおばさんは、明らかに不機嫌そうにしていて、とてもブスッとした顔で、商品を受け取って帰っていった。
その次、4番目に並んでいたおばさんは、自分の順番になった瞬間から、にこにこ、にこにこしていて、その人の周りだけ、小さいお花がふわふわと漂っているくらいの柔らかな雰囲気を纏っていた。
そうして、「ありがとう〜」と穏やかな笑みを浮かべながら、上機嫌で店を出て行った。
3番目のおばさんとは格が違う。
4番目のおばさんを見送った瞬間、私は将来、絶対にあの人みたいに、心に余裕のあるおばさんになろう、と心に決めた。
この決心はかなり堅い。

おばあちゃんが大好物のパクチーを買ってきてくれたので、
昼間、塩ラーメンと水曜日に作った魯肉飯の残りを温めて、パクチーを(嫌いな人が見たら悲鳴をあげるほど)大量にぶっかけて、ひとりでささやかな「パクチーパーティー」を開催した。
とても愉快だった。


6月4日(日)

大学へ実験協力のバイトをしに行った。
実験の内容を一言で言えば、レゴでトラックを組み立てる、というやつだった。
小一時間くらい、試行錯誤してレゴでトラックを作っていた。
レゴなんて、触ったの小学生ぶりとかだ。
カチカチとパーツをはめて、思い描いたものが形を伴っていくあの楽しさを久しぶりに思い出した。
小さい頃にクリスマスプレゼントか何かでもらったレゴを、引っ張り出してもう一度やってみようかと思った。
レゴでも、絵を描くのでも、粘土をこねるのでもなんでも、
毎日電子機器の画面ばかり見ている生活をしていると、そういった「ちまちまとしたもの」に触れる喜びが倍増する。
1週間くらい、そういう強い光を発しない、ちまちまとしたものにひたすら没頭する期間を過ごしてみたいと思ったりする。

あと、そう。確実に風邪を引いた。
喉がイガイガ、というよりガサガサする。
こういう時は龍角散のど飴しかない、と思い、薬局と西友に買いに行ったけれど、どちらも売り切れだった。
みんな風邪を引いているのかもしれない。

「龍角散のど飴がないと生きていけない」
と母にぼやいたら、
「それなら龍角散に勤めるといいよ」
と、よくわからない返答をされて、そういえば龍角散ってどこのメーカーが出しているんだろうという疑問が浮かび上がり、調べてみると、龍角散は株式会社龍角散が製造していた。
会社の名前が龍角散だった。

そこから、じゃあ(株)龍角散は、龍角散以外に何やってるんだろうという話になり、調べてみると、服薬用のゼリーや、かの有名な「お薬飲めたね」を販売しているのも(株)龍角散だということがわかった。
でも、それらは全製品の1割程度で、残りの9割は全て、商品名に「龍角散」が付いていた。
創業年数は1871年だという。
そんなに前から、龍角散ほぼ一本でやってきた(株)龍角散、すごい。
いつも喉の調子が悪い時、非常にお世話になっているので、この場を借りて、感謝申し上げる。

そして、無性に日記を書きたい衝動に駆られて、こうして食後に日記をつらつらと書いている。
今日は21時くらいに寝てやろうと目論んでいたのに、もう22時前だ。
今日こそは早く寝ようと決めていたので、喉を労って、そろそろ眠ろうかと思います。


明日からも良い日々になりますように。
おやすみなさい。

恐れ入ります。