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-落葉-


海を目の前にして佇んでいると、
そこへ身を任せたいという思いと
それとは反対に
呑み込まれてたまるかという思いとが交錯し、
結局一歩も動けずじまいの
自分がいることに気がついた。

足下には小さなカニが
横歩きをしているイメージが浮かび、
子供の頃にどこかの川で見た
沢ガニの姿を思い出したが、
両者はどこがどう違うのだろうか。


海岸線に沿ってぼんやり歩いていると、
少し先に落ち葉があることに気がついた。

「春なのにどうして
ここに落ち葉が、、」

それは一枚だけでなく、
何枚かばらばらと散っているようだった。

その葉っぱを手にしてみた時、
”言の葉” ”言霊”という響きを思い出した。

「言葉には、伝え手の魂が宿る」

そんなことを若年の頃
少量の読書から学びとり、
実際の日常でも
人の発する表現にはエネルギーがあるんだな
と感じてから現在に至る。

加えて、
自己を防衛するかのごとく
言葉でもって理論武装しているような
人を見かけたこともあるが、
果たして自分がそのうちの一人ではなかったのか。

今後も、
さらにいろいろな人と関わって
対話をして、作文のやり取りをして
お互いの理解を深めていければ望ましい
と思っている。


ところが、
どこか言葉だけでは、表現だけでは
伝わらない部分があるような気がして
最近の関心ごとはそちらの方へ向いているのだ。

人の身体は
決して嘘が上手なつくりではなく、
「目は口ほどに物を言う」
という成句もあるようだ。

もしそうだとすると、
どうしたらこちらの気持ちが伝わるのだろうか
と案ずる反面、
いや特に何かを言わなくても
もう伝わってしまっているのではないか
という感じすらあるのだ。

そんなことを反芻しているうちに、
秋色めいた何枚かの落ち葉は
風に乗ってひらひらと
海の方へ引き寄せられるようで、
そのうちにはっきりとは
見えなくなってしまった。


潮風はたしかに心地よいが
長い時間だと少し応えるなと思い、
自らは陸地の方へ引き返すことにした。

まだ春ははじまったばかりで、
何かを請い求めるのは
時期尚早な感じしかないような気もする。


そのように思うのは、
今年の春が例年に比べ
いくぶん温度が高いことに
よるのかもしれない。







以上

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