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「良い/悪い」で言い争うバカバカしさについて

適切なリンクが貼れなくて申しわけないが、私が見聞きしたかぎり、「note」にかぎらず多数のビューを獲得する「良いWeb記事」にするには、どうやら「タイトル(見出し)にインパクトが有ること」が重要らしい。
ということで、いつもより少しインパクトが有りそうなタイトルにしてみた。もっと過激な表現も浮かんだけど、さすがに自粛した。
いちおう以前からタイトルには気を使っているつもりだが、どうにも性格がネット世間とズレまくっているのもあり、パッと目を引く記事にするのは難しいが、別にビューが少なくても「note」は許してくれている気がするのでw、私は私のできる範囲で「note」世界の一部としてがんばりたいと思う。

私はネット世間の流行とは無関係にまったく不人気な長編SF小説や生物進化に関するエッセイなどを書いているわけだが、日本のネット人口の過半数が利用しているらしいヤフーニュースやそれに付随するコメント、いわゆる《ヤフコメ》などは毎日よく読んでいる。

前にも書いたように、私はインターネットの黎明期以前からネットにいて、2ちゃんねるでも特に過激と言われた《ニュー速》板なんかも一時はよく眺めていたがもっぱら《ロム専》で、書きこみをするのは半年に1回くらいだった。(※ロム専:SNS等で書きこみをせず読むだけの人のこと。Read Only Memberの略。)
《ヤフコメ》は書きこみするのに電話番号を登録しないといけないし、そこまでして書きたいこともないので、完全ロム専をしている。たまに衝動的に書きこみをしようとしてもその前に登録作業をしないといけなくなって面倒で結局やめるので、私にとってはありがたいシステムだと思っている。

私は性格が悪いので、いわゆる《賛否両論》な話題が提供されてヤフコメで皆が言い争っているのを見るたびに、どこかで見つけた表現だが、魔王の気分になって『愚かな人間どもよ……争え……争え……』っていう感覚を味わうのが楽しいので、自分もコメントを書いて参戦するよりも論争を眺めているほうがずっと好きである。

善良な皆さんがネットで論争することで私のようなヒネクレた人間にエンターテイメントを提供してくださるのは大変ありがたいが、それにしても、善良で賢明な方々が《何か》について《良い/悪い》と意見を戦わせている行動は私にはとても奇妙に感じられる。なぜなら私は、どのようなテーマであっても《良い/悪い》という概念を他者と共有することにはほとんど意味が無い、と思っているからである。

有史以来、《真・善・美》とは何かについて、哲学者を筆頭にさまざまな人々が意見を表してきたわけだが、私は生物学、特に生物進化の法則を自分の基本的な思考の道具としているので、そのような問題は以下のように考える。

  • 《真》は今回は考えない(まだまとめられない)

  • 《美》は《自分が生殖したい相手が持つ要素を抽象化したもの》である

  • 《善》は《自分の生存にとって利益となる要素》であり、《悪》は《自分の生存にとって害となる要素》である

実にシンプルであるが、私はこのようにしか考えられないし、他の考え方を教えてもらってもまったく理解できないと思う。ちなみに《真》は生物学的に考えても難しく、私もずっと追求している問題だが、私のようなバカにとって簡単にまとめることができるものではない。

《美》について《自分が》と書いたが、生殖したい相手が持つ魅力は同一の種であればほとんど共通する要素に収斂するようで、進化生物学ではそれを《性淘汰》理論として研究している。だから《美》については同一の種であれば意見の違いによって争いが起こるという状況にはなりにくいようである。
(※ヘラとアテナとヴィーナス、誰がいちばん美しいでしょーか!?)
いわゆる《現代アート》については上記に当てはまらないものもあるが、私の考えでは、現代アートはいわゆる一般的な《美》に加えて《真》や《善》も含めた表現として多様化しているようであり、だからこそ《賛否両論》になるのだと思われる。(制作者もそのような論争を意図しているように思う。)
私は音楽が好きだが、音楽の《美》というのも、鳥のオスのさえずりがメスに対する性的アピールであることから類推して、繁殖に関わる認知に影響されているのではないかと思う。
ミュージシャンの好みに性別は関係ないはずが、異性愛者は異性のミュージシャンを好むというのはあるのではないだろうか? しかしなぜかゲイの人は松田聖子とか、倖田來未とか、女性歌手が好きだ。安室奈美恵の熱烈な女性ファンも異性愛者のようだ。これは私の理論と矛盾するので困るw

まあ、そのへんは統計でもとってみないとわからない。とりあえずここまでまったく本題ではない。いいかげんに本題に移ろう。

上で定義したように《善悪》=《良い/悪い》は考えるのが最も簡単な概念だ。
単純に自分(の生存と繁殖)にとって利益であることが《良い》し、害になることが《悪い》。この場合、《自分にとって》という部分はめちゃくちゃ重要である。ネットだけでなくリアルの世間でも、自分と他人の利益は一致しないことがよくある。

進化生物学的には、男性と女性の繁殖に関する利益は一致しない。男性はより多くの女性に自分のDNAをばらまくことがなにより重要だが、女性はより優秀なDNAを獲得して自分の子供がより有利に成長し繁殖することがなにより重要なので、お互いに生殖して繁殖するという部分では利益が一致するが、どういうふうに繁殖するかという方法論がぜんぜん合わない。だから男性の《良い》と女性の《良い》が一致することはありえない。
せいぜいお互いに《妥協》して繁殖するしかないw
そういえばよくヤフコメで「女性が妥協しないから繁殖できない」と怒っている男性を見かけるが、女性にとっては繁殖しないことが妥協である場合もある。哺乳類(の有胎盤類)の女性にとっての繁殖は精子を出すだけの男性とは違って自分の自己保存欲求を抑圧してまで行う必要がある危険で重労働なものだとすると、納得できないDNAを使って繁殖するくらいなら「繁殖しない」という選択肢の方が《自分の利益》にかなうので、そちらを選んでいるという理屈が成り立つのではないかと思われる。(一部のカマキリやクモの場合は反対に男性の方がそのような危険を犯して繁殖しているようだが。)
また、「うかつに女性に近づくとセクハラ、キモいと言われる誹謗中傷、性犯罪の冤罪などに巻きこまれるので、女性には近づかない」とネットに書きこんでいる男性も、繁殖する利益よりも自己保存の利益を優先するという《妥協》を選択しているという解釈ができるだろう。
ちなみに猛禽類(タカ、ワシ、フクロウなど)も、繁殖期の環境が悪くてヒナにじゅうぶんな餌を与えられそうにないと判断するとその年の繁殖をしないということが知られている。生物はいつも損益分岐点を計算しているのだ。

人間にとっても性淘汰が現在のような形になっていることに《良い/悪い》はなく、ただ男性の利益と女性の利益のせめぎ合いによってお互いの《妥協点》が存在し、繁殖する場合と繁殖しない場合に分かれていくだけなので、個人が別にどのような選択をしても問題はない。(ただし自国の法律は守りましょう。)みんな自分の選択を信じて生きていけばよいのだ。(自分がそれをできているかというと、そうとは言えないけど……)

また、自分にとっての快適な生活と所属する集団の永続的な活動というものも利益が一致しない。可能であれば誰だって家でゴロゴロした状態で食事が運ばれてきて、部屋が清掃され、欲しい商品が勝手に届く状態を望んでいるが、誰かが食料を生産し、清掃人になり、脳の神経細胞からドーパミンが大量に放出されるようなすばらしい商品を企画・開発・材料調達・生産するための工場の建設(用地買収・設計・各種行政書類の作成と提出・建設作業員の手配(コンクリ業者・鉄筋業者・重機業者・足場業者・内装業者・建具業者・配管工事業者・電気通信業者・等々)等々)・これらを行うための資金調達・そのための販売計画策定・等々を行う人間が必要である。これらのすべてをロボット及びAIが行えば……という意見もあるが、ロボットやAIを開発する人々も(口先ではどう言おうとも)《自分の利益》のためにそれを行うので、そんなにうまくはいかないんじゃないのかなというのが私の考えである。

なので、なにかについて《良い/悪い》という話は、自分がどの立場なのかによって賛否がまったく違ってくる。法治国家であれば自国の法律には「やったらダメなこと」が書いてあるが、世間で賛否両論になっているたいていのことは法律には違反していないけど立場によって《良い/悪い》が変わるものであることが多い。
だとすると、いくらネットでわいわい議論したところで《良い/悪い》が全体としてどっちかに決まることはありえない。決まることがあるとすると《数の論理》によって趨勢が決まるくらいだろうが、最近のネットは男女比は変わらないだろうから、男女に関する問題は趨勢を決するのも難しいと思われる。
(2ちゃんねる全盛期あたりまではネットに書きこみをする比率は男性が高かったため、ネットは男性に都合のよい言説にあふれていた。しかし私のようにロム専をしている女性もかなりいたようで、その後の日本社会にそれなりに影響を与えたんじゃないかなという気もしている。結果として過去の男性たちは女性に対して上に書いたような損益分岐点の計算をするための情報をたくさん提供したことになったのかもしれない。もちろん、現代では女性も言いたいことをネットで全世界公開していたりするので、同じようにそれが男性の選択肢に影響を与えていると思われる。それが現代社会の人類の性淘汰である。)

とりとめもなく書いてしまったが、ヤフコメを見ていると、あらゆる言い争いはお互いがお互いに「相手の立場になって考えろ」という要求をしているが、そう言ってる本人は相手の立場になって考えてはいなさそうである、というふうにまとめられそうだ。
私はヤフコメには書かないが、自宅では家族にそういうことを言ってると思うので、自分もすこし反省したほうがよいかもしれないw

ヤフーニュースのコメント欄は誰かにとっては地獄の阿鼻叫喚の中を決死の覚悟で戦ってる言論戦士の気分かもしれないが、誰かにとってはエンターテイメントである。どちらの立場にしても必要性があるものだと思うので、今のまま変わらずにいて欲しい。

性淘汰や性の進化をテーマにしたSF小説を全編無料公開していますので、よければ読んでみてくださいね~

タイトル画像:COPILOTに「人類の全女性と全男性が繁殖に関する争いをしているという抽象的な絵を描いてください」とお願いしたもの。「さらに感情的に怒りを持って闘争しているところをお願いします」と書いたら断られてしまいましたw

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