見出し画像

資本主義ってほんとうに在るの

 私は、かの有名な「資本論」を含め、カール=マルクスの本は一冊も読んだことがありません。しかし、私の好きな文芸評論家の方でマルクスを東大生のときから読み込んだ方が、彼が「資本論」で言いたかったことはこうだというのです。

 資本というのは、人々がお金の蓄積に駆られて増えていくもので、そこに主義ismをつけるのはおこがましい。合理的な守銭奴と狂気な資本家の本質は同じなのです。たとえば、物々交換では、それぞれの人が持つ作物なり品物がマッチングするのが時間的・空間的にも限られています。つまり、交換がなかなか成立しないのです。ところがお金を持つということは、交換の可能性を大きく広げてくれます。貨幣蓄積の衝動はそこに根差したものと言えるでしょう。

 一見すると便利に見えるお金は、もともと物々交換であるものを成立したかに見せかけるものだというのです。交換でお金が介在すると買い手と売り手という非対称な立場に分かれます。お金を持つ買い手の方が優位なはずです。ところが実際は、セールスロークにはまって不当に高価なマイホームを借金で買わされたり、クレジットカードで衝動買いをしてみたりと信用の危機が訪れますが、現金そのものも本質は信用なのです。現金決済でも、情弱は知らず知らず損するのです。しかし、ただの紙切れ、電子記録と誰もが見なせば一気にハイパーインフレですね。

 それでも人がお金を持ちたがるのは、売り手に回りたくないという気持ちがあるからでしょう。大企業の経営陣にしても、巨大な資金で商売をしているわけですが、彼らも売り手に立ちたくないから売り手に回っているのですね。これが合理的な守銭奴と言われる所以です。マルクスのよく言ったM(貨幣)-C(商品)-M'(貨幣+剰余価値)というものです。しかしこれはismではなく、貨幣の自己増殖運動というのです。

  それに対して、多くのサラリーマンは肉体と時間を売って、それをもとにギリギリに生活費を切り詰める。いわば狂気な資本家ともいえるのです。なぜなら、不当に安く買い叩かれた労働量商品(時間=命)を安く買い叩かれているからです。単純再生産を死ぬまで続けなければいけない。ですが、彼らもうまくいっていないだけで蓄積することに駆り立てられているのです。

 マルクスがいいたかったのは「資本家を打倒せよ!」というのではありませんね。みんなが汗水流して農作業や工場作業員になれと言っていません。そもそも資本家と労働者なんて存在しない。あるのは資本と商品だけです。お金を増やすのはお金そのもので、人間はその人格的担い手にすぎないのです。そこから始めるべきものだと私は思います。

 

#お金について考えていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?