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【拙訳】ティミー&スパイクの絶唱 ~マジックを愛したかつての日々、そして気に病む今の日々~ by Compulsion(MTG Arena Zone)

 前回翻訳した「カラデシュリマスター リミテッド概要」の筆者、Compulsion氏によるコラムです。MtGの禁止カードの歴史を振り返りながら、現在のWotCに関する苦言や、MtGの未来について熱く語る内容になっています。もう、なんというか、めちゃくちゃ長いです。

 10月27日執筆、10月30日掲載のためややタイムラグはありますが、素晴らしい内容だと感じたため、拙訳ではありますが翻訳してお届けしたいと思います。非常に長い内容ではありますが、20年来のプレイヤーの皆さんはもちろん、MTGAからMtGに触れたプレイヤーにも、ぜひご一読いただければと思います。ただ、めちゃくちゃ長いです。

 必要に応じて訳者注、意訳を行い、原文のニュアンスを損なわない程度に、最近のプレイヤーにも読みやすく配慮しました。一部原文と異なる部分もありますが、予めご了承ください。あとめちゃくちゃ長いです。

 原文が無料ですので、当然のごとく当記事も全文無料で公開します。
 ただ、毎度のお願いで恐縮ですが、よりよいコンテンツ制作、筆者のモチベーション維持、そして娘と妻へのクリスマス予算増額による内容グレードアップのため、ぜひ記事ご購入・サポートでのご支援をお願いいたします。

 なお、前回反響の大きかった記事(8月)の収益は、MTGA:カラデシュリマスタープレリリースへの課金(30ドル)原資、および10月の家族旅行(GoToトラベル活用)の資金の一部として活用させていただきました。(おって当note上でご報告をさせていただければと思います。10月に行っておいてよかった・・・!)

↓↓↓原文はこちら↓↓↓


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A Song of Timmy and Spike or: How I Learned to Love MTG but Still Worry About It
BY COMPULSION · PUBLISHED OCTOBER 27, 2020 · UPDATED OCTOBER 30, 2020

■はじめに

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 Magic; the Gatheringは「爆弾」です。昔から今に至るまでずっとそうであることは、頭では分かっているはずなのに、ここ最近は苦しみを感じるようになってきました。ここ数週間の間に(記事の執筆を)休んでいましたが、その期間に自問自答してみると、「ゲームの状態」そのものに悩んでいる自分に気づきました。その間、沈思黙考に耽り、いままでのゲーム体験を反芻してみました。おそらく、「MTGアリーナ」時代に起こった出来事に過剰反応する前に、他の観点から物事を見てみるべきだ、思ったのです。

 わざわざ一呼吸を置こうと思った理由は、率直に言って、絶え間ない禁止連発、そして変わり映えの無いスタンダードのメタゲームに心底腹を立てている、そんな自分を見つけたからです。スタンダードはいつもこうだったでしょうか? Tier1デッキは常に一握りのカードに支配されていましたか? スタンダードが「タイプ2」と呼ばれていたその昔(※)から数えてみると、環境多様化のために連続した禁止が必要だったほど、強力なデッキがあったでしょうか? ゴジラやウォーキング・デッドのキャラクターを冠した特別なカード、完全受注生産製品の乱発、そして「マスターズ」による再販手法、という絶え間ないここ最近の流れに、本当に憤慨している自分に気付くのです。

(※訳者注1)
 第3版(リバイズド)~フォールン・エンパイア発売前の時期において、すべてのカードが使える「タイプ1」(現在のヴィンテージに該当)と、使えるセットが限定された「タイプ2」が存在した時期があった。なお、このタイプ1、タイプ2という呼び方は非公式。スタンダードが制定されたのはフォールン・エンパイア発売後の1995年1月。

 私の本心は、こうした所業に怒り、見向きもせず背を向けたくて仕方がなかったのです。それでも、何年も何年もプレイし続けたゲームに対して、フェアな判断をしたいというのも、まぎれもない本心です。そうした視点から語ることは、皆さんにとっても面白く、また何かの役に立つかもしれない、と思いました。
 この話は、私がまだ若いティミー(※)に過ぎなかった20年数前から始まります。ちょっと本筋と関係ない話に及ぶかもしれませんが、私と読者の皆さんの間に、相通ずる何かがあると思っています。
 私はこの記事を通じて、マジック;ザ・ギャザリングの歴史におけるいくつかの瞬間を振り返ることによって、今置かれている状況がどのようなものか、皆さんと考えたいと思っています。私よりもより良く記憶している方もいるでしょうし、あるいはMTGAからプレイを始めたためにテーブルトップでのプレイを経験していない方もいるでしょう。

(※訳者注2)
 ティミー、ジョニー、スパイクはMtGプレイヤーを類型する際の「傾向」のひとつ。ティミーはプレイ自体の楽しさを、ジョニーはデッキ構築の楽しさを、スパイクは勝利の楽しさを追い求める、というもので、Mark Rosewaterがプレイヤーの傾向を表すのに2002年の公式記事で提唱した。その際の記事リンクは下記(英語)。

 それでも、この過去への旅は、ゲームを愛するすべての方に関わることであり、読者の皆さんそれぞれの現体験に語りかけるものになることを願ってやみません。皆さんはおそらく、私とは違う、そして適切な類例を挙げることができると思います。なんと素晴らしいことでしょう! 最終的に、より的確な見通しを立てていきたいと思っています。
 皆さんが、素晴らしいゲームへの盲目的な崇拝や、あるいは正義を振りかざし非難の雨を浴びせる、といった行為をとること自体は簡単です。特に非難については今、適切にされるべきタイミングであると感じています。それでも、そうした《評決》を下す前に、過去を振り返る旅に出てみる必要があると思います。

■オデッセイ:始まりの時

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 90年代末、小学生だった私は、ポケモンとチェスをこよなく愛する小学生でした。ポケモンカードを集めはじめた(母の部屋で探して見つけたのがきっかけです)ものの、当時はポケモンカードゲームをプレイしても、あまりしっくりきませんでした。デッキのアイデアを考えるのは好きで、ごくたまにプレイすることはありましたが、どちらかというと、チェスの方が技術介入度が高く、また公平な勝負ができるため、より好みだったと思っていました。カードを集めて友達に自慢することはありましたが(笑)、それだけで終わってしまいました。
 ところが、中学に入る直前、近所の年上の仲間からマジック・ザ・ギャザリングを紹介してもらうと、私の世界は一転します。MtGのカードはポケモンとは比べ物にならないぐらいほど創り込まれ、奥深く、神秘的な魅力を放っていました。
 初めて買ったパックは確か第6版で、本格的にのめり込んだのはオデッセイ・ブロックの頃でした。カードのパックを探して辿りついたのは、私が住んでいた家の近所の商店街、その中にある個人経営のお店で、カードをまったく持っていなくても参加できる日曜日のドラフト大会があると知りました。ほどなくして、両親は毎週日曜日の午後に、私を友達共々その店に「置いていってくれる」ようになりました。

 その個人経営店の先輩プレイヤーはみんな気さくで親切でした。自宅で友達と一緒に練習に励む際、ルールの解釈が正しくない事も一度や二度ではなく、その度に丁寧に教えてくれました。学ぶことはワクワクすることばかりで、しかも、とても重要なのは、私たちが間違っていたからといって、誰ひとり怒ることなく、優しく接してくれたのです。皆さんにも苦労した覚えがあるでしょう、ダメージがスタックに載った時のルールや相互作用は非常に複雑です!
 ともあれ、私がMtGに夢中になるのにさほど時間はかからず、地元のカントリーゴルフクラブでキャディとして働き始めると、より多くのパックを購入できるようになりました。その時私が目を奪われ購入したのは「ファットパック」です。

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 ファットパックにはブースターパックが6パック含まれていて、販売価格は6パックを買うのより少々高い価格設定でしたが、いくつかの面白いグッズが付属していました。ライフカウンターとして使える、セットのシンボルマークがあしらわれた「スピンダウン」ダイス。デッキを組むのに必要な「基本土地」。そして何よりも重要なのは「本」です。
 この本の詳細な内容は覚えていませんが、特にトーメントの本(画像中央)をよく読んだ記憶は覚えていて、私をゲームの背景世界に誘ってくれました。その時突然、ただのカードに過ぎなかったものが、ヒーローやヴィラン(悪役)、強力な秘宝の数々、というものに様変わりして見えたのです。コモンクリーチャーのクリーチャー・タイプは大きなテーマによって成り立ち、どのように形作られているのか、などをも知るところになりました。

 本を読んだり、伝承に触れることで、視界が開け、マジックの世界がどれだけ複雑に緻密に形づくられているのかを理解し始めました。カマールやチェイナー(※)がパックから現れると、とてもワクワクしました――数ドルの価値があるから、ではなく、興味のそそられるキャラクターが目の前に現れたから、です。
 基本的に、当時の私はティミーそのものでした。私が思うに、ほとんどのプレイヤーが同じ体験をしたと思います。私よりも古くに始めたプレイヤーにとっては、ウェザーライト時代のジェラードやウルザ(※)が思い出深いでしょうし、近年のプレイヤーであればジェイスやチャンドラの各次元での旅を追いかけた記憶があるでしょう。とにかく、その経験を通じて、ゲームは特別なものになったはずです。それは本物の魔法(=マジック)のように感じ、私が夢中になるのに時間はかかりませんでした。

(※訳者注3)
 カマールはオデッセイ・ブロック、その次のオンスロート・ブロックの主人公。カマールがカバル・シティを訪れた際に落ち合うのが鎖使い・チェイナー。ストーリー概要は若月繭子(あいしゃ)氏の記事が詳しい。下記リンクを参照のこと。


■スパイクの「猛攻(オンスロート)」

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 カードを集め始め、よりよいデッキを構築できるようになると、競技プレイヤーへの道が拓けます。私はフライデー・ナイト・マジック(FNM)(※)を知り、友達数人と一緒に、自分達の運を試すためにお店へ繰り出しました。幼い頃ポケモンに惹かれた思い出がフラッシュバックしたのを覚えています。
 他のプレイヤーはトレーナーで、手塩にかけて育てたポケモンで戦う代わりに、自分で構築したデッキで対戦相手と戦うのです。カジュアルなプレイからFNM、地域予選、最終的にはプロツアーまでの道のりが用意されています! それを知ると、私は今の自分が大きな何かの一部であるかのように感じることができました。私が上手く戦うことができれば、チャンピオンロードの四天王(=プロツアーTOP8)にだってなれるんだ!ということに気付きました。

 スパイク(※訳注2参照)へ転身した私の当時のデッキはゴブリンでした。当時の私は赤系アグロが好きで、ゴブリンは各パーツのシナジーによってとても大きな力を生み出す、お気に入りのデッキでした。
 デッキを使い込み、各パーツの枚数や、どのゴブリンを生け贄に捧げるべきかという計算と考慮が必要になる赤単を使用しました。各ターンにおける最大効率を叩き出すための計算、先を予測したプレイングなどにおいて、私がプレイしていたチェスで学んだスキルが活用できる、ということを理解し始めました。チェスと違うのは、対戦相手の手札やトップデッキといった非公開情報の存在により、ゲームの予測は難しくなり、よりスリリングな対戦が味わえます。……ん? 非公開情報が、ゲームを技術介入度が低い「運ゲー」にしてしまうと思いますか? しかし、そうした追加要素は、完全情報ゲームをよりダイナミックにできる、価値ある要素だと思います。
 FNMで勝てるようになり始めた時点で、ようやく、ゲームが上手くなり始めた、という実感が湧き始めました。本当にうれしかったのを覚えています。

■ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社

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 その頃、「どこかにこうしたカードを生み出している会社があるんだ」ということをおぼろげながら意識しはじめました。非常に知的な人間が、才能のあるアーティストを囲って、素晴らしいゲームを作っている、という一般的な印象以上を想像し得ませんでしたが。
 そんな彼らの決定に疑問を持ち始めたのは、「ダークスティール」で《頭蓋骨絞め》《電結の荒廃者》が刷られたときでした。《頭蓋骨絞め》は強過ぎて、困惑したことを覚えています。私はゲームに対して、そしてそれを生み出したクリエイターに対して、突如疑問を覚えました。「こんなに強いカードがなぜ刷られたんだろう? しかも、なぜアンコモンなんだ?」と。
 ほどなくして価格が高騰し始めたので、私はトレードですべてのカードを《頭蓋骨絞め》に交換し始めました。この時までに、MtGのカードは投資的価値があることを理解はしていましたが、《頭蓋骨絞め》集めはまるで(ハイリスク・ハイリターンの)ペニー株のトレードをしているように感じていました。そして、《頭蓋骨絞め》の禁止が発表されました(https://magic.wizards.com/en/articles/archive/skullclamp-we-hardly-knew-ye-2004-06-04)。まさかカードが禁止される可能性があるとは! 思いもよりませんでした。私は新たな知見を得たのです。

 どこもかしこも《荒廃者》デッキになりはじめたのもこの頃です。親和デッキ(自分のコントロールするアーティファクトの数に基づき呪文のコストを削減するメカニズム、あるいはそれを使用したデッキの総称)は、余りあるシナジーのため既に強力なアーキタイプでしたが、それにつけても《荒廃者》は強過ぎました。基本土地がそのままアーティファクトになった土地サイクルの存在も相まって、2ターン目に《荒廃者》さえプレイできればそのままイージーウィンが許される状況でした。
 どれだけ親和への対策を施しても、それを悠々と乗り越えられてしまう状況のため、私はフラストレーションが溜まっていきました。しかし、その鬱憤を感じていたのは私だけではありませんでした。
 私も含め、プレイヤーは親和を使うか、極端なアンチ親和デッキを握るかの二択しかありませんでした。《頭蓋骨絞め》が禁止されたなら、このカードが次に禁止されるのは間違いない、と感じるようになっていきました。

 実際は、長い期間引っ張った挙句、ウィザーズはついに《電結の荒廃者》、そしてアーティファクト・土地サイクルを禁止しました(※)。この結果を受けて、プレイヤーの間では「次の禁止は何だろう」と怯え、その日はいつになるのか、と戦々恐々とする日々が続いたことは事実でしたが、その日は(ミラディンブロックの間には)訪れず、メタゲームの均衡がとれた平和な環境を手に入れたのです。

(訳者注4)
 《電結の荒廃者》、《大霊堂の信奉者》、そしてアーティファクト土地サイクルが禁止されたのは2005年3月20日。「ダークスティール」発売(2004年2月6日)から約400日が経ってからの措置。なお、《電結の荒廃者》は「ダークスティール」のパッケージイラストになっていた。

■教訓、そしてカラーホイール

 (上記禁止後に)私に残された高校生活の間、そして大学進学後間もなくのしばらくの期間において、MtGはかなり健全な環境を維持していました。トップメタと呼ばれるデッキは常にあったものの、それに挑戦するデッキにも十分チャンスが与えられていて、メタゲームはこの上なく健全でした。個々に強力なカードはありましたが、どれも壊れていたり、不快に感じられたりすることはありませんでした。この期間は6年間続きました。信じられないほどです!
 この間、私は競技プレイヤーとしてゲームにのめり込み、プロツアー予選(PTQ)などのハイレベルなイベントに参加するようになりました。日の目には恵まれませんでしたが、より高いレベルの中で、大幅にメタゲームをシフトさせるカードを目の当たりにすることができました。

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 《電結の荒廃者》と《頭蓋骨絞め》のミスを決して繰り返さないよう、ウィザーズはプレイテストを徹底していたように感じます。その後、先験の明に欠けていると感じたカードは《タルモゴイフ》がはじめてでした。一見無害に見えるようではありますが、構築を最適化すれば、2マナ3/4、ないし2マナ4/5として運用できることにはすぐ気付けたはずです。それでもまだバニラクリーチャーにしかすぎず、禁止の必要があるほどスタンダードを混乱に陥れた記憶はありません。

 しかし、《タルモゴイフ》が「未来予知」に登場した、という事実は興味深くあります。このセット自体が、未来のセットに登場するいくつかのメカニズムやカードをプレビューする機能を持っていました。非常にクールなアイデアだと感じはしましたが、後から考えてみれば、《タルモゴイフ》は、以降のカードパワーがこれから高くなっていくという予兆としては適切だったのかもしれません。
 すぐ後の《血編み髪のエルフ》のカードパワーは高過ぎて、メタゲームを破壊した張本人となりました。それでも、コントロール一強のメタゲームを崩し、アグロ戦略、ミッドレンジ戦略の活路を開いたという点では評価されるべきだったと思います。この時代に禁止カードが出なかったという事実は、他のカードのパワーが押し並べて低かった、ということの証明にはなりません。

 《謎めいた命令》は、1枚のスペルとしての限界を超えたパワーカードでしたが、極端に強過ぎたというわけではありませんでした。その理由の一つとして、マナコストの関係でかなり唱えづらくはなっていました(デッキに手放しで4枚入れる、という仮定においては唱えづらさは足を引っ張る要素です)。2色地形は常に「高価なカード」ではありましたが、おそらくTier1デッキにとって絶対不可欠であり、それが価格の急激な上昇を招くひとつの要因になったと思います。それはそれとして、《謎めいた命令》には別の、青のフレーバー(フレーバーテキストのことじゃないですよ)を表現するという明確な目的があったのです。このカードはMtGにおける「青」の役割を表すこの上ないカードで、カードアドバンテージ獲得手段、効率的な戦場への干渉手段として、効率的なカードです。

 今では、それぞれの色の役割、メカニズムを理解していますが、大学にいる間、ゲームの本質についてもう少し深く考えるようになりました。下図はこの時の考えをまとめたものです。

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 カラーホイールについてよく考えることで、ゲームに対する新たな評価軸を得ることができました。皆さんもよく知るように、文明そのものを網羅しているのです。
 自然(緑)から抜け出し、権威と秩序を形成する(白)と、知識を(青)得られるようになり、それは次第に権力と支配を目的として求める知識(黒、しばしば邪悪とみなされます)となります。赤は自由と革命の精神を体現しつつ、秩序が(腐敗により)崩壊した場合は、再び混沌に陥り、社会が崩壊することで、再び自然(緑)に戻る……といった具合です。
 そのサイクル内では隣同士が先後の関係にあるため、隣り合う色同士が「同盟」であり、隣り合わない色が「敵対」する、ということは理にかなった設定です。実際は、カラーホイール全体が我々の世界で同時に存在しているため、この均衡が崩れることはあり得ませんが、我々はカラーホイール中央のあたりに残りながらバランスをとって、それぞれの「色の役割」の長所と短所をよく理解することで、その脅威から逃れることができているのです。

 クリエイターの意図がどうであれ、カラーホイールの概念は個々のカードをより深く理解するための頼りになる枠組みといえるでしょう。これをよく《思案》することで、ゲームをより魅力的なものにするものは何か、ということを明確にできます。各色(あるいはその組み合わせ)の特色やメカニズムが浸透すればするほど、美しいデザインになります。確かに、個々のカードを個別にみればフレーバーから少しはみ出る程度のものはありましたが、99%以上のカードがこの枠組みの中で説明できるため、誤差の範囲でしょう。


■マジックの来るべき姿

 2010年代前半は、MTGプレイヤーになるのにはうってつけの時期でした。象徴的なカードが多く印刷された時期でもありますが、おそらくは、《精神を刻む者、ジェイス》を差し置いて語るに値するカードはないでしょう。

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 ウィザーズは、《ジェイス》を印刷する際に自身が何をしているのかを正しく認識する必要があったでしょう。こうしたカードを生み出すことは多くの利点があります。強力なプレインズウォーカーはより魅力的なゲームにプレイヤーを誘うための手っ取り早い方法であり、高価なカードが当たるかもしれないという期待はパックを開ける際のワクワク感が高くなります。
 《ジェイス》は神話レアの縮図であり、私の認識が間違っていなければ、ウィザーズが売り上げを伸ばすための策として生まれたのが《ジェイス》だったに違いありません。《精神を刻む者》は極端な例ではありますが、基本的にはゲームを歪ませてしまい、勝つためには必須となるカードとなってしまいました。

 《ジェイス》は我々の記憶に永遠に残るほどの強烈なインパクトをスタンダードに与えましたが、結局《石鍛冶の神秘家》とともに禁止されました。これらの禁止は、当時のスタンダードを支配していた数あるデッキの主軸だったため、プレイヤーの驚愕は計り知れませんでした。この禁止はやむを得ませんでしたが、この時点でWotCへのプレイヤーの信頼は揺らいでいました。ウィザーズはプレイヤーの見地よりも売上至上主義に走ってしまっていると思われたのです。本来であれば、その信頼を取り戻すために何か策を講じなければならなかったのですが――

 ウィザーズはそれを為しました。ゆっくりと、時間をかけて。《ジェイス》の事件から数年の間にかけて、カードが禁止されるような事態には陥りませんでした。ウィザーズは、ボックス販売を加速させるための強力な神話レアを印刷することと、競技プレイヤーのために多様なメタゲームを形成し維持することとの、この2者間の微妙なバランスを保ちながらセットを作り続けたのです。個人的には、私はこの間、ウィザーズがゲームとうまく向き合ってきたか、感銘を受けざるを得ません。
 しかし残念ながら、その背後では徐々によくないことが起こってきました。私が言及すべきこの微妙な問題は「カードパワーのインフレ」です。このトピックに関する記事は良いものがたくさん存在していますから詳細はそちらに譲るとして(※)、カードの強さは近年加速度的に高まっており、それを続けることの可能性についてはコミュニティ内でも常に懸念されていました。
 ウィザーズを擁護しておくと、2010年代半ばまではインフレ傾向は抑え気味で、ゲーム内でもそこまでの問題には発展していませんでした。《精神を刻む者、ジェイス》以後の数年間、問題が起きなかったことは真実なのです。

(※訳者注5)
 カードパワーのインフレ等の話題については、拙訳「スタンダードを台無しにしたものの正体」が詳しいので、そちらもご覧ください。


 私個人の話をすれば、2014年頃に競技プレイヤーを引退しました。なので、2014年から2017年の間にかけては、私はMtG、とりわけスタンダードについてはよく知らない時期であることは間違いありません。とはいえMTGOでドラフトを無限に(とまではいいませんが)プレイしたていたので、この記事がそこまで正確だとは言えないかもしれません。しかし、MTGAのベータ版がリリースされるにあたり、ゲームを再開し、ゲーム少年に戻ったのです。

■MTGAの時代

 問題について語る前にまず、MTGAには良い点がたくさんある、ということを主張しておきたいと思います。MtGのオンライン化という観点において、常にうまく機能する、使いやすい現代的なインターフェースがついに備わったと感じています。更新や新機能の統合に関して問題が発生したり、いくつか重大な失敗もありましたが、全体からすれば些細な問題に過ぎません。MTGAは私にMtGを定期的にプレイする機会を与えてくれました。
 ちょうど私が娘を授かる頃に発表され、大変な子育て期間を乗り切るために必要な絶対的で完璧なゲームでした。私はMTGAを通じて、実際に(テーブルトップで)やるとすれば膨大な時間がかかるであろうゲームを、その時間のほんの一部だけでプレイすることができたのです。ゲームが気軽に楽しめるような形でなかったなら、今私がこの記事を書いていることはなかったでしょう。その点では、MTGAにはとても感謝しています。
 しかし、誰もがMTGAでそれぞれ経験しているとは思いますが、技術的な失敗があったことは事実です。ビデオゲームという括りからすれば、バグ、機能実装、コミュニティへの呼びかけという点ではレベルが低いとは思いますが、最悪というほどではありません。
 それでも、問題があるように感じられてならないと皆さんは思うでしょう、それこそが問題なのです。ゲームプレイとカードデザインはいつでも議論の対象になっていましたが、ウィザーズが大英断をしなければならないと思うほどに、長い間、永遠にも感じられる課題が浮き彫りになっていたのです。

 私が最初にそのことに気付いたのは、MTGAの構築戦が「何か違う」と感じたときでした。当初は、(1)しばらく定期的なプレイから離れていた、(2)ユーザーインターフェースが(MTGOと)全く違った、(3)歳をとったためゲームについての見方が変わっていた、ということが原因なのかな、と考えていました。
 それでも、いくつかのセットが発表されていくにあたり、いくつかのことに気付き始めました。カードパワーのインフレ(原文:Power Creep)は手に負えなくなり始めていたのです。総じてカードのコストが、以前のスタンダードよりも平均1マナぐらいは安くなっていました。最悪だと感じたのは、《ドミナリアの英雄、テフェリー》です。《精神を刻む者、ジェイス》の再来とも思えるこのカードは、徐々にメタゲームを支配していきました。

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 《時を解す者、テフェリー》は実際に禁止されましたが、禁止措置は遅すぎました。対戦相手をソーサリースピードの行動に制限しながら、対戦相手のカードをバウンスし、アドバンテージ的にも損をしない、というのは完全にやりすぎです。しかし実際には、この3枚のカードはすべて、対戦するとフラストレーションがたまる強力なデッキを《刻む》のに必要不可欠だったのです。当時、インフレを超えた「超インフレ(原文:Power Leap)」の真っただ中にあり、どのカードを禁止すべきかを考えるのさえ困難を極めました。《世界を揺るがす者、ニッサ》について禁止すべきだという主張が多くあった際、彼女は多くのデッキで絶対的な存在だったため、彼女が早い段階で禁止されていたら、他のカードは禁止を免れたかもしれません。そして、非常に多くのカードが禁止される事態となってしまいました。昔からMTGAまで、私の話は20年近く前から一続きの話をしてきました。しかし、ここ2、3年の間に20以上の禁止カードが生まれる羽目になりました。何がそんなに悪かったのでしょうか?

 そうですね、問題の一部は、カードアドバンテージ、あるいはマナアドバンテージを「悪用」する方法が生み出されてしまったことにあると感じています。

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 こうしたカードは活躍するまでに時間を要するものの、ランプデッキやコントロールデッキならすべてのデッキが使えるものなので、予想よりもはるかに早くゲームを終わらせることができる傾向にありました。
 とはいえ、本音の部分では、ウィザーズがこれらのカードを印刷したことを非難すべきではないと思っています。7マナの《Time Walk》と奇妙なコンボ用の土地は「俺が禁止カードだ!」という出で立ちではなかったと思います。
 しかし、《運命のきずな》はインスタントであり、デッキの一番下に戻り無限に唱えられる点はかなり問題だったと思います。《自然のらせん》《荒野の再生》《伝承の収集者、タミヨウ》といったカードとの組み合わせによるコンボは容易に達成可能なものでした。一番の問題は、とりわけMTGA上において、いわゆる「ターボフォグ」デッキと対戦する相手は楽しくない、ということです。対戦相手のターンが過ぎるまでにかかった時間の長さにただただ疲れてしまい、特に当時のMTGAのタイマーに追われ深刻な操作が必要でした。
 ウィザーズは《運命のきずな》のようなカードを印刷することにの危険性についてはある程度考慮すべきだったのです。残念なことに、ウィザーズはあまりにも多くのカードを供給しているため、MTGAのインターフェース上でどのようにプレイされるかを十分に考えていなかったと思います。

 さて、《運命のきずな》問題について考える際、ミシックチャンピオンシップ3、Matias Leverattoがシミックネクサスで優勝した時のこと(※)を思い出しましょう。非常に興味深いことに、彼はMTGAの予選プロセスを経て本選出場機会を得たのです。私もまたミシックチャンピオンシップ3の予選をプレイしたことがあり、突破することはできなかったものの、非常にワクワクする経験ができました。私は最大で8勝を記録したものの、この本選出場システムが嫌いになる程度には予選突破は難しいものでした。テーブルトップ時代と同様に、よく考えてデッキを構築し、正確なプレイを行い、重要な局面でマナスクリューやマナフラッドを避ける必要があるわけで、オンラインだから何かが変わる、というわけではありません。いわゆる「バカヅキ」が必要である、と言いたいわけではありませんが、すぐに可能性が潰えてしまうような負け試合をできるだけ起こさないことは重要です。なぜなら、強いプレイヤーに対しても戦う中で1~2戦しか落とさずに多くの試合に勝つ、ということは信じられないほど難しいことだからです。

(※訳者注6)
 ミシックチャンピオンシップ3は2019年6月に開催されたMTGアリーナ上の大会。総勢68名が参加、マジック・プロリーグ所属選手の他に、MTGA上での厳しい予選を勝ち抜いたプレイヤーにも参加権が与えられた。マティアス・レヴェラット選手もその一人。
 決勝ラウンド4人のうち他3人はいずれもプロ(あるいは殿堂入り選手)。Shahar Shenher選手は赤単、Brad Nelson選手とKai Budde選手はエスパーヒーロー。なお、シミック・ネクサスで出場したのは68人中4人だけ(Autumn Burchett選手、Emma Handy選手など)。


 MTGAをシステムとして使用するMTG Esportsのコンセプトは素晴らしいと思います。いつの日か大きなイベントで何か成し遂げることができる、その一員であり続けることができる、という点は、私がMtGに復帰するのには十分な理由でした。しかし、正直なところ、その過程ではフラストレーションがたまる一方でした。大きなイベントの運営や告知に関しては、まだまだ足りない部分が多すぎます。多くのケースでは、そもそもミシックチャンピオンシップが開催されていることすら分からなかったし、それが告知されていたとしても、自身に関係あることだと思いもしなかったのです。私が無関心過ぎるということもあったのでしょうし、私がカウンターストライクやDOTA(※)のイベントを見るのに夢中だったこともあるのかもしれませんが。ウィザーズはいよいよ、オンラインでこうした継続的な告知を行うべき立ち位置になったにもかかわらず、その準備が不足していると言わざるをえません。


(※訳者注7)
 「カウンターストライク」はバルブ・コーポレーション(発売当時はバルブ・ソフトウェア)社開発のFPS(ファーストパーソンシューティング)ゲームのタイトル。2000年のリリースから長く遊ばれているFPSの雄。
 DOTAもバルブ・コーポレーション初のチームストラテジー系ゲーム。こちらはWindowsベースで発売。ウォークラフトに近いゲームだが、ファンのコミュニティが充実していることがひとつの特徴。

 とある時点で、私はスタンダードを引退しました。幸運にも、MTGAには素晴らしいリミテッド環境が多くそろっていたので、ゲームの大部分はそこに費やし特化することにしました。スタンダードの問題の大部分は、常に良質な「エンジン」に恵まれすぎている、ということだと思っています。

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 《実験の狂乱》は天寿を全うしたものの、赤いデッキのメインエンジンであり、赤の立ち位置を高くする原動力になっていました。この種のカードはパワーが高いというだけでなく、ランダム性が高く、多くのゲームが戦術的でない「引きゲー」を誘発してしまうため、腹立たしいものになってしまいました。とはいえ多くの場合、根本的な問題は、《荒野の再生》《創案の火》などの核となるカードでした。《再生》はターボフォグにとっては夢のようなカードでしたが、《運命のきずな》と組み合わせることで常識外のデッキが生まれてしまいました。《ニッサ》の例と同じく、おそらく禁止されていれば他のいくつかの禁止は出なかったでしょう。

 《創案の火》は非常にバランスの取れたコンボの核となるべきカードでしたが、残念ながら悪用され過ぎました。ウィザーズに公正を期すために言っておくと、ウィザーズはそうした「前例のない」強力なカードとのバランスをとるために、勇敢と呼ぶべき努力をしました。《大釜の使い魔》《魔女のかまど》(偶然にも、MTGAのシステムの都合上、《運命のきずな》と同じくらい面倒な組み合わせでした)のように、意図的に生み出したコンボによって、以前の強力なコンボと対抗できるようにしたのです。とはいえ、他方ではインフレ問題が顕在化していて、それ自体は問題にならない高いコストのカードが、はるかに早くプレイされるようになっていたのです。あるいは《裏切りの工作員》のように、コンボの可能性があるカードも生み出されていました。

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 現在に至るまで、ウィザーズはこうしたカードを印刷して、放置しているようにしか見えません。正直、《ウーロ》《オムナス》を見たときは「は?」「なんで?」という印象しか持てず、空虚な気持ちになりました。この時点での禁止枚数は――途方もない枚数になっています。ある意味で、それはかつてのゲームへの冒涜にも感じられます。そして、ゲームの方向性から見た限りでは、ウィザーズがそうしたプレイヤーの声に真摯に向き合っているとは到底思えません。私がプレイする他のゲームについては、プレイヤーベースとの合意が高く形成されていますが、MtGからはそれを感じません。

 ベータ版からリリースに至るまでのブログの更新(※https://mtgazone.com/mtg-arena-state-of-the-game-september-2019/)によってある程度コミュニケーションの機会が与えられていましたが、それは自主的な発表であり、問題が出たときにはじめてコミュニティの声を聴く、という類の対応でした。もちろん、ゲーマーという生き物は何についても不平不満を言うので、すべてに対してフィードバックすることはできませんが、そもそもプレイヤーの潮流すら感じ取っていないと感じます。フレンドリスト、対人ドラフト、モバイル対応などの新しい機能を実装するペースも鈍いままです。さらにひどいのは、禁止やバランス調整に対する反応が遅すぎることです。「相棒」は分かりやすく失敗したセット全体のメカニズムとして問題となった例ですが、最終的に修正されたものの、はっきりとした汚点が残ってしまっています。

 アリーナは「無料プレイ」をうたっているにも関わらず、収益を上げるためにカードスリーブやアバター、シーズンパス、ゲームモードでの一部課金を採用しているため、こうした問題を野放しにすることは許されません。明らかに優先されているのは収益構造です。ブースターパック、Foilやプロモカードという形で付加価値を生み出してきた企業なので、こうした振る舞いに今更目くじらを立てる必要はありません。結局のところ、ウィザーズの企業活動はビジネスでしかないわけです。しかし、顧客へのリスペクトはビジネスシーンで例外なく大切であり、競争が激化する際に問われるのはここです。
 ウィザーズは実際の「町」においては最高のゲームを生み出し続けてきたリーディングカンパニーなので、プレイヤーはペテン師のような誤魔化しにも我慢し続けけなければなりませんでした。結局、新しいプレイヤーでさえ彼らのゲームに群がってきました。しかし、ウィザーズはもはやプレイヤーたちの声を尊重しなければならない地点に達してしまったのではないでしょうか。

 MTGAはすでに、他のカードゲームではなく、他のビデオゲームと競争すべき立ち位置に移行しているのです。新しいプラットフォームは新しいプレイヤーを獲得できますが、彼らの多くは何か問題が起こればすぐ離れていくということに留意すべきです。実際に問題が起こっています。ウィザーズが本当に注意すべき点はここであり、ゲームというのはそういう基盤であるということは忘れてはなりません。
 ウィザーズはその問題の修復に注力すべきであり、観客に向けたゲームへの拡大をしている場合ではない、と、ここではっきり明言しておきます。しかし、プロモーションセットやウィザーズとのコラボ商品の発売は、現在のプレイヤーではなく、新規プレイヤーの拡大にしか目が向いていないとしか思えません。

■売り切れ!

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 これらのカードはますます派手で高価になっていきますが、体験としてはチャチなものにすぎません。どの時点で(本来のMtGのプレイに)合流するのでしょうか?
 私はゴジラについては何も持っていません。代替アートの多くは素晴らしく、私は《決戦兵器、メカゴジラ》を通じて日本語の各種「カウンター」の種類を覚えられたのですが、なぜ「ゴジラ」でなくてはいけなかったんでしょうか?
 私は「the Walking Dead」も好きで、コミックスは全巻読破していますし、素晴らしい漫画だと思います。実写版は少し落ち度はありましたが、それでも素晴らしい演出は垣間見れました。それでも、どうしてリックやミショーン(※)がカードになる必要があったんでしょうか? ゲームのカラーホイールとメカニズムは確固たるものであり、確かに応用幅は広く、何にでも適用できる概念です。すべてのキャラクターがTRPGの「ダンジョンズ&ドラゴンズ」のキャラクターとして再構成できるのと同じように。しかし、率直に言いますが、これらのカードは無味乾燥と言わざるを得ません(テキストが弱いとかそれだけの意味じゃないですよ)。見方を変えれば、無理やり作ったカードとしか思えません。「ミショーンが2体のゾンビを連れてきて、破壊不能を得られるのはよくわかる。でも、なんで彼女は緑と黒なんだ?」

(※訳者注8)
 「ウォーキング・デッド」はウォーカー(ゾンビ)によって世界が滅ぼされた後の世界を描くドラマ。シーズン10以上が制作される人気シリーズ。
 リック・グライムズは主人公の元保安官代理、ミショーンはシーズン2から登場する、元弁護士の女性剣士。イラストから分かる通り、獲物が日本刀。

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 それから上記のこれらは、アートやカードデザインがこの枠組みの中ですべてに優先されているということが分かるもう一つの例です。どのような決定が下されているのか私には想像も及びませんが、利益が最優先であり、アートはそこに対する付加価値でしかない、と認識していると思わざるを得ません。ウィザーズはクロスオーバーによって新しいファンを惹き付け、強力なカードの別バージョンを再販することで収益を確保していくことを望んでいるのでしょう。
 この事業モデルに持続可能性はありますか? 時間がたてばはっきりわかるでしょう。しかし、それまでの間に、直近のゲーム状況に戸惑い、愕然とする新規プレイヤー、あるいはベテランプレイヤーが大勢いることは間違いありません。

■今のところはこれで終わり

 この話の顛末がどうなるかはわかりません。八方手を尽くしてもハッキリとしません。おそらくこうした問題提起もスルーされ、数セットが発売された後には、この記事も埃を被っていることでしょう。そうなればいい、とも思わなくはないですが、今回ばかりは違う形になることを望みます。
 ともあれ、MtGは私の人生の中で20年を過ごした大きな存在であり、そのことには感謝しています。同時に、見方を変えれば、今のウィザーズは私に向けてゲームを作っていないんだな、と感じることも確かです。こうした問題を解決する方法はあります。スタンダードにおけるカードパワーのインフレを抑制し、超強力な神話レアをしっかりとテストプレイすることで対策ができます。また、完全受注生産のカードセットという金策に走ることを自粛することもできます。
 しかし、正直なところ、こうしたことが行われるとは全く期待できません。ウィザーズはもはや旧態依然とした企業でしかなく、突然行動が変わるとは思えないからです。私の選択肢は「辞める」「受け入れる」の二択しかありません。今のところはまだ「受け入れる」に傾いていて、まだリミテッドのプレイを続けていこうと思っています。スタンダードの記事については、今のMtGに対する情熱が覚めた状態では書けないので、期待しないでおいてください。
 願わくば、この記事を読んだあなた自身が、今の事態に対してよく考えてくれることを。11月にはMtGの戦略記事を書くことになると思います(※)が、今回の「旅」は私にとって大切な機会になりました。皆さんにとっても、楽しめる内容であったなら幸いです。

(※訳者注9)
 この記事の筆者、Compulsion氏が執筆したのが、前回拙訳をお届けした「カラデシュリマスター リミテッド概要」です。当noteでは順番が前後していますが、こちらも併せてご覧ください。下記記事の冒頭に不可解な一文が入っていますが、この記事を読めばなんとなく意図が理解できると思います。


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