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「作品の声」-ほんものの魔法使いより-

  バウホールで上演されてます、朝美絢さん主演「ほんものの魔法使い」を観劇しました。アーサー(親しみを込めて)の2度目の主演作品。原作に書かれているのは、ジェインとニニアン2人の成長物語とも、ファンタジックな物語の中に人間の可能性や希望・夢また愚かさ・欲望・孤独…人間が生きていく中で想像力の大切さ等、人生の哲学的な事が含まれている作品とも言われています。特別な能力を持ちながら、当たり前の様に人に関わろうとしている無垢な少年アダムは、「孤独」だからこそ「優しい」存在でありました。あんな風に不思議な存在が現実だと認識出来るのは、宝塚の舞台ならでは…夢の存在です…

今日は、作品の「声」について書いていこうと思います。

 私たちタカラジェンヌは、お稽古集合日に台本をもらい、本読みをします。(大体において。笑。出来てない時が…)この時、初めて台本に触れる時、作品が作者が何を訴えてきているのか、作品の「声」を聞く必要があります。役が自分に入り込むともう客観的になれないので、役作りを始める前です。本を初めて読んだ時はとてもとても大切です。(再演が初演を越えるのが難しいのはこのせいもある様に思います)その作品の作者が何を感じたが故に、何を伝えたいが為にその作品を書いたのか、何かあった筈。(「ハリーポッターの作者」は何かに突き動かされる様に書いたらしい…そんな作家は例外かもしれません)その中で、読み手は自分の過去の中から何かを引っ張り出してきて、共感したり、反発したり、発見したり、涙したりする筈です。その衝撃がある程、忘れられない作品、多くの人の共感を呼ぶ作品になります。舞台だって同じ。台本の力は偉大です。演出家の「声」、その中にある原作者の「声」。舞台は共感の連続です。作品への共感。役への共感、相手役への共感、お客様との共感。台本にエネルギーがあれば、物語の虜になれば、演者を自然にラストシーンまで連れていってくれます。つまり心が物語に恋するかです。千秋楽のその日まで、演者はその台本の「声」=想いをいつも胸に秘めて演じる必要があると思います。

 「ほんものの魔法使い」は、観た後に、「声」が沢山聞こえてきそうなのにハッキリとは分からなかったのです。でも胸の中に何か忘れ物があった気がしました。というか、私は帰り道すがら、ずーっと心に何を感じたか問い続けました。何が引っかかった?このモヤモヤの奥にあるのは?一つ一つ紐解いているうちに、アダムの言う魔法、マジェイアの人々の言う魔法。どちらも正解ですが、捉え方で未来は大きく変わる。今の私は、夢を想像をして信じられているだろうか?諦めてはいないだろうか?でも確かにあった、想像が現実になった事が…信じて行動した自分がいた。そんな過去を思い出しました。同時に、説明の出来ないものへの恐れや、怖がっている自分にも出会いました。もしかしたら、この物語は作者の想いを超えて、読み手によってどんどん違った物語になっていける様な本かもしれません。でも確かに、作品の「声」が聞こえました

貴方はどう思いましたか?観た後に意見を交わしたくなる作品。こんな余韻は、とても有意義です。この作品の「声」貴方はどう感じますか?それを通して自身になんと問いかけましたか?今は難しいけれど…本当は観終わったら語り合いたい。

やっぱり、人間が好きだと思えた時間でした。

すーさん






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