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僕と私が#2

Xジェンダーという言葉を知ったのは、それからずっとずっとあとの、大学2年生のときだった。

その時の私は、とある地方都市の大学に進学していて、そしてどうやら自分のセクシャリティは‟治らない”ものらしいと薄々気づき始めていた。

学年が進むにつれて、自分の中での男と女の色がそれぞれよりハッキリ存在感を示すようになってきて、高校生になるころには僕であることが多くなった。

ただ私はそれを環境によるものだと考えていて、だから楽観的だった。この環境じゃなくなれば元に戻るんだろうなと漠然と思っていたのだ。

当時の私が通っていたのは県立の女子高で、バスケのために髪を思いっきり短くしていた私は、もう入学したその日から、誰に決められたわけでもないのだが「男の子役」だった。

授業中に教室に乱入してきた虫を退治するのも、日直が集めた全員分の数学のノートを職員室まで運ぶのも、私の出番。進んで買って出たところもあったが、どちらかというと自然とそうなることが多くて、嫌なわけではなかったが、もう自分の中にはほとんど私はいなくて、四六時中もう僕だった。

だから、卒業すればもとに戻るだろう。
今、目の前で顔を赤くして私に手紙を渡してくれているこの子が、男性のいる世界に行けば当然のように「男性を好きな人」に戻るように。

僕だってしれっと私に戻ることはできるだろう。
これを機に、私に戻って、ついでに僕を捨てて、そろそろみんなみたいな、うまく言えないけど、所謂「ちゃんとした女性」になろう。

そう思っていた。

結論から言ってしまうと、「ちゃんとした女性」にはなれなかった。
正確に言うと、私に戻ったこともあるのだが、やはり僕がいなくなることはなく、相変わらず僕と私が‟カチッ”と入れ替わるボールペン人間のまま、大人になった。

大学に入って、髪を伸ばした。
化粧をして、雑誌に載っていた春っぽいスカートをはいて。
今思うとその頃の私は、無意識のうちに「僕撲滅運動」をしていたのかもしれない。

そして、すぐに彼氏を作った。大学に入学したばかりで浮足立っているキラキラの18歳が軽く1,000人はいる状況で、恋人をつくるのは容易いことだった。

今思うと、好きだった、はずだ。
彼のことはカッコいいと思っていたし、それなりにドキドキもしたし、取り立ての免許での危なっかしいドライブとか、深夜のコンビニ&TSUTAYAコンボとか、大学生のカップルがするようなことは一通りして、ちゃんと楽しかった。

自分で言うのもなんだが、「私」は可愛い彼女だった。
私たちに、問題なんてなにもなかった。

でも、ある日、可愛い彼女である私は、僕になってしまった。
ハッキリした理由は分からないが、撲滅運動により抑圧されていた僕が息を吹き返したように、僕は僕の中に現れたのだった。

そしたら、世界が一変した。
自分のクローゼットには着たい服がない。
髪を切りたい。化粧も気が進まない。

でも授業には行かなくちゃいけなかったから、とりあえずできる限り身体のラインの出ないようなTシャツとジーパンを身につけ、高校の時に使っていたバックパックを引っ張り出して、部屋を飛び出した。

講義室に入り席についた私は「寝坊しちゃったから今日は適当なんだ」と誰に何を聞かれたわけでもないのに先手を打って言い訳をしておいた。

「亜希ちゃん、急にどうしたの」と聞かれたら、「それが今日から僕になりまして」と言ってしまいそうだった。もう昔みたいに「どうもしてないよ」と純粋に答えることができない。それくらいに色々なことに気づいてしまっていた。

私が僕になってからは、もうあっという間だった。
シンプルでシックな服で全身を固めた。
胸のあたりまであった髪は切られ、耳が出るくらいのショートになった。
aikoとチャットモンチーばかりだったプレイリストは消去され、代わりに洋楽ばかりを聞くようになった。

周りは私の変化に驚いていたが、ボーイッシュな感じも似合うねと褒めてくれた。

出た、ボーイッシュ。だから違うんだってば。

私も僕の急激な登場には驚いたが、それ以上に驚いたのは彼だった。
ただ、彼が本当に驚いたのは、私の外見の変化ではなく、確かに変わってしまった内面に対してだった。

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