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大学生×考える 植物防疫所の取組について学ぶ

 東海学院大学管理栄養学科の1年生です。今日は農林水産省名古屋植物防疫所 調整指導官 水野孝彦先生から「植物防疫所の取組について」お話をお伺いしました。

病害虫のまん延による深刻な農業被害の歴史について知る

 1840年代にアイルランドの主食であるジャガイモに疫病が発生し、まん延して壊滅的な被害を受けました。そのため食糧不足などで100万人が死亡し,200万人が国外への脱出を余儀なくされたそうです。
 日本においても1732年(享保17年)に水稲の葉を食い荒らす害虫である、「ウンカ」などが大発生して水稲に多大な被害を与え、265万人が飢え、1万2千人が餓死したそうです。お話をお伺いし、歴史で「享保の大飢饉」について習ったことを思い出しました。江戸時代は薬剤で駆除することもできなかったと思うと、当時の人は、害虫が発生した理由を知る術はもちろん、対処する方法もなかったのだろうと思います。当時の対策としては,水田に油をまいてウンカを窒息させるか,神仏に祈るしかなかったそうです。

植物検疫の歴史を学ぶ

 世界で最初の植物検疫は,1872(明治5)年ドイツで始まったそうです。アメリカからフランスに侵入したブドウネアブラムシからドイツのブドウ園を守るため,フランスからの繁殖用ブドウ苗木の輸入を禁止したとか。
 フランスのブドウ園は壊滅的な打撃を受け、ブドウ生産がほぼ壊滅。ワイン生産量が1/3に減少したそうですが,ドイツではブドウ園を守るために植物検疫が始まったそうです。
 持ち込まれた苗に付いている小さな害虫から、このような甚大な被害が発生してしまうことに驚くとともに、植物検疫の重要性を知りました。

日本の植物検疫の歴史を知る

 日本で植物検疫制度は,米国から農産物の輸出時に植物検疫証明書の添付を要求されたため、1914(大正3)年に「輸出入植物取締法」が制定されたのがはじまりです。1946(昭和21)年には「輸出入植物検疫法」が制定され、その後1896(明治29)年に制定された「害虫駆除予防法」と合わせて1950(昭和25)年に今ある植物防疫法が制定されました。令和5年4月現在、984人の植物防疫官が全国の空港や港などでこの法律にもとづく職務にあたられているそうです。

みんないろいろと質問しています。

お話を伺った私達学生の感想です

「貨物、手荷物、郵便物など様々なルートで病害虫が日本に入ってくる可能性があることを知りました。小さな病害虫を見つけるのも相当な知識が必要となる大変な作業だと感じました。輸入農産物を見るたびに感謝したいと思います。ありがとうございます。」
「東南アジア地域の果物に寄生することが知られているミカンコミバエ種群が日本に侵入した場合,かんきつ類などに大きな被害を与えるおそれがあるため,寄生することが知られている植物の果実はミカンコミバエ種群の発生地域から輸入や持込ができないなど、国や地域によって警戒する対象が異なっていることを知りました。その組み合わせは膨大な数になり、これまでの寄生報告などのデータに基づいて規定がされていることを知りました。」
「病害虫が一度発生してしまうと、まん延防止のために様々な対策がとられていることを知りました。緊急防除の実施例もお伺いし、身近でこういったことが起きていることに驚きました。」
「植物防疫所に公式キャラクター『ぴーきゅん』。テントウムシの植物防疫官で目のかたちがPQで、植物Plant  検疫Quarantineの頭文字だとか、背中の星は5つで横浜・名古屋・神戸・門司・那覇の植物防疫所の数。ぴーきゅんには深い意味があるのだと感心してしまいました。」
「病害虫の侵入を防ぎながら貿易を拡大するためには、リスクに応じた検疫措置などさまざま協議を通じて作られた国際的なルールの遵守が必要であることを知りました。大変複雑な取り組みが行われているのですね。」

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