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【SPIRIT of SEAGULLS】vol.2「ごめん、どうしても東海に行きたい。」 池﨑圭祐('17年度卒)

「SPIRIT of SEAGULLS」とは…
多方面で活躍するSEAGULLS OBに、在籍中に感じたことなどについて執筆してもらう連載企画です。


「ごめん、どうしても東海に行きたい。」
私の人生が変わった瞬間でした。

 中学校から本格的にバスケットを始めた私の選手としてのキャリアは平々凡々。目立った成績はなく、高校時代の最高成績は東京都ベスト64でした。ただ、約300校がひしめき合う東京都では“ノーシードからベスト64”はなかなか頑張った方なんです。でも結局シード校には歯が立たなかった。関東大会や全国大会なんて、別の世界の出来事でした。

 そんな私が、「日本一」のチームに飛び込み、最後はBチームのヘッドコーチまで任せてもらうことになった。他の誰とも違う、道なき道をマイペースに進んできた私の話です。


「東海か、東海以外か。」

 私が通っていた高校は都内でも有数の進学校で、ガシガシと机に向かう昔ながらの男子校でした。常に受験を意識し、山のように課題が出る毎日でしたが、私の頭の中はバスケットのことばかり。引退を迎えた高3の6月以降も、バスケットが頭から離れず、気持ちを切り替えられずにいました。そんなときにたまたま地元の友人が見せてくれた東海大学のパンフレット。当時4年生の田中大貴選手('13年度卒/現・アルバルク東京)が大きく写った体育学部のページに目を奪われました。これが私とSEAGULLSとの“であい”でした。

 それから私は東海大学とSEAGULLSに興味を持ち、体育やスポーツに特化した勉強ができる体育学部や、高校オールスター級の選手が集うSEAGULLSに強く惹かれていきました。また、トライアウト(入部テスト)に受かれば、実績がなくても入部するチャンスがある、という話を耳にしたのがトドメの一撃。以降、「東海大に進んで、SEAGULLSに入る」ということしか頭にありませんでした。まさに「東海一択」。しかし、何の保証も無い一般受験ということもあり、また進学校に通わせてもらっていた手前、いわゆる“難関”私大や他の体育系大学も受験することにしました。(絶対東海に行くけど一応!という思いで)

 そして、2月末。無事、東海大学体育学部競技スポーツ学科に合格。蓋を開けて見れば、他の大学も全て合格、全勝でした。その中には、記念受験のつもりで受けた“難関”私大もありました。私としては、第一関門を突破しひと安心と思っていたのですが、そう簡単にはいきませんでした。東海一択だった私の気持ちとは裏腹に母は、受かった大学の中で一番“優秀な”大学に行くだろうと思っていたようです。私のいた高校は大多数が難関大や国公立を目指していたので、そう思うのが“普通”だったかもしれません。そのせいで大いに揉めました。母には愛想を尽かされそうになりました。何日も口を聞かなかったのは初めてでした。

 しかし、私の気持ちが揺らぐことはありませんでした。なぜなら、「東海大に進んで、SEAGULLSに入る」ための受験だったからです。たとえどれだけ“いい”大学に受かったとしても、私は東海を選んだと思います。(ただ事前に、しっかり気持ちを伝えておくべきでした。そこに関しては大いに反省しています‥。)

「ごめん、どうしても東海に行きたい。」

 過酷で、刺激的で、フルフルワクワクの世界へ、第一歩を踏み出した瞬間でした。


「選手?スタッフ?」

 2014年4月、これから始まる新たな挑戦に胸を躍らせながら、東海大学での生活がスタートしました。しかし、入学早々私は大きな決断を迫られます。

「今年は付属高から10人近く入部することになっているから、選手で入るのは厳しいよ」

そんな噂を耳にしました。「マジか‥.」と思いました。「選手でチャレンジして、もし落ちたら‥.」、「何のために東海に来たんだ‥.」、色んな感情が頭の中をぐるぐるしていました。

 SEAGULLSのトライアウトでは、まず選手希望かスタッフ希望かをはっきりさせる必要があります。私はもちろん選手でやりたかった。バスケットマンがプレーを続けたいと思うのは自然なことです。しかし、揺らいでしまった。「もし落ちたら‥.」、その思いを払拭することはできませんでした。結局自信がなかったのだと思います。
 そして私は選手への未練を断ち切って、スタッフ希望でトライアウトを受けることに決めました。

「明日からBチームに行って」

 トライアウトに無事合格し、SEAGULLSの一員としての活動が始まりました。ここから私は大学院を含め計6年間、SEAGULLSでスタッフとして活動することになります。そして私は、最初の1か月を除く、ほとんどの時間をBチームで過ごすことになります。

「明日からBチームに行って。Aの方には来なくていいよ」

 入部してから約1か月が経った頃、ある日の練習前に先輩スタッフからあっさり伝えられました。はい、とは言ったものの、内心は「なんで俺が?Bチームのスタッフになるために東海に来たんじゃないぞ」と傲慢にもそんなことを思っていました。
 スタッフになると最初の約1か月はA・Bどちらの練習にも参加する“お試し期間”になります。その後、役職ごとの人数バランス等を考えながらAチーム、Bチームに振り分けられます。はじめはBチームで経験を積み、上級生になるとAチームに上がるというような流れもあったのですが、そんな事情も知らない私は戦力外通告を受けたような気分になりました。そんな失礼な思いでBチームに来たものの、私はすぐにBチームのことが大好きになります。

「真剣に、ふざける」

 Bチームとはいっても、バスケットのレベルは非常に高かったです。全国を経験している先輩もいました。しかし、ただガチンコでバスケットをやるだけではなく、隙あらば楽しんでやろう、という空気がありました。ヘラヘラしているのとは違います。(練習後はめちゃくちゃヘラヘラしていましたが。)これが学生主体のBチームの一番の魅力です。Bチームの活動は全て学生で運営していました。学生コーチや学生トレーナーが練習やトレーニングの計画を立て、マネージャーが予定を管理します。そして選手たちは、自らモチベーションを高め、練習、トレーニングに向かう。サボったり、手を抜いたりしていても怒ってくれる“大人”はいません。選手にもスタッフにも、自律が求められる集団なのです。
 だからこそ、キツい練習やラントレに臨むときには“バカ”になって自分を、周りを鼓舞する必要があるのです。怒られるから頑張るのではなく、自分たちで雰囲気を作る。声をかけ、背中を押す。キツい時こそ楽しむ。そこには上級生や下級生、選手、スタッフの垣根を超えた一体感が生まれます。

 これぞ「真剣に、ふざける」、Bチームの真髄です。はじめは「なんで俺がBチームに‥」と思っていた私も、選手、スタッフ全員で作り上げるBチームの雰囲気に魅了され、やりがいを感じるようになっていました。
 それから気づけば6年間、誰よりも長く、誰よりも深くBチームに関わっていました。

 Bチームへの愛を語ればキリがないのですが、何より仲間の存在が大きかったと思います。特にBチームに来た当初の先輩方には本当に可愛がってもらいました。怖かったけど、愛があった4年生、ほとんどふざけていた3年生、もっとふざけていた2年生。私にとって兄のような先輩方にはとても感謝しています。
 そして、ずっと一緒にいた同期のメンバー。苦楽を共にし、ときにぶつかることもありました。卒業旅行で行ったハワイはずっと曇りでした。それでも、チームを離れた今でも強い絆で繋がっているのは、お互い真剣に、本気の付き合いをしてきたからです。

Bチームの同期と

 また、6年もチームにいたので、最後は年下ばかりに囲まれるようになっていました。慕ってくれる後輩たちに支えられていた部分も大いにあったと思います。苦しいときは支え合い、喜びは分かち合う。これこそSEAGULLS FAMILYです。この関係は、卒業しチームを離れても失われません。一生続いていくものです。

Bチームの試合時にはAチームが応援に駆けつける

スタッフのススメ

 SEAGULLSでスタッフとして過ごした6年間、最後はBチームのヘッドコーチまで任せてもらうことになりましたが、特別にバスケットの技術や知識があったわけではありません。ただチームへの思い、バスケットへの思いは誰にも負けない自信がありました。入部当初に叩き込まれたスタッフとしての心構えや姿勢に、自分の思いを乗せて、自分なりに表現してきたことが周囲からの信頼を勝ち取ることに繋がったのだと思います。だからこそ、バスケットへの情熱がある人や、アツい思いがある人はぜひSEAGULLSのスタッフに飛び込んで欲しいと思います。

 正直なところ、スタッフをやっていて大変なこと、キツいことが8割、楽しいことが2割くらいの感覚でした。それでも、スタッフを続けられたのは、仲間と共に困難を乗り越えていくことで、試合で勝利する喜びや、何ものにも代え難い達成感や充実感が得られるからだと思います。これは支える立場のスタッフだからこそ得られるものかもしれません。

 また大学スポーツには「4年間」という制限時間があります。どんなに優秀な選手も、どんなに経験を積んだスタッフであっても、必ずチームを去る時が訪れます。しかし、人が入れ替わっても、チームは続いていきます。だからこそ私は“次の世代”を育てることに力を注いでいました。私が経験したこと、失敗したこと、真面目な話、くだらない話、私が持っている全てを後輩たちに、半ば無理やり、渡してきたつもりです。私が関わってきた、可愛がってきた後輩たちは、いわば“私がチームにいた証”そのものです。彼らが成長した姿や、それぞれ新しい舞台で活躍しているのを見ると、自分のことのように嬉しいんです。だから今も教育の現場にいるのかもしれません。
 そうして、次の世代に、先輩たちの知恵や経験が受け継がれていくことで、そこには「文化」が生まれます。最近は、後輩を“可愛がる”とか、“面倒を見る”みたいな付き合い方は流行らないのかもしれません。でも、私はもっと人間臭い付き合いが必要な気がします。きっとそれがSEAGULLSの大事な文化だと思うので。

苦楽を共にした学生スタッフたちと

さいごに

 これから大人になり、次の世代の社会を、バスケットボール界を担っていく子どもたちへ。いま、社会はとても難しい状況にあります。“当たり前”の日常は失われ、誰も何が正解かわからない、そんな状態が続いています。私は現在、静岡県で高校の教員をしていますが、休校や、学校行事の延期や中止が相次ぎ、部活動も制限を受けることが多いです。そして私が何より気がかりなのは、いま青春の貴重な時間を自粛や制限で抑えつけられている中高生に「どうせ無理‥」とあきらめる癖がついてしまうことです。確かに、いまは好きなこと、やりたいことがなかなかできません。でも、そこであきらめないでほしい。できないことを数えるより、“何ができるか”、“どうすればできるか”に目を向けてほしい。私たち大人が持っている“正解”に、もはや価値はないかもしれません。それでも、一緒に考えていくことはできます。「だったら、こうしてみよう、こんなやり方はどうかな」と。一緒に挑戦しましょう。

現在は東海大学付属静岡翔洋高で男子バスケットボール部監督を務める

 最後になりましたが、今回【SPIRIT of SEAGUULS】への寄稿という貴重な機会をいただき、大変光栄に思います。在学中、大変お世話になった陸川コーチはじめ、スタッフの方々、大学の先生方にこの場を借りて感謝申し上げます。拙い文章ではありますが、日頃からSEAGULLSを支えてくださっているファンの方々、現在チームに在籍している後輩たち、そしてこれから日本のバスケットボールをさらに盛り上げていく次の世代の子どもたちに、私が経験したことや、思いが少しでも伝われば幸いです。


・池﨑 圭祐(いけざき けいすけ)
東京都出身。城北高等学校を卒業後、SEAGULLSでマネージャーとして活動。卒業後は東海大学大学院へ進学し、Bチームのヘッドコーチを務める。
大学院卒業後の現在は、東海大学付属静岡翔洋高等学校の保健体育の教員となり、男子バスケットボール部の監督も務める。


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